新・帰ってきた日本

SCOT ブログ

September,24,2013

9月24日 マムシカレー

 長い時間、他人と生活を共にすることは、シンドイことも多いが、面白いこともある。その面白さの方は、若い人間から与えられることが多い。驚きと笑いである。
 オイ、マダ、デキナイノカ! 隣の部屋、台所に向かって私は叫んだ。モウスコシ、マッテクダサーイと返事。稽古が終わり、劇団員と車座になって酒を吞んでいる時である。村長が劇団の食事の貧しさを見かねたのか、野外劇場の舞台背後の池に鯉を、宿舎として使っている合掌造りの後ろにある小さな池にイワナを、放り込んでくれた。
 酒のサカナが無いので、イワナの唐揚げでもしようということになって、劇団員の一人がそれでは料理をしてきます、と台所へ行った。東大医学部に在学中、劇団に入ったばかりで、俳優志望の男である。30分しても戻って来ない。何かあったかと、台所を覗きに行った劇団員が呆れて帰ってくる。ナニヲシテイタ。これから揚げるそうです。コレマデハ、ナニヲシテイタノダ。私は少しイライラする。5匹のイワナの解剖がようやく終わるところだそうです。何がなんだか分からない。ともかく唐揚げを待つことにして再び吞み始める。
 それからまた30分、もう深夜、ようやく車座の真ん中に5匹のイワナが並んだ皿が置かれた。私は新入りの劇団員に訊く。どうしてこんなに時間がかかった。なぜ解剖なんかするんだ。その答えが予想を越えてオカシカッタ。
 イワナはすぐ捕まったのですが元気がない。病気ではないかと心配になり、解剖を始めたら、イガイニ時間がかかってしまいました。スイマセン、劇団員が食当たりでもすると明日の稽古にさし障りがあると思って。それを聞いた他の劇団員が言う。唐揚げにしちゃうんだから、そんな心配はダイジョウブ。これまでの経験からの言である。もう一人がそれに続けて言う。水がチョロチョロしか流れない池だから、イワナも元気がないのは当然、死んでいなければダイジョウブ。
 私は訊く。明日の稽古を気遣ってくれて解剖を始めた、その配慮と努力には感謝するが、ソレデ、ナニカワカッタノカ。イエ、ワカリマセン、内臓は捨てておきました。当たり前のことを言う。この男は未だ魚を捌いて料理したことがなく、解剖によって初めて魚の内臓と生に接触でき、勉強がてら楽しかったのではあるまいかと私は推測。残ったわずかな酒を等分にコップに分け、明日も頑張ろう、オツカレサマ! 35年ほど前のことである。
 興味の持ち方や経験の違い、個々の生活史からくる行動の差異、世の中にはいろいろな人間がいる。この素朴な事実を絶えず新鮮に感じさせてくれるところが、劇団のおもしろさ。東京での活動と違って、利賀村では共同生活が長いから、些細なことでそれが際立つ。
 当時の劇団の炊事係は3人一組の当番制。ある夕食、カレーが出た。劇団員40人が、ベニヤ板を敷いて食卓の代わりにし、二列に向かい合い食べ始める。しばらくして劇団員の一人が炊事係の女優に尋ねる。野菜と一緒に煮込んであるこの肉はナンダ。女優は嬉しそうに答える。マムシです。劇団員、特に都会育ちの男たちは理解不能という顔をして、一斉に食べるのを止めて、沈黙。困った雰囲気である。ここで私の出番。
 どうしてマムシを手に入れた? 道を歩いていたらマムシを見つけたので、捕まえて皮を剥ぎ、輪切りにしてカレーに入れました。平然と答える。どうやら疲れている劇団員に、精力を与えようとマムシカレーを思いついたらしい。これは善意、イヤガラセデハナイことを確認。
 20歳前後だったこの九州育ちの女優、愛くるしい顔をしている。今やこんなことができる若い女性は、日本には居なくなったのではないかと思うが、この行動には地域色が歴然と現れていて私にはタノシイ。
 食事が終わってから、この女優を呼び尋ねる。他の炊事係に相談してやったことか。いえ、一人でやりました。そうか、これからはナニゴトモ相談してからやれ。ミンナ、オドロクカラナ。ハイ、ソウシマス。ところで、お前の田舎にはマムシはいるのか。ええ沢山。すぐこの蛇はマムシだと分かったのか。ええ、マムシ酒とかマムシの黒焼はよく見かけますし、身体に良いと思って。朗らかである。確かに、マムシの粉末は強精剤として売られている。
 利賀村での活動の初期、村の老人がマムシの入った一升瓶を、私の健康のためにと持って来た。マムシは生命力が強い、なかなか死なない、マムシを酒のビンに入れて3日後に、口をビンにつけて吞もうとして、唇を噛まれた奴がいる、でもこいつはもう大丈夫、死んでいる。楽しそうに帰っていった。初めて見たマムシのビン入り、少し気味が悪かった。この女優の父親もマムシ酒などを造っていたのかもしれない。マムシに脅えなかったのは、そのためだろうと思う。
 日本人の生活スタイルも画一化してきた。それにつれて、生活体験の幅も狭まっているのではなかろうか。未知の生活環境で育った人間だと思え、新鮮な感覚を与えられる若者と出会う機会も少なくなってきた。それだけではなく、専門家であればあるほど、お互いにその世界の仕事に忙しく、興味を感じあっても、すぐそれを行動に転化できないことが多い。少し努力を怠ると、いつも同じ職業か、その周辺の人たちとだけに接触する、惰性的な生活に埋没しそうになる。
 人間に対して驚いたり笑ったりする機会に出会えず、また、それを欲する心を失っていくこと、そうなったら演出家はお陀仏、歳にかまけて鈍くなってはいけないことの一つである。

