新・帰ってきた日本

SCOT ブログ

July,30,2011

7月30日 思い出の映像

 舞台作品の出来具合はその日その日で違う。こんな当たり前のことにハラハラしながら、自分の昔の舞台を注視することになるとは思わなかった。それも一作品ならまだしも、四作品だったから疲れた。
 かつてNHKが収録し放映した私の作品のうち、四つの舞台がDVD化され市販されることになった。いまさら不満を言っても仕方がないが、人間の欲深さか、心残りの多いことばかり。劇場現場での一回性の収録という制約のある中で、NHKのディレクターのカット割りの巧みさ、映像の美しさにはお礼を言いたい部分も多く、映像全体としては満足するのだが、疲れさせられたのは役者の演技である。私は自分の舞台を、どんな時でもどんな場所でも、見なかったことがない。だから、この映像に収録された時の役者の演技より、良かった時のあるのを思いだしたりして、心が穏やかでいられなくなったりしたのである。役者の演技ばかりではない、演出の拙さも目の当たりにさせられ、悔しい思いもさせられた。いまさら撮り直しなどということも出来ず、改めて映像として残されることの恐ろしさを確認させられた。
 この四作品とは、「世界の果てからこんにちは」「ディオニュソス」「シラノ・ド・ベルジュラック」「イワーノフ」である。私の初期の代表作であり、現在でも世界各国の俳優で上演されることの多い「リア王」も、モスクワ芸術座の俳優たちを演出した時の上演版で収めたかったのだが、舞台上で使用している音楽の著作権料があまりにも高額なので、断念せざるをえなかった。
 今まで観客の方たちから、映像化された私の舞台も見たいという要望が多くあったが、劇場という場の雰囲気に溶け込み、人間の生理の一回性に基礎を置くナマモノとしての舞台と、額縁にしっかりと固定され、永久に可変性を拒否して存在してしまう映像とは違うものだからと、私の舞台を一般の人たちに、映像として提供することを長らく拒んできたのだが、今回は観客や関係者の方々の熱意に応えたいと思った。
 おそらく両方をご覧になる方は、舞台とは違ういろいろな感想を持つことも多いだろうと思う。それはそれで、ぜひ伺ってみたいという心境にはなっている。それらの意見・感想の中には、これからの私の活動の刺激や参考になるものも多くあるかもしれない。それだけではなく、今後の私の舞台のためや、あらたな映像化への積極的な指針になるようなものもあるかもしれないので、遠慮なくご意見を寄せていただければ有り難いと感じる。
 また、これらの舞台映像と一緒に、これまでの私の活動の節目にあたるような時期のインタビューも収録してある。私がただ演出家として、舞台作品だけを作っているのではなく、演劇という文化活動を通した独自な社会活動をしているのだということを理解していただくためである。長時間にわたって私の考えを聞いていただいたインタビュアーの方たちには感謝だが、特に<訪問インタビュー>の斎藤季夫さんには、豪雪の中を利賀村まで訪ねて来ていただき感激であった。30年近くも前のことである。暖房のない隙間風の吹き込む合掌造りの舞台上の寒さは、今でも昨日のように忘れない。あんなことが実現できたのも、斎藤アナウンサーをはじめとしたNHKのスタッフの方たちの情熱のお蔭である。最近では利賀山房も冷暖房完備のしっかりした劇場になってしまったから、あの経験はもう望んでも二度とはできない。拙い言葉でしか語れなかったが、私の初期の志を上手に引き出していただいた、貴重な映像である。
 

