新・帰ってきた日本

SCOT ブログ

April,23,2012

4月23日 児童劇

 児童劇にばかり出演している俳優は、あなたの舞台には向かない、と言われたことがある。私が演出家としての人生を始めようと、自覚的になった頃である。当然のことながら、それは何故かと聞き返す。もはや正確ではないかもしれないが、その時の答えは次のようだったと記憶する。
 子供は素直に反応する、笑ったり、驚いたり、退屈したり。それが舞台にまではっきりと届いてくる。その反応の良さに慣れ、それが演技する時の快感になってしまった俳優は、客受けをするような演技を良しとするようになる。客の反応がないと、不安になったり、自分の演技がダメだと思ってしまうらしい。
 要するに、良く言えば演技の芸能化、悪く言えばタレントの軽薄な誇張演技、客を湧かす事ばかりを目指すと言う。しかし子供だって、集中して考え、身じろぎもせず、舞台を見つめることだってあるだろう。そんな俳優の演技ばかりを期待して観に来るわけでもあるまい。児童劇に接した経験のない私は内心で思う。
 そういえば昔、浅利慶太が言っていたことがある。子供は集中して興奮すると、身体の体温が上がる。それを感知する機械を劇場に仕込んで、どういう場面が子供に受けているのかのデータを蓄積して、新作を作る時の参考にするのだと。さすがエンターテインメントに深く関わっている演劇人は違う。
 今度私は初めて児童劇の演出をするんですよ、こう言うと同業者はだいたい笑う。そして、身じろぎをさせないような演出では、児童劇には向かないし、子供は喜ばない。興奮するんですよ、舞台に集中した子供は、と多くの人に念押しされる。私はイササカ、ムラムラ、私の演劇はよほど堅苦しいと思われている。この人たちは私の演出した舞台を本当に観て言っているのか、少し偏見がありすぎるのではと思ったりもするのだが、ともかく私は、児童劇には紛れもないシロウト、黙る以外には仕方がない。
 だから今までの私は、考えるような児童劇はダメなんだと思い込み、この分野には興味を示すのを止めていた。おまけに昔、日生劇場で浅利慶太演出の児童劇を観てきた、小学生だった頃の息子に言われたことが響いた。お父さんのは客席に座ると、芝居が終わるまでずっと、じっとしていなくちゃならないから疲れちゃう。私の演出した舞台、「ディオニュソス」を観た後のことである。ニッセイ名作劇場では、俳優たちが舞台から客席に降りて来て、お客さんにバラの花をくれたりするよ。少し浅利慶太の演出を見習ったら。「ディオニュソス」などを観せたのは、父親として愚かな間違いであった。もちろん、少し大人になった時に、「ディオニュソス」もなかなか頑張っているよ、と言ってくれたことはあった。私が傷ついたとでも感じたのか、子供心に反省して励ましてくれたのかも、と親馬鹿は勝手に思う。
 こういうこともあって今回の「シンデレラ」、なんとか子供を退屈させないことにしようと、一生懸命に工夫はこらしたつもりである。むろん、どんなことをしても、所詮は私は私である。皆で考えることを提供したかったために演劇を志したのだから、子供だからといって、一緒に考えない作品を作る訳にもいかない、それでは人間として、子供を差別することになってしまう。私も鈴木忠志ではなくなってしまう。共に興奮しながら考える、いや考えることが楽しくなってもらう、そして俳優たちにも親しみを感じてもらう、できたら自分もそうなってみたいと思ってもらう、この線だけは譲れない。要するに私の職業を通じて、生きることの希望を考え、どうしたら舞台上からそれを与えられるかということである。
 しかしこんな欲張ったことは、演劇の天才だけが可能にできる仕事である。この年齢になった私にとっては天災みたいなもの、しかし引き受けた以上は仕方がないと、果敢に挑戦してみたことだけは、観客ならびに関係者の皆さんに、理解していただきたいと切に思っている。
 今回の稽古ほど、楽しかったけれど疲れたこともない。初めてのことだから仕方がないだろう。今は、早く幕が上がり、子供たちに感想を聞きたいと思うばかり。こういう仕事も、もはやわずかになった私の演劇人生の励みの一つになれば、これに勝る幸せはない。  

