新・帰ってきた日本

SCOT ブログ

July,26,2013

7月26日 ご随意にのこと

 <随意>という言葉がある。もともとは仏語として使われていたものらしい。思いのままにあったり、束縛や制限のないこと、そういった状態を表す言葉である。実際にそのように振る舞ったり行動したら、<気随>である。随意は人間関係で厳しい使われ方をすることもある。例えば、<ご随意になさったら>、これは一見丁寧な物言いのようにも見えるが、勝手にしろという相手を突き放した強い言葉にもなる。
 ともかく、個人の意志や気分によって物事を決定したり、行動することなのだが、それがかえって心理的には束縛になることもある。いつも与えられた基準があって行動することに慣れてしまった領域では、この言葉に従っての行動を迫られると、必ずしも自由な感じを与えられるものではない。<ご随意に>などと言われると、コマッタナアーという心理になることもあるのである。というより、この言葉に促されて行動に移るには、それなりの勇気や覚悟を必要とする時もあるというべきか。
 私が初めてこの言葉に直面したのは、40年ほど前のことである。私の演出した舞台の公演中に、主演女優の一人が日に日に痩せていく。何かの病気にでもなったかと心配して聞いたら、下痢が止まらないという。黴菌によるものか、ストレスによるものか、判断がつかない。公演日はまだ一カ月近くも残っている。そこで、この公演の女性プロデューサーに相談した。
 当時の女性としては珍しく、多彩な人脈の中を素早い行動力で生きていた女性プロデューサー、今日のうちに、ココヘ、イッテクダサイ! とメモの紙を手渡される。それを見て私はビックリ。そこには医師の名前と診療所の場所と時間が記されている。医師の名前は武見太郎、診療所の場所は銀座である。迅速な対応には感謝したが、大袈裟になってしまったと感じたものである。
 最近の若い人たちには縁のない名前だと思うが、私たちの年代には特別のもの。武見太郎とは25年間にわたって日本医師会会長の地位にあり、政治家や厚生省を相手に、切った張ったの駆け引きをして、自民党政権に自分たちの主張を吞まさせつづけた人である。泣く子も黙るケンカ太郎と言われたりしていた。当時の日本医師会の会長の権力と政治力は凄かったということだが、彼を敵にまわすことのできる政治家はいなかった。吉田茂の閨閥にも連なるから、患者には歴代の首相やら自民党の有力政治家が多い。
 紹介され、相手からも時間を指定された以上、すぐ行動に移らなければ失礼になる。私の劇団の事務局長でプロデューサーの斉藤郁子が稽古場から女優を連れて、すぐ銀座に出発。3時間ほどして斉藤から電話が入る。開口一番ドウシマショウ、明らかに困惑した口調である。診療代金を払おうと会計の窓口に行ったら、<ご随意に>と書いてあるというのである。私は笑った。さすが日本医師会の会長、オオキク、デルナー。
 お金は持って来たけれど、それほどの金額ではない。政治家の人はたくさん払っているだろうから、こんなに少しだとかえって失礼になるのでは。斉藤の気の使い方もオモシロイ。ナルホド、それも一理はあると思いながら、私はしばし沈黙の後、電報の文章のように言った。金は、ハラワナクテヨイ、ホガラカニ、オレイノコトバヲユッテ、ソノママカエレ。アトデ、プロデューサート、ソウダンシテ、ショリシロ。斉藤はこんなこと初めて、オドロイターと帰って来た。そして、女性プロデューサーとナニヤラ相談していた。この女性プロデューサーこそ、岩波ホールの総支配人高野悦子さんである。斉藤郁子ともども今はこの世に亡いが、この二人のプロデューサーにはたいへんに世話になったとつくづく思う。
 今夏からSCOTサマー・シーズンの舞台公演の観劇料はないことにした。武見太郎の真似をして、オオキク、デタというわけではない。むしろしみじみ、チイサク、デタと思っている。利賀村での活動を応援しても良い、と思ってくださる方のみから、志を戴くことにして、その金額を<ご随意に>にさせてもらったのである。その理由の一端は、前々回のブログに書いた。
 7月15日から観劇の受付を始めたが、申し込みが殺到している。8月末の公演だが、今月の末には全公演の劇場が満員になる勢いである。観劇の予約をしてくれた方の中には、観劇料金制度を廃止にして、劇団員の経済生活は成り立つのか、と心配してくれる人もいるが、その点は大丈夫。たとえわずかな時間でも観客の人たちと盛り上がれたら、人生ここに在り、と意気に感じる職業、少しぐらいの貧しさは我慢できる。この試みは資本主義経済システムへのささやかな反撃だと、劇団員一同は盛り上がっているからご心配なくである。
 それより我々の方が観客の皆さんに、日本医師会会長の会計窓口で、斉藤郁子がしたような気遣いをしないで戴きたいと、お願いしたい。ともかく一度、お互いにどれぐらい盛り上がれるか、気随にヤッテミマショウ。