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July,25,2011

7月25日 女心の唄

 「あなただけはと信じつつ、恋におぼれてしまったの、こころ変わりがせつなくて、つのる想いのしのび泣き」 1965年にバーブ佐竹という歌手が、甘く切なく、実にイヤミッタラシイ声で歌いヒットさせた流行歌である。この歌を今夏に上演する「瞼の母」で使っている。「女心の唄」であるにもかかわらず、男たちがバーなどでしきりと歌った。かくいう私も、貧乏演劇人だった頃、高田馬場の駅裏の小さな薄暗いバーで、高校を出たばかりの若いホステスと、閉店後にもかかわらず訳も分からずモリアガリ、夜が明けるまで酔っ払って歌いまくったものの一つである。
 いま思い出せばただ不条理な行動、エネルギーが余っていただけというような気もするが、野心と自信があっても、さっぱり世間がみとめない、親からは勘当、「悲しさまぎらす、この酒を、だれが名付けた、夢追い酒と」とばかりにノンダクレタ。目が覚めたら街路に寝ていて、近くでカラスがゴミを食い散らしているなんていう、当時の三流映画の都会生活の主人公を演じたりしていたのである。作詞家阿久悠の言葉を借りれば、酔ってこそ、被害妄想を誇大妄想に転化できた唯一の瞬間であったかもしれない。
 この「女心の唄」の3番の歌詞は、「うわべばかりとつい知らず、惚れてすがった薄情け、酒が言わせた言葉だと、なんでいまさら逃げるのよ」である。長谷川伸作の「瞼の母」という戯曲は、長年にわたって探していた母親に、ようやく巡り会えた主人公が、お前は私の子供ではないと実の母親に冷たくあしらわれ、家を追い出される話だが、この舞台の主人公が最後にこう語る場面がある。
 「自分ばかりが勝手次第に、ああかこうかと夢をかいて、母や妹を恋しがっても、そっちとこっちは立つ瀬が別個、考えてみりゃあ俺も馬鹿よ、幼いときに別れた生みの母は、こう瞼の上下をぴったり会わせ、思い出しゃあ絵で描くように見えてたものをわざわざ骨を折って消してしまった」 稽古でこの場面を何度か見ているうちに、「女心の唄」の歌詞も「瞼の母」の主人公の台詞も、現在日本の政治家、とりわけ民主党の人たちが、これらの言葉の内容そのままを、国民に味わわさせているような気がしてきた。
 先日たまたまテレビを見ていたら、民主党の執行部の幹部連中が、選挙時に約束した公約は守れないと謝っている。こともあろうに自民党の幹事長や新聞記者に釈明をしているのである。そのセイジツブッタ、アマッタルイ顔をみていたら、この政党は普通に生活している人間以下の人たちのインチキ集団だと思え、腹が立ってきた。頭が良い。口がうまい。顔が良い。金がある。他人の心情が分からない。こういう人たちは、もう日本には必要ないのではないのか。ここまできたら党派としての民主党は解散し、集団としてではなく、一人一人の人間として、その志を国民に述べるのが当たり前ではないか。かつての自民党のように、国民の指導者のようなエラソウナ顔をしないで、政治家であろうとするなら、馬鹿馬鹿しいのを覚悟で、もう一度しみじみとした「女心の唄」の最後の歌詞の心境にでも、国民と共に戻るべきなのである。その歌詞を参考までに書いておこう。
 「酔って砕けた夢の数、つなぎあわせて生きてゆく、いつか来る春、幸せを、のぞみ捨てずにひとり待つ」そうしたら、民主党に呆れた国民も、すこしは付き合ってくれるのではあるまいか。昔の流行歌はバカバカシイといえば馬鹿馬鹿しいが、思い入れ次第では、なかなか上手に人生の機微を考えさせてくれると、感心することしきりである。
 

