新・帰ってきた日本

SCOT ブログ

February,23,2012

2月23日 聖地デルフォイ

 夜が無い、初めての感覚であった。深い峡谷に張り出すように建つレストラン、天空に舞い上がって座っている気分でラムを食いワインを飲む。気がつくと空が薄いブルーになりはじめる。朝が来たのだ。流行歌さながらのノリになり、宿に帰る。朝が来たのね、さよならね、街へ出たならべつべつね、ゆうべあんなに燃えながら‥、盛り上がりの終幕である。演劇公演の後での時間の楽しさ、それを初めて味わわせてくれたのはギリシャだった。  
 ギリシャはあなたが知っている国とは違ってしまった。ギリシャの友人の演出家テオドロス・テルゾプロスからの手紙の一節である。ギリシャは今、国家の崩壊を生きつつある。経済的破綻もさることながら、人間関係のモラルの崩壊、これが一番の危機だとも彼は言う。文化的には世界中の人たちに、計り知れないほどの贈り物をしたのに、今や他国からの度重なる借金をしなければ、国家の運営自体が難しいという。職を求めて多くの若者が海外へ移住しているらしい。祖国を見捨てる、これはどんな心境であろうか。日本の若者にも、いずれは訪れることであろうか。
 私の舞台作品が国際的に注目を浴びたのは、ギリシャの偉大な文化遺産、ギリシャ悲劇のお蔭である。私はギリシャ悲劇を素材にして幾つかの舞台を創った。その舞台の演出・演技が、ギリシャ古代劇を上演する際に重要な示唆を与えると、ヨーロッパの演劇関係者から評価され、その結果、私の初期の代表作の一つ、エウリピデス原作の「トロイアの女」は、1970年代末から80年代には毎年のようにヨーロッパの各地に招待された。
 その「トロイアの女」を、初めてギリシャで上演したのは1985年である。アテネのアクロポリス神殿の下にある野外劇場ヘロデオン、続いてアポロンの神殿のある聖地デルフォイ、そこに在るヨーロッパ文化センター主催の世界演劇祭に招待され、山上の古代競技場を舞台にして上演した。それが縁になって翌年、利賀村はデルフォイと姉妹都市の提携をした。村の有志の寄付で基金が創設され、利賀村の中学生は修学旅行で必ず行く場所になった。私の中学時代からすれば、ナント、ゼイタクナ、である。
 現在のデルフォイ市は近隣の七つの自治体が合併し、面積も人口も10倍以上に膨れあがっているが、旧デルフォイ市は人口3,000人ほど、断崖絶壁に沿って細長く展開する小さなシャレタ街であった。現在は市庁舎も移転しているらしい。利賀村も八つの町村が合併して今や名称も南砺市、大きな市の一画を占めるにすぎない。時代の転変と二つの場所の不思議な縁を感じざるをえない。
 私が利賀村で活動を開始したのが1976年、現在の人口は当時と比べて3分の1である。演劇活動自体は村外の人たちの応援もあって、支障をきたしてはいないが、生活面における行政サービスの低下は顕著である。老人の住みにくさは日増しに増している。今年のように大寒波に見舞われるとひとしお身に凍みる。公営バスすら何日も止まってしまうのである。
 あの夜の楽しさ、その日々はどうなっているだろう、夜は暗いだけか、デルフォイのすばらしい風景を思い出すと落ち着かなくなる。ギリシャ国家存亡の危機のニュースに接すると、ナンダカ、私は義理人情に背いているような心情にさせられる。長く付き合ったギリシャ悲劇の力であろうか。それとも私がまだ、利賀村での野外公演の後に、夜を吹き飛ばせとばかりに、レストラン、ボルカノで、根も葉もなく盛り上がっているからだろうか。ともかく淋しい。
 20世紀最後の10年間、何度も招かれ訪れたデルフォイの健在を願わずにはいられない。
 

