新・帰ってきた日本

SCOT ブログ

May,30,2014

5月30日 失礼な人

 「シンデレラ」上海公演の初日の幕が24日に開いた。この「シンデレラ」は親子で楽しく観劇できるような芝居をと2年前に創った。しかし一方では、私の考えられる限りの演出手法を駆使してみて、演劇の専門家にも観てもらいたいという気持ちがあった。幸いインターネット上では、上海の演劇人は、ミナ、ミルベキダ、という声もあって喜んでいる。しかし中には、私の飛躍の多いコラージュ的な演出手法に戸惑い、疑問を呈する人も当然いる。
 俳優たちは殆どが20代、しかし中国全土からオーディションで選ばれているので、それなりの意欲と力量がある。むろん、私の訓練をそれほど長く経験しているわけではないから、未熟さは残っているが、これからの人たちであることは確かで、この短期間にと、私としてはむしろ励まされた。
 今回の公演は上海戯劇学院の谷亦安教授がプロデュースしてくれた。この公演に並行して、私の演劇理念と訓練をめぐっての国際シンポジウムも開催してくれた。中国、日本はもとより、アメリカ、ロシア、イタリア、デンマーク、シンガポール、オーストラリア、リトアニア、台湾など、世界の各地で私の演劇理念や訓練を教えたり、演出している人たちが招聘され、2日間にわたって私の演劇活動について、公開の討論会を開いてくれた。日本では考えられもしない規模の催しと、充実した内容の企画が中国で実現している。この事実をどう受け止めるべきか。谷教授にはただただ感謝である。
 谷亦安教授は私の演劇理念と活動の独自性を良く理解してくれている。私の訓練や舞台に興味をもつ外国人は、日本人でもそうだが、演劇だけのことしか考えていない人が多い。私の訓練方法によって俳優の演技力を高めたいとか、共同制作をしたいとか。その点では、谷教授は最初から入射角が違っていた。
 私の理念と仕事をグローバリゼーションの文脈の中で理解している。私の理念と利賀村での具体的実践が、現代社会でどのように重要な存在意義を有しているか、そして現在の中国社会にも必要であること、その広め方はどうしたら良いかに腐心しているのである。そして現代社会批判としての私の活動を、中国のみならず全世界に理解させ、広めなければと考えている。違う言い方をすれば、私の演劇活動の精神を、社会活動あるいは世直しの一環として本質面でとらえてくれている。こういう人が、日中間の政治的な緊張の激しいこの最中に、中国から彗星の如くに現れたのは仰天である。
 今年の初頭、彼の案内で浙江省の紹興市の魯迅の生家に行ったことがある。現在は国指定の博物館のようになっている。あまりに立派で大きな家、しかもチョットしたパフォーマンスも上演可能な舞台も中庭にある。魯迅と言えば明治時代に日本にも留学し、中国近代文学の父とも言われる人である。一家全体が中国を代表する知識人として尊敬された。
 私が感心して家屋を眺めていると、谷教授が傍らで呟いた。昔の中国の知識人はお金持ち。今、中国でお金持ちの人は、失礼な人ね。私は笑いながら上手いニュアンスのある言い方だと思った。シツレイナヒト、これは日本社会でも同じだと感じる。谷教授の失礼は行儀のことではない。人間=他人に対する精神的な態度のことである。
 最近の日本社会では金持ちだけではなく、知識人すらも、失礼な人になっているのではあるまいかと危惧する。 

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May,25,2014

5月25日 泣いちっち

 1964年<昭和39年>東京オリンピックの入場式は中目黒の電気屋の店頭で見た。ようやくテレビが普及しだした頃だが、私はまだテレビを購入していなかった。世界にはこんなにも姿形の違う人間がいるのかと、恥ずかしながらチョット涙が出た。スポーツ競技自体には、それほどの興味はなかったが、世界からこの日本に、多くの人たちが集まり一緒に居る、このことにイタク感激したらしいのである。他愛のない話だが、この性向は今でも変わらない。色々な国の人と居ると日本人とだけよりはシミジミと元気になる。外国や外国人に憧れがあるということではない。日本にウンザリすることは多いけれども、外国の特定の国を日本より好きだと思ったことは一度もない。ともかく、シミジミと元気になるのである。
 今から50年前の東京オリンピックを境に、日本の社会は大きく変わったと言われる。新幹線の開通もこの年である。オリンピックを招致開催できる大都市が、日本に出現したのだから当然のことだが、その10年前に、日本の社会の人口構成は大きく変わった。第二次大戦終了後から10年を経た1955年には、日本の都市人口は農村人口をすでに越えてしまっている。1960年代の経済の高度成長期には、都市人口は日本の全人口の70%を越える。第一次産業<農業、林業、漁業>は衰退し、日本は都市型工業社会に転換したのである。
 この頃から日本の民族大移動、日本海側や四国などの山村から太平洋側の都市への人口移動が激しくなる。秋田県などは年間5,000人もの人口流出があった時がある。その結果、全国各地に過疎と呼ばれる地域が出現した反面、日本は教育の画一化に成功し、経済大国を形成する規格型の産業戦士が大量に生産された。そして日本は、つかの間の経済大国になる。
 2020年には再び東京でオリンピックが開催される。この間54年、60歳以上の人だけが、この二つのオリンピックを肌で経験することになる。10年ひと昔ではなく、3年ひと昔の時代に、6年も先のことを予測するのはとても難しいが、はたして再び、多数の外国人の存在を新鮮に感受し、その来日を感激して受け止められるのかどうか。シミジミと憂鬱になるようなことのないのを願うのである。1964年の東京オリンピックの開催に、日本中の国民の殆どの心が興奮していた5年前、一方ではこんな流行歌も歌われていた。
 僕の恋人、東京へ行っちっち、僕の気持ちを知りながら、なんでなんでなんで、どうしてどうしてどうして、東京がそんなにいいんだろ、僕は泣いちっち、横向いて泣いちっち、淋しい夜はいやだよ、僕も行こう、あの娘の住んでる、東京へ。
 浜口庫之助作詞作曲の「僕は泣いちっち」の歌詞である。なんともストレートで笑えるし、なぜこんな歌が流行したのか、本当だったのかと、今にしては不思議な感じのするものである。2番の歌詞によると、結局この男は地域に残り、お祭りなんか嫌だよ、僕は思う、遠い東京のことばかり、と自分の気持ちを淋しく告白するのである。
 これから来る社会での行動的な女性、あるいは時代の雰囲気に乗り易い女心を思わせられる一面もある歌だが、いずれにしろその反面、男はこれからの人生の淋しさに耐えなければいけないよ、と50年前の流行歌に忠告されているような気もして面白い。 