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July,15,2011

7月15日 時代錯誤

 役者の発声訓練をナメテいたから、人生のもっとも肝心な場面で、トチッテしまった。彼は自分の大事な信念をイザという時に、チャント伝えられなかった。戯曲を書いたり役者のマネごともしたが、所詮は理屈の立つ文士、我々も気をつけなければいかん、スズキ! 寺山修司の言である。
 1970年11月25日、三島由紀夫が市ヶ谷の自衛隊駐屯地に、軍服姿で乱入し、二階のバルコニーから自衛隊員に、檄とも言える演説をした。檄とは、相手の悪い点をあばき、自分の信義を述べて、他の人々に自分の主張や考えに則って行動するように促す言説である。
 この檄の内容が、テレビで放映された限りでは、自衛隊員の野次にかき消され、殆ど聞き取る事が出来なかった。三島は静かに聞けと何度か言ったようだが、自衛隊員の野次は高まるばかり。それを押さえ込む音声の強さ、身振りの説得力、それは三島にはみられなかった。知的文化界のスターも、見方をかえれば、確かに下手な役者だった。
 後になって明らかになった三島の檄の内容は、簡単に要約すれば次のようである。現在の憲法の下では自衛隊は「日本の歴史、文化、伝統を守る」国軍にはなれない。あと30分待つ、共に起って義のために死のう、自由や民主主義を守るためではなく「愛する歴史と伝統の国、日本」のために、これを骨抜きにしてしてしまった憲法に体をぶつけて死ぬ奴はいないのか。
 寺山の言う通りで、三島の演説の声は自衛隊員の耳にはとどかず、野次に押し返され、彼の信念の言葉は誰の耳にも正確には入らなかったようである。三島は失望したように演説会場を退出、その後総監室で彼が組織した「楯の会」の会員に首を刎ねてもらい自決する。その尋常ではない死の映像は、一般にも流された。寺山的に言えば、三島は人生最後の大場面で、言葉による見事な見栄を切ることに失敗し、知的名優としての演技を披露できずに、その生を終えたとも言える。その一因を、発声訓練の不足とすることに、演劇人としての私も同意しない訳ではないが、しかし一民間人が生身のエネルギーに生死を賭け檄を飛ばした光景としては、我々の目に触れる最後の貴重な映像だったのではあるまいか。下手な役者が死に物狂いになった時にしか生まれ出ない、異様な迫力の身体も、そこに在ったことは在ったのである。
 東日本大震災の時に、多くの人たちの人生の最後を決したのは、ツイッターとかメールだと言われる。生身の大音声などたいした役には立たなかった。最近では政治家すら脱身体、朗々として自己の信念を肉声で開陳して、私たちをその気にさせてくれる人など殆どいないのである。何やら何処かで、非動物性エネルギーを使って密談を交わし、いつの間にか物事を決めているといった感じではないか。時代は変わった。
 元首相小泉純一郎ぐらいまでは、オオー、ヤクシャダノー、嘘だか本当だか分からないが、身体を使ったその気合で国民に語りかけてくれ、というところはあった。その気にさせてくれるなら、嘘か本当かは今は問わない、時間が経てば騙されたかどうかぐらいは、テメエタチで判断する、嘘だと分かったら我々も手のひらを返すぜ、そんなところがあった。要するに、語る方も聞く方もいくらかイキガッテ、朗らかなところがあったのである。今はどうだろう。政界は言うに及ばず、何処の世界も、この朗らかさをまったく失ってしまって、何をするにも、何を言うにも、イジイジ、グジャグジャ、している感がある。
 野外劇場で稽古をしていたら、突然に三島由紀夫の最後の場面と寺山修司の言葉を思い出した。そして私はあいも変わらず、なんと時代錯誤な事をしているのだろうという感慨に襲われ、元気になった。俳優たちに毎日、風が吹こうが雨が降ろうが、芝居は中断しないのだから、千人近い観客に絶叫してででも言葉をとどかせろと怒鳴り続けている。今度の舞台の主役の語る台詞も時代錯誤そのもの、ヒソヒソと話されたらシラケルだけである。そうしたら舞台はダイナシ、何でもないものになってしまう。三島由紀夫ではダメなのである。すべてが終わった後で、文章を配って、なにを言ったか理解してもらっても意味がない。そこが文学者と演劇人の違い。イキガッテやろうぜと、私は自衛隊員にではなく、俳優に檄を飛ばしている。俳優が語る言葉の一つには、数学者岡潔が伊勢神宮について書いた文章の次のような一節もある。 
 終戦後、天照大御神は再び天の岩戸にお隠れになった。だから日本の天地には愴然として真の喜びがない。私達は大御神に再び岩戸から出て頂く為、身命を抛って働かなければならない。
 檄もここまでいくと檄ではない。他人など居ようが居まいが関係のない呪文としか言いようがない。若い劇団員がつぶやく。トンデモナイコトを言っているけど、気持ちはなんとなく分かるなあ、だそうである。

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