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July,19,2013

7月19日 ダニについて

 最近になって、長靴を履くと脚の疲れがひどい。年のせいであろう、筋肉が痛くなる。夏に長靴とはと呆れられそうだが、これには理由がある。今年になって、脚を虫に刺されることが多くなったのである。特に足袋とズボンの間、肌が露出している足首のあたりを狙われる。赤い斑点の刺し疵が360度にわたって広がり、無闇と痒い。劇団員が一様に言う、これはダニだ。
 ダニとは土中・水中・海中などに生息する節足動物の総称で、日本には2,000種近くがいるそうである。人畜に寄生して血を吸うものもあるらしい。匂いに敏感に反応し、尖った歯で噛み付く。去年からテンやタヌキを飼いだしたので、私の身近に多く生息しているのだと推測している。こういうダニの特性が、転じて、人に嫌われる者の形容にも使われる。
 芸術団体や芸術活動に対して、助成金を交付する芸術文化振興基金という国の助成制度がある。その助成金の配分の仕方とそれを決定する委員の構成について、演劇評論家の菅孝行が、最新の演劇雑誌テアトロに批判を書いている。演劇に限ってのことだが、具体的な金額や各部門の関係者の名前に即して、菅孝行らしい攻撃的な論調が展開されている。その文中に<ダニ>という言葉が出てくる。むろんこの言葉は、社会に害をなすと見なされた人間を非難・軽蔑する用語。感染症を媒介する恐れもあるから、退治したり駆逐すべき対象に使われる。学生運動の華やかなりし頃や、左翼の政治闘争を思い出させるものだが、しかし、具体的な資料に当たっての発言なので、その左翼的な体質の口調が、かえって説得力を獲得して、久しぶりに見る悪口雑言の懐かしさである。
 この文章の中に、既に故人となっている千田是也と浅利慶太の対談の引用がある。私も初めて目にするもの、これまた菅孝行の口調にヒケをとらない激しさで、このダニという言葉が使われている。少し長いがそのままに引用する。
 千田 世界国立劇場の歴史が示しているように、だれがやったって官僚化するものですよ。<中略>これは第一国立劇場(三宅坂の国立劇場のこと)の管理の仕事をやっていた人から聞いたんだけど、芝居をやってた人間の方がずぶの役人よりももっと官僚的になるそうだね。<中略>
 浅利 第二国立劇場(新国立劇場のこと)で一番心配なのは、二流の芸術家が官僚化して、あの中に閉じこもったら、サザエの一番奥のところにダニが入ったかっこうになっちゃってね。ほじくり出すのに困っちゃって、日本芸術の最大のガンになる。それをなんとしても防ぐということじゃないですかね。
 浅利慶太も旧左翼出身だが、ミュージカルで興行的な成功をおさめている現在の彼を想うと、若い頃はここまで戦闘的だったのかと驚く。彼のダニについての比喩は生理的で実にオカシク、ナルホドと笑わせられる。まあこれぐらい激しくないと人間、演劇界では何をやっても成功しない見本のようなものかもしれない。確かにそれがマイナスのイメージだとしても、<日本芸術の最大のガン>という言葉は、私にとっては対象を評価しすぎ、この言葉を差し引けばオッシャルトオリであろう。無能な演劇人ほどダニになりやすい体質の人間はいない。それも群れを作って、感染菌を撒き散らすから始末に悪い。
 この対談が行われたのは1984年、これは新国立劇場についてのことで、菅孝行が言及しているのは、基金という助成財源をもつ日本芸術文化振興会に巣くったダニのことである。しかし、この二人が踏まえていた演劇界への認識は、依然として現在も続いているものだと私も思う。千田是也は押しも押されもしない左翼演劇界のリーダーだった。新劇団協議会の初代の会長を務めている。その末裔である劇団協議会の面々が、現在は新国立劇場や振興会に巣くって、助成金のお手盛りをしているという。私もうすうすとは知っていたことだが、千田是也や浅利慶太が、この実際を目にしたら、どんな心境になっただろうか。
 菅孝行が指摘することが事実なら、東京の演劇人は芸術文化振興の名の下に、国民の税金を仲間内の失業対策費に、流用し浪費しているとしか思えない。千田是也や浅利慶太が活躍した時代の、演劇人の志は何処へ消えてしまったものか。時代の変転に翻弄されたとはいえ、ただただ無慚の感を拭えないところがある。
 これから活躍しようとしている若い演劇人たちの、奮起を期待するしかないのかもしれない。 