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February,14,2012

2月14日 曖昧

 自民党の全盛時代に、幹事長や大臣を経験した現職の大物国会議員が利賀村へ来た。富山県だけではなく、中央省庁からの随行がズラリ。村長が私を紹介する、議員が秘書に言う、君、名刺を。秘書から渡された名刺を見ると、名前が違う。私は名刺を見つめて困惑。すかさず議員が言った。それは君の名刺ではないか、私のを渡しなさい。イヤー、これは失礼! この失礼は、私に対してなのか議員に対してなのかよく分からなかったが、秘書は改めて議員の名刺を差し出す。そこで秘書は朗らかに笑ったのである。そしたら、周囲にいた随行員たちも皆笑った。秘書あるいは議員の人柄によるのか、漫才のようなヤリトリのリズムの良さか、チョットシタ田舎芝居のウケだった。
 議員は夕食後に野外劇場での稽古を見る。池の対岸の山には、ちょうどHMIという白く発光する照明が当たり、山が幻想的に浮かび上がっている。舞台に立った議員は、すばらしい光景だ、俺の故郷にこんな山があるとは、まるで東山魁夷の絵のようだな。ひとしきり感嘆、そして傍らの秘書に語りかけた。オイ、東山魁夷って知ってるか。ソウデスネー、秘書は知っているともいないとも答えず、また朗らかに笑った。山の美しさに感じ入っている議員に疑義を呈したのか、賛同したのかも分からない。東山魁夷を知っているかも分からない。ともかく一歩控えて曖昧、いつも朗らかに対応するのも、タイヘンダロウナー、と感じさせられる。この時からしばらく後、この秘書は議員秘書を辞し、独立した政治家の道を歩み始めたと聞いた。差し出された名刺の違いは、自覚的な行為によるものだったのかもしれない。
 物事をはっきりとさせず曖昧にして、なお且つ朗らかさを保つ。これは日本人の伝統的な人間関係の作り方の一つではあるが、これを持続するには才能が要る。曖昧は、人間を疑心暗鬼にさせたり、心情的に暗くさせることが多い。そもそも曖も昧も、語源的には暗い様態を表す言葉だそうである。暗いから物事があやふや、はっきりと見えず不明瞭、だからこの言葉は通常、否定的な事柄に使われる。いかがわしいことや、疑わしく怪しいことに使われる。しかし、この言葉を肯定的に、堂々と使う人がいて驚いた経験もある。
 私は30年以上も前、誰も住んでいない村有の合掌造り二棟を、劇団の稽古場と宿舎に借りるために利賀村を訪れた。何度申し込んでも返事がはっきりしない。断るわけでも、貸しますと言うわけでもない。私をダシに、来る度に沢山の村人を集め、宴会で盛り上がるだけ。ナニカ、ウラガアル、ソレハナンダ、こうなると人間は不思議、かえって自分の気持ちにコダワッテ、シツコイ。曖昧な態度をするな! 黒か白かはっきり言え! とばかりに村に通ったのである。16回目にようやく村長が言った。貸しても良いです。
 私はこの時30代、村長は60代、親子ほどの違いがある。この村で演劇活動をしたい、東京から大勢の観客が来るはず、日本人だけではなく外人も来る。ホー、ナルホド、信用できないという顔をしている。なのに、ともかく貸しましょう、と言ったのである。私は勢い込んだ。スグ、ケイヤクヲ。村長はキョトンとした。新しく入村者が現れた、過疎対策の宣伝効果が上がったと思っているのに、なにを契約するのか。
 しばらくして教育長が宿を訪ねて来た。そしてこう言ったのである。鈴木先生、アレハ、マズイ。契約するということは他人になるということですよ。曖昧にしておいた方がすべてが上手くいきます。
 他人だから契約が必要なのではなく、契約すると他人になってしまう。この前提はすごい。私は他人ではなかった。日本人だからか、男同士だからか、16回も一緒に酒を飲んだからか、今でもこの答えは曖昧である。
 

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February,03,2012

2月3日 観・見・感

 自分の周囲の状況を良く観察すること、その中で自分が起こす行動の対象をしっかりと見定めること、行動を起こしたら自分の身体はどのような状態に置かれるのか、その時に移動している重心をすばやく感知していくこと、これは我々の日常生活でも行っていることである。しかし、観察すること、見ること、感知すること、この集中能力が、日常と比較して異様に強く特殊化されたのが、一流の舞台芸術家やスポーツ選手である。あるいは、真剣を手にした武士の果たし合いを想い浮かべてもよい。勝敗はこの三つの言葉が表す身体的集中能力によって決まる。そしてスピード。ただし、この勝負は一瞬に近いが、舞台芸術やスポーツの優劣には、これにエネルギーの強さ、持続する体力が要る。当然、長時間の呼吸の支配能力を鍛える鍛錬が要求される。 
 前回のブログで、重心が不安定な俳優のことを書いた。その身体の状態を表すのに、地震の際に起きる地面の液状化現象を比喩として使った。しかしこの比喩では、コトの一面だけが強調されすぎるように感じる。下半身が動かなければすべて良し、というわけではないからである。固定を前提とする安定と、移動を前提とする安定、この両者の重心への意識の違いを知ることが大切。建築物と身体、同じ物体とはいえ安定の意味が違うのである。
 世界的に学ばれることになった私の訓練方法、スズキ・トレーニング・メソッドの初心者には、まず身体の安定を強めるための動きを徹底して行う。そのために重心をいかにコントロールするかということを教える。人間が行い得るあらゆる足と脚の動きで、上半身を上下させない水平移動をする。ただし、線的に連続移動するのではなく、同じ動きを反復しながら移動し、一回毎の動きにブレーキをかけて静止し、再び動くのである。だから同じ動きをしていても、一回毎の動きは独立しながら、反復されて連続になる。
 この動きと動きのわずかな瞬間の静止に、その人の身体的な集中能力が浮かび上がる。端的に言えば、見えない重心の動きへの感知能力と支配能力が分かるのである。重心のすばやい動きに一回毎にブレーキをかける集中が肝心、ハイスピードで走る高級車と同じ能力を目指している。走る時の安定だけではなく、ブレーキの性能もすばらしく、急停止しても安定が大事。もちろん、デザインが美しければ、なお良いというわけである。
 訓練の時に、この安定という概念を強調し過ぎると必ず起こる現象がある。すばやく力強く動き、身体を安定させることを要求すると、膝を深く曲げ、腰を低くする人が多くなる。重心が低ければそれだけ安定するという先入観があってそうなるのだが、こういう人は下半身に力が入り過ぎる傾向があって、次の動きに移行するときにスムーズに行かず、足を引き上げるように腰に力を入れる。そのために、上半身がギクシャクと揺れる。静止の時の安定と移動の時の安定が同時に考えられていないのである。下半身の液状化を避けようと、重心の位置までコンクリートを流し込んで固めてしまうので、下半身と上半身の有機的な繋がりが遠ざかっている。
 俳優の身体は、下半身の液状化で上半身が不安定になるのも困るが、下半身のコンクリート状化で重心の移動が堅く不自由になるのも困るのである。
 剣の達人、宮本武蔵は言う。太刀にても手にても、いつくという事をきらふ。いつくは死ぬる手也。<いつく>は<居付>で、動きが止まり滞ることだそうである。こういう状態を武蔵は<死ぬる>という言葉で説明しているが、精神でも居付きだしたら、年貢の納め時であることに変わりはない。
 

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