一覧へ

September,19,2013

9月19日 今更の堅気

 最近はそうでもなくなったが、若い頃に演出した舞台作品を再演したりすると、舞台を見ながらよく思ったものだ。この人は一度は正業についた方がよかったかもしれなかったと。しかしまたその後ですぐ、その気持ちを打ち消すように、長谷川伸の作品「瞼の母」の一場面の台詞を呟いたものである。何の今更堅気になれよう。
 五つの時に母親に離別した忠太郎が、30年近く経ってようやく探し出した母親に、自分の子供ではないと拒絶され、家から立ち去るように催促される。もちろん母親は内心では我が子だとは思っている。母親が我が子と認めない理由は何か。「だれにしても女親は我が子を思わずにいるものかね。だがねえ、我が子にもよりけりだ、忠太郎さん、お前さんも親を尋ねるのなら、何故堅気になっていないのだえ」
 先に引用した言葉は、忠太郎がこの母親に答えた言葉の一部である。親といい子というものは、こんな風でいいものかと思った忠太郎は、「おかみさん。そのお指し図は辞退すらあ。親に放れた小僧っこがグレタを叱るは少し無理。堅気になるのは遅蒔きでござんす。ヤクザ渡世の古沼へ足も脛まで突っ込んで、洗ったってもう落ちっこねえ旅にん癖がついてしまって、何の今更堅気になれよう。よし、堅気で辛抱したとて、喜んでくれる人でもあることか裸一貫たった一人じゃござんせんか」と言うのである。
 何の今更堅気になれよう、これはもっとも気に入った台詞だった。私は演劇活動に夢中になって親から勘当された一時期もあるし、定期的に給料を得るような職業生活をしたことがなかったから、こういう言葉を身近に感じる環境にはいたのである。
 しかし「瞼の母」をよく読むと、この母親もこんな言葉を言えた義理ではないではないかと思える。ただただ金を儲けたばっかりに、やくざの忠太郎が家の身代に眼をつけて、金をゆすりに来たと疑い、突っぱねて追い帰すのだから、忠太郎もあんな弁解をしないで、こう言い返すこともできたはずである。おかみさん、どちらが堅気でござんすかねー。
 堅気とは一義的には、心持ちの真面目さや律儀ということを意味するが、やくざやばくち打ちあるいは水商売などに比して、堅実な職業をさす言葉としても使われてきた。しかし人間の心性としてならともかく、現在の日本社会に真面目な心持ちで務めができて、堅実な職業などというものが多くあるとは思えないから、もし今、この言葉を学校教育の現場で使われたらどんな感じになるのか想像してもみたくなる。
 例えば、いじめや登校拒否の頻発する中学校の卒業式で、校長先生が壇上に立つ。皆さん、卒業してもカタギに生きて行きましょう、と言ったとする。おそらく、生徒の多くはイマサラ、何を言われているのかトマドウに違いない。水商売はさておき、やくざもばくち打ちも、もはや我々の生活に身近ではないから、この言葉は真面目で律儀に生きる精神のことだと解する以外にはない。生徒は、ソンナコト、アタリマエと思うし、この言葉を何回も聞かされたからウンザリダと感じる。そこで今度は突然、正義感に憑かれた一人のカタギな生徒が立ち上がる。そして、いままでサンザン学校を荒れるにまかせておいて、なんで今更堅気になれよう、先生といい生徒といい、こんな風でいいものか、と叫ぶとする。サテ、校長先生はどんな顔をするのか、すべきなのか、これはなかなか難しい場面である。
 もし校長先生が生徒に向かって、先生はショウジキではなかった、君の言うことはホントウダネー、スマナカッタと堅気にやさしく言ってしまったとしたら、この校長先生はPTAや教育委員会ばかりではなくマスコミにも、堅気な校長ではないと逆に激しく叩かれ、職を辞さねばならなくなるかもしれない。そういうことになったら演劇人は、この校長先生を励ましてあげるべきだろうか。国にはぐれた先生がグレタを叱るは少し無理、と。
 なんとも他愛のない<ぶろぐ>であったが、これも今夏のSCOTの新作、失われ消え去った日本人を呼び戻そうとする、母親の幻想を描いた<新釈・瞼の母>に、ノメリコミスギタせいかもしれない。 

