新・帰ってきた日本

SCOT ブログ

August,25,2012

8月25日 ごあいさつ

 SCOTサマー・シーズンの幕が開いた。今年は、15カ国の人が参加している。8カ国の人が、演出や俳優として舞台づくりに関わり、9カ国からは、昨年の夏からしばらくぶりに再開した、私の訓練を学びに来ている。今年から始めた事業、アジア演出家フェスティバルには、中国、韓国、台湾、日本の若い演劇人の作品が上演される。
 トップバッターは「トゥーランドット」。この作品はまさに利賀産、昨年の8月に2週間の訓練を受講した俳優たちから、イタリア、ブラジル、リトアニア、シンガポール、中国の6人を選抜し、今年の3月に約1カ月、この8月に2週間の稽古を重ねて出来上がったものである。演出はイタリアで活躍しているマティア・セバスティアン、20年前から私の訓練を学びに来ているだけではなく、利賀の劇場でもたびたび自分の作品を発表している。6カ国語が飛び交う珍しい舞台だが、人間に大切なのは愛か金かという直截な主題を、ブレヒト風児童劇に楽しくまとめ上げている。
 利賀村での活動も今年で37年目、その間に一度も休止したことがない。それも観客の皆様の支持と応援があってのことだが、この間の日本の社会情勢や国際環境の変化を思うと、我ながら不思議というか驚きを覚える。これは東京での話ではない。人口1000人にも満たない過疎村でのことである。実際のところこの年月に、日本の総理大臣は22人も交代しているのである。
 1976年に劇団SCOTが東京を離れ、この利賀村での活動を始めたのには、明確な目標があった。集団の結束力を要に、優れた舞台芸術作品を創造し、世界に日本の文化的な蓄積の豊かさを示すこと。またそれだけではなく、日本社会の閉鎖性と一極集中、その象徴とも言うべき東京人の堕落を批判するためだった。この所期の目的は、殆ど果たされつつあるというのが、正直な実感である。日本の山奥の一過疎地が、これだけ世界の人々の注目を集め、年間を通じて絶えることなく活動を持続できていること、例えば今春5月には、中国唯一の国立の舞台芸術大学が、30人の先生と学生を3週間にわたって、この利賀村に滞在させ、訓練を学ばせていることなどは、この利賀村の施設と活動実績が一日本の文化財産としてではなく、世界共有の文化財産になりつつあることを示している。
 世界は驚くべき速度で変化しつつある。とくにアジア諸国の変貌はすさまじい。それに連れて、日本の国際社会での在り方は、曖昧なものになりつつある。その理由には政治の貧困、あるいは経済の低迷などもあろうが、文化活動に携わってきた私の実感からすれば、生まれて死ぬまでの人生の送り方、しかもその人生が虚飾ではなく、自分に自尊心を与えてくれるような生き方のモデルを、日本人が見失ってしまったことにあると思えてならない。むろん人生のモデルは一つであるはずもないし、あるべきでもない。しかし、こう在ることは素晴らしい、というような生き方、それは手軽に手にすることが難しくとも、それを持たない社会や国家になってしまったことに起因しているのではないかと感じる。未来への夢を描くことのできない国家の人々ほど、寂しく惨めなものはない。
 我々日本人には、この先どのような生き方が夢として残されているのか、もし残されていないとすれば、どうやってその夢を新しく創り出すべきなのか、そしてどのように世界の人たちに貢献するのか、劇団SCOTはこういう志のもとに、この利賀村を拠点に、さらに活動を続けて行きたいと願っている。
 地域としては存続の難しい過疎地である。此処での活動をさらに発展させ、持続させて行くためには予測のつかない苦難も待ち受けているかとも思うが、こういう生き方に声援を送ってくれる人たちが、たとえ少しでも居てくれたら、マダ、マダ、最後までガンバッテ、行けるような気もしている。
 