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April,19,2012

4月19日 襲名

  襲名とはブランドとしての名跡=名前を継承することであるが、伝統芸能やヤクザの世界ならいざ知らず、樹木の世界にまで襲名があったのには驚く。久しぶりに訪れた羽衣の松で名高い三保の松原、そこで松の襲名がなされていたのである。
 三保の松原は静岡県清水市、現在は合併したために静岡市清水区にある。晴れた日に三保の松原海岸から海越しに見る富士山や伊豆半島はなかなかの絶景、天女が水浴びをしたくなったと言われても、納得しておこうという気持ちにはなる。若いタレントが酔っ払って赤坂の公園で裸になって騒いだのとはワケが違う。確かにロマンチックな絵にはなるのである。漁師が天女の脱いだ羽衣を隠し、こっそりと覗いていたというのも許せる。漁師が隠した650年前の羽衣の切れ端が、まだ保存されていると言われると、チョットとは思うけれど、しかしこれを、痴漢だのストーカーの誕生の物語りだと口にするのもヤボ。天女の裸の美しさに心奪われた漁師が羽衣を隠し、俺の女房になれと脅迫したわけではなさそうである。日本の各地域には、天女が人間と結婚するという話もあるらしい。一説によれば、天女とは白鳥=美しい処女のことだそうである。
 私の中学生の頃は、四季に関係なく、焚き火をしたり寝転んだりして、夜景を楽しんだ。後鳥羽院も詠っている。清見潟ふじの烟や消えぬらん、月影みがく三保のうら波、ともかく、日常のミミッチサを免れた、大らかな場所であった。
 その天女が水浴びするために、身につけていた衣を掛けたと言われる羽衣の松は、当時はなかなか見事な枝振りで、5万4千本も生い茂る三保半島の松林の中でも、ひときわ目立っていた。しかしさすがに老木、平成5年に清水市は次のような立て札を、羽衣の松の根元に立てたのである。
 <羽衣の松は樹齢650年を数え、樹勢がたいへん衰弱しており、現在幹や根の養生をし、樹勢の回復をはかっております。皆様のご理解とご協力をお願い致します。>
 もはや、それから15年以上も経つ。樹勢の回復どころか、太い幹から分岐している三本の枝の二本はすでに枯れている。残りの一枝も元気がない。今にもご臨終という風情である。根元は腐食し始めている感もある。しかしこの一文、何をご理解しご協力するのか曖昧、行政の書きそうな典型的なありきたりの言い回しである。推察するところ、老いた松が倒れたりしないために添えた、支柱などの見苦しさを許容せよとか、この松を枯れさせないための手立てをする費用を寄付したらどうだろうか、といったことであろうが、私としては今や、天下に名を轟かせたこの松、もはや消滅の運命、まことに残念至極、天女様に改めて今までのご厚情を感謝したい、とでも書き直すべきだと感じるのである。それには理由がある。
 この羽衣の松から、15メートルほど離れた場所にある一本の松の横に、新たな立て札が立てられていたからである。そこにはこう書かれている。
 <三保の松原のシンボルとして、長い間愛されてきた、先代「羽衣の松」に代わり、その後を引き継いだ「新・羽衣の松」、平成22年10月に数世紀ぶりの世代交代が行われました。静岡市>
 呆れて物が言えないとはこのこと。先代に比べたら不細工な枝振りの、ただ大きいだけのこんな松を、誰が二代目などと決定したのか、だいたい天女の羽衣の掛かった松に、二代目があるなどとはおかしい、私は怒り心頭である。何が世代交代だ、それが行われたというが、誰が行ったのだ、じゃあ先代は本当に了承したのか、天女の一族に報告したのか、そしてその子孫にもう一度、この松に羽衣を掛けてもらったのか、オレハ、シラサレテイナイ! これは木っ端役人の勝手な思いつきにちがいないのだ、市民にだって知らせて、意見を聞いて決めている筈がない、原発の再稼働決定のやり口と同じだ、バカニシヤガッテ、こうなると我ながらメチャクチャ、この官僚的な態度にタダタダ、オコレチャウのである。しかも先代の松には、立派に子孫がいる。静岡市が勝手に先代と称し始めた松の傍らには、こういう立て札だってあるではないか。
 <「羽衣の松」二世の松、この松は平成9年2月に「羽衣の松」から穂木(芽のついた小枝)を採取し、接ぎ木による二世作りに成功したものです。伝説の松の遺伝子を含め、未来へ残す二世の松です。平成11年3月15日 清水市>
 二代目の松に比べたら、まだヒョロヒョロとした、か細いかぎりの小さな松ではあるが、子孫は子孫である。もし世代交代だというのなら、この松を二代目にして何が悪い。そうしたら私は、先代の死を惜しみながら、子孫であるイタイケナ松に、ガンバレガンバレとご理解とご協力をしても良いのである。
 まあもともと、ニセモノと言えば偽物だが、さらに偽物を作って観光による金儲けをしようとするためか、親しんだ話の種を絶やさないようにして、欺瞞をしても自己満足による連帯を感じたいのか、現在の日本の政治と同じで、何かをすればするほど、姑息で侘しい気持ちにさせられる見事な事例、日本人のせせこましい心の一つだと感じる。下手な理屈をつけては、物事をかえってつまらなくする。