一覧へ

September,12,2013

9月12日 アジアへの期待

 SCOTサマー・シーズンが終わった。たいへんな盛況で、新しい試みの目的がよく観客の皆さんに浸透したようで満足している。SCOTの公演活動の終了後、すぐに演劇人会議主催のアジア演出家フェスティバルが始まった。二日の間をおいて、演出家から観客へ変身する。
 日本・中国・韓国・台湾の若手演出家による競演である。ストリンドベリ作「令嬢ジュリー」を共通の上演台本として演出している。貴族の娘が下男と情を通じ、破滅する物語り。それぞれに工夫を凝らした舞台だったが、台本の自然主義的なリアリズムに足を取られ、演出家の想像力の飛躍が弱く、密度も薄い。戯曲の状況を現代社会の人間関係にはめ込もうとし過ぎ。演出家自体がリアリズムの思考から脱していないので、戯曲を現代的な状況に照応させる解釈が目立つ。それがかえって、演出家の世界観の古めかしさを感じさせている。
 もう一つの印象は、演劇集団の舞台上での独自性とは何か、が深く問われていないことだった。日本に於いても顕著なことだが、アジアの国々もアメリカと同じように、演劇の独自性は精神的な同志の集団作業にあり、その集団の持続を支える理念が、優れた舞台作品を生みだす力だという確信が成立しにくくなっていると見受けられた。逆に言えば、演劇人が演劇人であるために戦わなければいけない問題は、どこの国でも共通だということになる。どこの国のどんな演出家が、演劇人にのしかかっているこの世界的な課題を突破して登場するのか、私にはこのことを実現させうるのは、アジア人しかありえないという妄想に近い信念のようなものがあり、このアジア演出家フェスティバルは楽しみになってはいるのである。
 このフェスティバルも終わり、現在は「リア王」の稽古をしている。SCOTの俳優だけではなく、リア王の三人の娘と重要な登場人物の一人グロスターは韓国人俳優によって演じられる。韓国の俳優がそれぞれに個性的で稽古は楽しい。
 この舞台は今月末に利賀村で上演し、来月の初旬には韓国のソウル国際舞台芸術祭で上演する。その後、武蔵野市の吉祥寺シアターでも上演するが、その公演の時のリア王は、ドイツ人俳優が演ずることになっている。ドイツ人俳優はかつて吉祥寺シアターでこの役を演じているゲッツ・アルグス。私がギリシャの古代劇場エピダウロスで、アイスキュロスの「オイディプス王」を上演した時に、オイディプスの役も演じている。力と魅力のある俳優である。吉祥寺ではドイツ、韓国、日本の三カ国語が激しく飛び交う珍しい舞台になる。かつてアメリカの俳優も加わった四カ国語の「リア王」を創ったことがあるが、その時と比べて、三人娘を韓国人に統一したことや舞台上で語られる異言語のバランスなどは、意識的にしたつもりである。
 いずれの俳優たちもスズキ演劇の本質を理解している人たちだから、違う言語を話しても舞台上での違和感はない。こんな多言語による舞台は、思いついてもなかなか実際に実現できることではない。私の呼びかけにいつも、即座に応じてくれる俳優たちに感謝している。世界中、特にアジアの演劇人が気持ちよく参加してくれているという実感は嬉しい。ただそれだけに、世界中から参集してくれる演劇人たちに、満足の思いを抱いて帰国してもらうためには、イマ、スコシノ、キリョクノ、ジュウジツヲ! と我が身に言い聞かせている昨今なのが、ショウジキなところである。 

一覧へ

2017

2016

2015

2014

2013

2012

2011

2010