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July,10,2013

7月10日 励まし

 今でもそうだが、野外劇場の公演が終わると、舞台上で鏡割りをする。生酒の入った樽の蓋を、餅つきの時に使う杵で割り、観客全員にふるまうことを恒例としている。舞台上はコップを手にして、背後の池や山を眺める人たちでギッシリ。
 もう30年ほど前、利賀フェスティバルの初期の頃である。20歳前後の若い女性が突然、私の横に立って言った。一緒に写真を撮ってください、私は並んでカメラを見ながら、どこから来たのかと聞く。五島列島の福江島です。高校を卒業し就職先も決まって、もう二度とこんな時間はとれないだろうと決心して来ました。遠かったです。興奮した面持ちで喋る。
 五島列島! 長崎からさらに飛行機や船に乗らなければ、たどり着かない所である。野外劇場での上演時間はおおよそ一時間強、その舞台を見るために消費した時間と金銭を思い、しばらく絶句。むろん、この利賀村だけではなく、ついでにどこかの観光地を巡ってのことかもしれないが、とにかくアリガタイコト、日本のどこから来るのにも、利賀村はホントウニ遠い。ただ一言、アリガトウと言って握手をしたが、その時に、小樽から青森を経由し、新潟で一泊して来てくれた人や、鳥取県の境港市から来てくれた人たちのいたことも思い出す。同じく二人とも若い女性であった。
 当時の観劇料金は一舞台一回で、3,000円から4,000円。外国から招待した劇団の作品とSCOTのそれを合わせるとそれなりの舞台数になる。そのすべてを観劇するとなると、かなりの出費になる。遠い所から来てくれたのだから、出来るだけの公演を見て欲しい気持ちになるのだが、大勢の観客の中には、まだそういう人たちがいるはず。たまたま会話を交わすことになった人だけを、無料でドウゾ! と言うわけにもいかないから、その言葉は口には出せない。そしてなんだか、相手に申し訳ないような淋しい気分の握手になったものである。本当はウレシイ握手なのにである。
 私も若い頃は経済的に貧しかったから、世界的に有名になっている舞台の来日公演を見るのには決心が必要だった。その高額な入場料金を理不尽に感じたりしたものである。滅多に接することの出来ない外国のものだからこそ、低額な料金で見せるべきではないか、それが文化活動というものではないか、そういう主催者はいないのか、などと勝手な理屈を捏ねたりしたが、その頃の気持ちが蘇ってきたりすると、なお淋しい気分を引きずるのであった。その故か、しばらく経ってから暇を作り、福江島や小樽や境港へ行ったりもした。その時の女性に会ってみようとしたわけではない。結婚したり就職したりするはずだから、いつまでも自分が生まれ育った土地に居るとはかぎらない。ただ、日本という小さな島国にも、いろいろな地域があって、いろいろな人たちが暮らしている。そしてそこから、私を応援しに利賀村に来てくれた人たちがいた、そんな実感を確かにしたかっただけのことだと思う。
 福江の市街から離れた海辺に孤独に建つ教会や、小樽の運河の夜景や、境港の小さな商店街の歩道に並んでいた、水木しげるの漫画の主人公の姿は、今でも鮮明に記憶に残っている。自己満足的な想いと言えばそれまでだが、そこで生まれ育った女性たちとその街の風景は、私が利賀村で活動を持続するための、いくばくかの励ましになっていたことは、確かなのである。もちろん、だからといって、彼女たちに一度しか会えなかった淋しさは、消え去ったわけでもない。
 30年近く引きずっていたこの気分、ついに今年から意を決して別れることにした。利賀村での舞台公演のみならず、ここでのすべての活動を、興味を感じてくれた人たちには、自由に接することができるように公開することにした。この利賀村まで到着するための費用を、負担するような財力は劇団にはない。だから、せめてこの利賀村に滞在し、我々の活動に触れたい、それが必要だとする人たちに対しては、対価を求めないことにしたのである。このことが若く貧しい若者たちに、どれほどの助けになるかは分からないが、これが40年近くにわたって、私を励まし助けてくれた人たちの心への、ささやかなお礼になっていればという思いからのことである。先のことは定かではない。ともかく今年は、ガンバッテ、ヤッテミルカ! これが私を初めとした劇団員のいま現在の心境である。

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