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April,10,2012

4月10日 シンデレラ

 久しぶりの静岡芸術劇場での公演である。「帰ってきた日本」を、装置の転換なしの暗転だけで、一部二部を一挙に上演した。昨年末に吉祥寺シアターで上演した時には、一部二部の全装置、この場合は椅子類だが、それを舞台上にすべて配置することができなかった。さすが芸術劇場、客席数は小劇場並だが舞台の広さは大劇場に比肩する。天井の高さも充分、照明器具の吊り場所もいたる所にあり、照明の明かりがキレイに俳優や装置に当たる。俳優のほとんどが、この舞台で長年にわたって演技しているので、久しぶりとはいえ、俳優の演技と空間との調整に時間を取られずに済んだ。もちろん、上演された舞台への観客の好みはそれぞれ、吉祥寺の公演の方が好きだったと言う人もいる。
 来月は再びこの劇場へ戻ってくる。今度は新作、私としては初の児童劇「シンデレラ」である。客席で「帰ってきた日本」を見ながら、「シンデレラ」の演出の作戦を考える。親子での観劇も想定されるとはいえ、小・中学生が主要な観客である。子供はすぐ退屈する。いかに集中を持続させるか、伝えたい内容をどの水準にするのか、おおよそは決まっているが、その具体的な方針をどうするかである。
 静岡芸術劇場は劇場自体のデザインが素晴らしい。優雅である。それだけではなく、照明を吊るブリッジの便利さ、床の一部が上下する大小三つのセリ舞台など、どこの自治体の公共ホールと比較しても、舞台芸術の劇場としての専門性を備えている。舞台と客席の上に五つもある照明のブリッジは、床面から一メートルの所までは、一斉に下ろすことができる。照明を吊るにもブリッジに乗り込むのにも容易、こんな劇場は日本にはどこにもない。この劇場の独自性を際立たせることができたら、と考えながら見ていた。
 私がこの劇場の芸術総監督だった時、企業の社長、元高級官僚、東大教授の三人に、実際の演劇の照明さながらに、舞台上でシンポジウムをしてもらったことがある。三人の姿がくっきりと浮かび上がる照明なので、舞台上からは客席がよく見えない。三人は異口同音に言った。こんな経験は初めて、少し戸惑ったがおもしろい感じだったと。俳優にされたような気持ちがしたらしい。音楽、ダンス、演劇、これらに接するために劇場を訪れる人は多い。しかし実際に舞台に上がり、俳優やダンサーと同じような雰囲気に入ったことのある人は少ないのである。
 「シンデレラ」の観客の多くは、芸術劇場のような本格的な劇場は初めての経験になるに違いない。全部の観客を舞台上に上げることはできないが、劇場とはどんな所か、演劇はどうやって作られていくのか、それを徹底的に見せながら「シンデレラ」の物語を展開するのも良いかもしれない。照明や音響や衣裳などのスタッフも、すべて舞台上に存在し、舞台装置の転換や照明の当たり方の調整、衣裳の着替えなども見せる、それも一案だと思いはじめる。
 「シンデレラ」に使用する主要な音楽はフランスが売り出し、世界的に有名にしたベルギーのシャンソン歌手アダモのものである。シャンソンの歌詞は詩的で物語性をもっている、演劇のセリフのようなもの。その他の音楽はロッシーニのオペラ曲「シンデレラ」とプロコフィエフのバレエ曲「シンデレラ」からのもの。実際の舞台芸術のために作られたものである。この案は良いかもしれない、試してみる価値はある、なにしろ児童劇を作るのは初めてのこと、なにごとも冒険だと自分に言い聞かせたが、果たして結果はどうであろうか。ともかく子供たちに、劇場というものの楽しさを存分に味わってもらう、もちろん私もタノシミタイ。 

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