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August,18,2012

8月18日 縮む日本

 イギリスから日本に帰ってくるなり、穏やかではない国際政治のニュースばかりを耳にする。韓国大統領が竹島を訪問したり、尖閣諸島には中国の民間人が強引に上陸したり。さすがに中国人は逮捕したようだが、竹島は韓国に実効支配されている島だから、韓国の大統領の上陸を阻止するわけにもいかず、韓国の領土化を認めざるをえないような成り行きである。竹島は20世紀初頭に、日本の領有権を世界に知らしめたもの。韓国は日本海という名称の変更すら強力に主張しだしたようだが、大統領就任当時は日韓関係を未来志向で考えよう、と言っていたと思いきや、今や歴然とした過去志向。天皇にまで謝罪を要求しているらしい。北方領土にはロシア大統領が訪問し、もはや日本への返還などあるはずもないような挑発的な発言までされている。
 日本の政治環境は、私が予測していたとおりの、厳しい状況に突入しだした。国際政治に関わることは、殆どのことをアメリカ政府の意向に依存して決定してきた日本の政治家や官僚に、この難しい状況を独自に打開していく力量があるのかどうか、正直のところ頼りなくも疑わしい。
 私の近年は、これら三ヵ国の人たちとの緊密な共同作業に費やされてきた。そのために演劇人に多くの友人が出来、また秀れた俳優を養成し、私の舞台でも活躍してもらってきた。実際のところ、今月のエジンバラ国際フェスティバルで上演し、好評を博した「エレクトラ」のタイトル・ロール=主役は韓国の女優である。また来月には北京で、中国人の俳優に、日本、韓国、アメリカの俳優を加えて、シェイクスピアの「リア王」を演出する。
 それだけではなく、10月には中国唯一の国立舞台芸術大学、中央戯劇学院の名誉教授に就任することにした。その式典を10月にするらしい。どんな事をするのか詳らかにはしないが、学院は創立70周年、10年毎に一人を中国以外の国から名誉教授として選任し、招聘しているのだそうである。好きなときに来て、好きな事を何でもして良い、例えば演出でも良いし、訓練を教えるでも良い、あるいは演劇や文化についての講義でも良い、一切の費用は中国政府が責任をもって負担すると言われてのことだが、若干の逡巡の後に意を決して引き受けてみた。中国との関係は、日本人個人としても、意識的でありたいと思ってのことである。
 もう昔の事だが、ロシアのプーチン大統領と懇談した折に示唆され、日露双方の政治家、行政官、文化関係者が集まり、日露文化フォーラムという会を組織し、演劇、ダンス、美術などの文化活動を数年にわたって紹介しあったことがある。何回目かの交流事業のパーティの席で、ロシア側を代表する委員が楽しそうに発言した。
 日本と比べて広大なロシアの領土からすれば、北方四島などは地図の片隅にかすかに存在するもの、ロシア人は心の底では大多数が、あれぐらいの領土は日本人に返しても差し支えないと思っている。私は苦笑させられたのを思い出す。ロシアが新しい国家として再出発しだした苦難の頃、日本が経済大国としての心理的な余裕を、いまだ保持していた頃のことである。それほど前のことではないのに、隔世の感がする。
 今夏のSCOTサマー・シーズンで上演する「世界の果てからこんにちは」に次のような台詞がある。老人養護施設の院長が、居住者から部屋の間取りが二畳では狭すぎる、せめて三畳を確保すべきだと、抗議されて答える場面のものである。
 「三畳確保は戦前の約束です。あんた方は昭和16年の入院です。その当時の約束が、今でも継続しておると思っておるのですか。常識でもって考えてもらわなければいかん。ね、その間に日本は戦争に負けたんですぞ。日本は四つの島にちぢんだんですぞ。日本がちぢめば、自然とあんた方の住居の広さもちぢんでくる。当然の話ではないですか。他のものがすべてちぢんだのに、自分だけ元のままでいようというのは、虫がよすぎる。そういう利己主義はこの際、一切ちぢんでもらわんければ困る」
 この場面を稽古する度に劇団員は昔、この屁理屈の見事さに楽しそうに笑っていたものである。もちろん、私もである。しかし最近の私は、ただ笑ってばかりにも、イラレナイナアーという感じ。世界情勢とこの三ヵ国と私との関係の変化が、然らしめるところだとでもいうべきか。 