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May,15,2014

5月15日 久しぶりの想い

 自由とは偶然を必然のようにしてしまう意識だ、トカナントカ言った人がいたが、私のような職業では、ソウ、カンタンなことではない。論理性のない偶然だらけの現場だから、むしろ、対象との関わりを必然のようにしようなどとする心掛けを捨てるのが、精神衛生上には手っ取り早いと感じることも多い。
 演劇作品の生成過程は偶然の連続、むろん、その偶然の中に大発見に連なるものもあるが、ソコハソレ人間関係の世界、何が起こるかは予測できない。しかも大方の偶然は、弛んだ日常の人間関係から生起してくるから、濃密な集中力のある空間を現出させようとするには、ソレナリの気力が要る。偶然性に柔軟に対応する強いエネルギー、それを振り起こさなければ惰性に負ける。或る種の<タマフリ>魂振りが必要である。
 久しぶりに早稲田大学の大隈講堂の壇上に立つ。早稲田大学主催のトーク、かつて私の劇団が建設したものと同名の劇場<早稲田小劇場>を、早稲田大学が再建することになり、その起工を記念してのトークショーに招かれたのである。
 劇場は来年の春に完成する。むろん私は、大学在学中に演劇活動の経験のある鎌田薫総長から、名称の使用を直接に申し込まれ、喜んで承諾したが、劇場の設計や建設後の運営方針などには、何も関わってはいない。私が再び新しい早稲田小劇場に関係するかのように思っている人たちもいたようだが、それは誤解である。
 多数の学生から質問を受ける。彼らと私とでは、演劇という言葉からくる実体的な像が違う。むろん、日本の演劇人の大半とも、私の演劇に対する接し方は違っている。だから予測できなかったことではないが、多くの質問は私の演劇とは関係のないこと、日常の偶然に出会っているような印象だった。そして日本人の演劇像は、趣味的な行為のそれに近くなっていると感じた。演劇という文化的な制度が、国家や宗教あるいは政治や犯罪などについて、その問題点を考察するために存在してきたとは考えられてはいないのである。話題は小さく元気がない、日本人は、ヘイワボケ、カナ?
 大隈講堂の一階席は満員、二階席にもチラホラ聴衆がいる。ウッカリスルト、全員で元気がなくなる、そして会場全体の雰囲気は沈む。私はエイヤ! と魂振りをして、デカイ話をした。演劇は共同体の娯楽=宴会芸能であってはいけないと。
 私にとって演劇とは、日本と他国との関係について考え、日本の独自性とは何かを究明するためにあった。集団と身体と言葉、これらに身を浸しながら、自国の人だけではなく、他国の人にも接することのできる演劇活動は、日本の在り方や自分の生き方について、コレデ、ヨイノカ! と議論する形式の一種であった。演劇はギリシャ以来二千数百年、ヨーロッパでは社会的混乱が激しくなると、人々に必要とされるコミュニケーションの形式として活性化した。私はこういう社会的表現活動の在り方の一つを選択したので、音楽や美術などと同じような、個人的な芸術活動だと考えているわけではない。
 日本の現代演劇の社会的な地位は低い。EU諸国は言うに及ばす、アメリカやロシアや中国や韓国ですら、国公立の劇場と劇団は存在する。それに付属の教育機関がある。例えば、フランスのコメディー・フランセイズやロシアのモスクワ芸術座は、国立劇場であるが、施設を意味するわけではない。この名称は劇団や演劇人を養成する芸術機関のことで、日本の新国立劇場のように建物だけがあるわけではない。
 もう何年前になるか、南京で国際演劇協会の大会が開かれた。そのオープニングに「シラノ・ド・ベルジュラック」の上演を依頼され、南京前線大劇院という名前の大劇場で公演した。その劇場は中国共産党の軍隊の劇団の専用施設、俳優から劇場のスタッフ、事務局員までが勲章を胸につけていた。ナンノタメニ、ナゼ、ナイヨウハ、と興味をそそられるが、演劇活動が思わぬ所にまで浸透しているのには驚く。日本の自衛隊が劇場を所有し、演技の訓練をしている図は想像できないのである。
 日本には、公的な演劇人専用の劇場も、演劇の専門家を育てる本格的な教育機関もない。演劇は未だ、国家の文化政策の対象外に存在するの感を免れない。多くの先進諸国で、国家の精神的な基軸の形成に、議論を通して関わってきた演劇、日本ではそういう演劇活動の姿は消えている。
 早稲田大学の今回の劇場建設が、歴史的かつ国際的な文脈の中で、演劇活動の本質を活性化させることに貢献できることを想う。 

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