新・帰ってきた日本

SCOT ブログ

February,27,2014

2月27日 トロイアの女

 今月の16日にインターナショナルSCOTの「建築家とアッシリアの皇帝」の稽古が一区切りした。劇団員はそれぞれの国へ帰った。昨日は中国の劇団の「マクベス」の稽古が終了。明日は北京に帰ってしまう。両方とも夏のシーズンに発表する公演の準備稽古。朝の10時から、夜の10時まで、食事以外の時間は稽古をしていた。
 3月に入ると、同じように稽古をしていたSCOTの劇団員も、三々五々と休暇に入る。昨年の秋から今月まで、ずっと忙しかったから、オツカレサマである。しばらくすると、私一人だけが利賀村に残る時がくる。その時は、独りで何をしようかなどと考え始めたが、こんなことは久しぶり、チョット、サビシイカナ、などと思ったりしている。
 それにしても、今冬の寒さは厳しかった。雪は例年に比べて少ないのだが、少し油断をすると、炊事場や風呂場の水道が凍って使えなくなる。飼育している貂や狸や穴熊の桶の水も、底まで完全に凍っていることが多かった。毎朝お湯を注いで溶かすのに苦労。
 しかし、そんなことにだけ多くの時間を費やすわけではない。一日は24時間、そのうちのホンノわずかな時間である。独りになったら、2階の窓からボンヤリと外を眺めていることもあるか、などと思ったりする。雪が少なかったといっても、まだ2メートルは積もっている。楽しみがないわけではない。
 窓の外は凹凸はあるにしろ、一面はゆるやかで滑らかな白、実に優雅な雪景色。朝起きて、その純白な地面を眺めると、いろいろな形の窪み、動物の足跡があって、ケッコウ、アキナイ。鹿の足跡は2つ、兎や狸は4つ、貂は5つだが、後足と前足の歩幅はそれぞれに違う。貂は前後の足跡が少し重なるので、遠くからは一本足の動物のそれのように見えたりする。それに直線で歩くだけではなく、行ったり来たり、グルグルと円周を描いて遊び回ったような足跡のこともある。それも必ずしも一匹とは限らない。自分は動物と共生していることが良く分かる。
 今年のSCOTサマー・シーズン、いよいよエウリピデスの「トロイアの女」、私の名前を初めて世界的にした舞台を再演することにした。ほぼ25年ぶりである。少し遠ざかり過ぎたので、もう一度戯曲を丁寧に読み直すことを考えている。「トロイアの女」は1974年、私が34歳の時に、東京神田にある岩波ホールで初演している。当時の岩波ホールの総支配人高野悦子さんの要請で、私は芸術監督に就任した。その時の第一回公演であった。
 出演者はSCOTの劇団員、白石加代子、蔦森皓祐などの他に、能の観世寿夫、新劇の市原悦子が加わっている。古典芸能の源流である能、ヨーロッパの影響の下に誕生した日本の現代劇の主流である新劇、国際化時代に対応する新しい日本の演劇スタイルの確立を目指した現代前衛劇、それらを代表する俳優の競演であった。異なっている表現世界の演技が舞台上で実際に出会う、演劇史上の初めての試みで、当時としてはタイヘンな話題を提供した。観客の動員数も見事なものだった。もちろん、舞台の話題性だけがそれを実現したのではない。アカデミックで、オカタイ出版社、日本社会の近代化の重要な一翼を担った書店が、演劇の興行にかかわったことへの社会的な興味にも支えられていたことは言うまでもない。
 今度の「トロイアの女」、果たしてどんなことになるか、社会状況も私自身の演劇への考え方も、当時とは大きく変わっている。鮮やかな変身を遂げて、観客の皆さんに刺激を与えるような舞台ができることを願っている。この3月の独りの時間は、その心の準備のためのものになるのかもしれない。 