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August,13,2012

8月13日 究極の摺り足

 エジンバラ国際フェスティバルの初日の幕が開いた。ロンドンを中心としたスポーツ・オリンピックの終わりに2日ほど重なって、エジンバラ国際フェスティバルはスタートした。劇場はキングス・シアターという100年前の建物。階段だらけの劇場で、脚を痛めた我が身には少し堪えるが、雰囲気のある劇場である。
 終演後のレセプションは、街路を見下ろせる洒落た小部屋で催された。このフェスティバルの芸術監督ジョナサン・ミルズをはじめ、事務局各部門の責任者たちが出席してくれて、様々な感想を言ってくれる。皆、見事な出来映えだと言ってくれる。それらの感想の中に面白いものがひとつあった。たくさんの車椅子が出てきて動き回るが、身体障害者の人たちをバカにしていると抗議されたことはないかというものである。ずいぶんと昔、水戸芸術館で車椅子を多用した私の作品「イワーノフ」を観た文化庁長官が同じようなことを言ったことを思い出す。私は朗らかに答えた記憶がある。我々人類、ほとんどの人がいずれは車椅子のお世話になるのですよ。車椅子がどんなに人間にとって必要不可欠なものであり、使い方次第では素晴しい動きをするものか、それを皆さんに知らせるのも演劇人の使命。私もかつて何日間か病院で車椅子のお世話になったことがある。だから感謝の気持ちを込めて使っているのです。
 今は亡き河合隼雄さんは、文化庁長官だった当時、私の舞台での車椅子の使い方に感動して、文化庁内を車椅子で移動してみたいと言ったことがある。その時、傍らにいた秘書の困った顔も思い出した。
 私が車椅子を使うことを思いついたのは、ドイツでの体験による。車椅子に乗った身体障害者たちのダンス・パーティを目撃したからで、実に楽しそうだった。あの車椅子が身体そのもののようになった身体感覚を、私も会得してみたいと思ったのが発端である。
 今回の作品「エレクトラ」では、高田みどりの激しい打楽器の音とともに、車椅子に乗った男たちが円を描いて素早く回転する。舞踊家の金森穣が昔、あの打楽器のリズムに負けない足捌きができるのは、SCOTの役者以外にはないと感心してくれた。観客から集めたアンケートのひとつにも、鈴木忠志はついに究極の摺り足を創造したと書いた人もいた。究極の摺り足、ナルホド、ナルホド。確かに車椅子の移動は、水平移動の極致である。しかも緩急自在。面白いことを言う人もいるものである。というより、さすがSCOTの観客、ありがたいかぎりと言うべきか。
 公演日を一日残して、私は劇団員より一足早く帰国する。今月の24日から始まるSCOTサマー・シーズンの準備が気がかりなのと、私のために事務の仕事を、長年こなしてくれたSCOTの創設者の一人、斉藤郁子の病状が少し心配だからである。私はこれまで、自分の作品の本番上演を観なかったことは滅多にない。昨日の舞台の出来具合をみると、私がいなくても心配はないだろうと思ったが、一応俳優たちに昨日の公演のダメダシを兼ねて、さらに頑張るようにと檄を飛ばしておいた。
 ジョナサン・ミルズに頼まれていた文化大臣サミットでのスピーチも断わることになってしまったが、彼は快く承諾してくれた。彼は作曲家である。いつか一緒に仕事をしようと別れた。彼の別れ際の言葉も心に残る面白いものだった。あなたの舞台は演劇人よりも音楽家の方が良く理解するかも。空間の構成の仕方が、オーケストラの楽譜を書く時と同じような集中をしているような気がするからね。
 日本でも、私の舞台をよく理解してくれた人たちは、確かに演劇人ではなかった。 

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