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February,26,2014

2月26日 新・或る男の一日

 男は思った。これは4年に一度のことだからな。そしてすぐ自分に言い聞かせる。一生に一度のことかもしれないのだ。隣の部屋では女房が、ウルサイ、ネラレナイヨー。興味がないということは、眠気を跳ね返す力をあたえない。亭主の気持ちにたいする共感もない。30年も連れ添ったのに、まあ仕方がないか。こんな調子では、いずれ歳をとったら粗大ごみ扱いだな、男は音量を小さくし、顔をテレビに近づけ凝視する。そして冷たくなったお茶をゴクリ。
 今年の選手はよくヒックリカエル。テレビのコメンテーターが言う。これがオリンピックの魔力です。バカバカシイ。高度な緊張が精神と身体のコントロールを狂わすに過ぎない。実際にフィギュア・スケートの上位の入賞者は、そうヒックリカエッタリはしていない。よくヒックリカエッタのは日本人選手、ショートに出場した女子はそうだった。
 ショートの時は、その才能の片鱗も出せなかった浅田真央、フリーでは頑張った。演技中の必死の顔と終了直後の涙、そして笑顔、カワイイ。日本人の大好きな女の典型だと男は思う。そして、ツブヤク、この子はいつまで経っても真面目さが、トリエダナ。
 しかし、真面目すぎると技術の正確さと純度にコダワル。ニッポンジンは俳優でも演奏家でも、技術的にはすぐ高度なレベルを習得する。偏差値教育の成果と同じ。記憶を思い出したり応用したりする知的技術、用意された問題を整理するのは得意、しかし、それが人間の魅力を生み出すこととは関係がない。優れた技術的な能力と、自分の人間としての魅力を構成して見せる力とは別のもの。それが身体の世界の芸術度。その両方を身につけるのはなかなか難しい。
 キム・ヨナの生意気な目付きと表情のない顔、それでいて演技中はしなやかな身体から色気を出す。これはフリョウダ、身体から滲み出る自分の魅力を自覚して、優雅にウッテイル。マジメナ真央とは対照的。男はいままでこのフリョウの魅力が好きだった。しかし今度は引き裂かれ迷っている。ドッチニ、シヨウカナ。キム・ヨナの色気もトウガ、タッテキタシ、意識し過ぎてマンネリかも。
 いつの間にか女房が後ろに立っている。ドッチガ、カッタンダイ。キム・ヨナに決まっている、真央はショートで失敗したんだから。じゃあキム・ヨナが一番かい。一位はロシア人だよ、へえー、じゃあ二人とも引退だな、そしてトイレに行き大声で、ワタシハ、ネルヨーと部屋に戻る。無責任な発言をしやがって、ワタシハ、とわざわざ言うところがイヤミ。オレモ、ヨクツキアッテキタ、お茶ぐらい入れたらどうだ、と思うのだが口には出せない。
 男はドット疲れを感じる。時計は朝の5時、久しぶりに不思議な時間を過ごした。これだけ集中できれば、オレモ、マダマダワカイ、男は年寄りになった証拠ともいうべき納得の仕方をして、ベッドにもぐり込んだ。 

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February,15,2014

2月15日 食う

 お盆の休みに田舎の実家へ戻った若い女優が帰ってきた。どうだった、ノンビリシタカ。第一声だから私も常識的。女優は、モウ、イヤニナッチャイマシタ、ぶっきらぼうに言う。私は更に常識的、久しぶりだからお母さんも喜んだろう。喜ぶのはいいんですが、アレヲ食え、コレヲ食え、と毎日毎晩御馳走を出すんですよ。人間は身体が元手だからと、ウルサイ。セッカク、ヤセタノニ。話しているうちに、本当に不機嫌な顔になる。私は呆れて、お母さんも可愛想にと思う。私にも責任の一端があるかも、お母さんに申し訳ないような気にさせられる。
 私の若い頃は世の中は貧乏そのもの。寿司や鰻の出前はタイヘンナ御馳走。それに加えて母親が更に手料理をして、食べ物を付け加えてくれるなんて、涙を流さなければいけない事態なのに不機嫌になるとは、ニッポンジンにあるまじきことなのである。
 石川啄木に、ふるさとの山に向かひて、言ふことなし、ふるさとの山はありがたきかな、という短歌があるが、ふるさとの母に言ふことなし、ふるさとの母はありがたきかな、とは、モハヤ、イカナイラシイ。しかし、ふるさとの母はウルサイとしても、ウルサイ母親が存在するだけでも、シアワセと感じなければならないニッポン、になっているのではなかろうか。年寄りの私はヤハリ思う。
 ロシアの劇作家チェーホフに、人種差別を主題とした作品、「イワーノフ」がある。主人公のイワーノフは理想に燃え、社会活動に精をだし、その揚げ句に全財産を使い果たしてノイローゼ気味になっている。彼の奥さんはユダヤ人だが、この結婚も差別を乗り越えようとした理想の所産。しかし今や、若いロシア女性と親しくなり、ユダヤ人の妻を虐待するので、家庭は悲惨な状態にあると、郡内の人々は噂する。一人が言う。イワーノフは女房を穴倉へ閉じ込めて、「こん畜生、ニンニクでも食え! と言うそうだよ。食うわ食うわ、げんなりするまで食うんだとさ」
 ニンニクの臭いがあたり一面に漂いそうな光景だが、見てきたように語られる噂話には、その基底に人間を差別する感情があることが多い。それが食べものや食べる場面で表現されてくるのが面白い。チェーホフの面目躍如である。
 最近の日本でも、食べることにまつわるケッサクな事件があった。大阪の交番の巡査部長が後輩の巡査に、大量の食料を食うことを強要した。その理由は、部下を鍛えたかったことと、嫌な顔をするのを見たかったのだそうである。
 一度にハンバーガー15個のこともあれば、ドーナツ15個、あるいは大盛りのカップ焼きそば3個のこともあったとか。ただし、その食料費は自腹、先輩としてはケチな話だが、一人の警官はひたすら食い、もう一人の警官はそれをジット見ている。この光景はなかなか面白い演劇的な場面である。後輩の巡査は体重が73キロから88キロに増え、ついに大阪府警に相談、巡査部長は訓戒処分を受け退職した。新聞記事によれば、これに似たことは機動隊とかでもあるらしい。チェーホフだったら、この事実をどう料理するのか、興味が湧く。
 若い女優の母親は、喜ぶ顔を見たくて大量の食べ物を用意し、イヤガラレタ。大阪の巡査部長は、イヤナ顔をするのが見たくて大食いを強要して喜んだ。シリアやアフリカでは内戦に巻き込まれた子供たちが、なにも食べることのできない日々を送っている。わずかな食べ物を手に、必死な顔付きで食べている映像をみているうちに、不思議な人たちが生きている国もあることを、改めて思い出した。
 

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