新・帰ってきた日本

SCOT ブログ

June,28,2014

6月28日 アジアの拠点へ

 久しぶりに朝寝坊をした。劇団の食堂ボルカノは終わっただろうからと、一人で食事をする。そこへ台所の裏口から事務局長が入ってくる。シツレイ、シマース、昨日アップしたブログのコピーを手にしている。すぐ私の所へ来るかと思いきや、私もコーヒーを戴きます、と台所からの声。しばらくして、左手にブログのコピー、右手にコーヒーカップを持って私の前の椅子に座る。ソロソロ夏が来ましたね、トカナントカ。
 こういう時は、タイテイ何か注文がある。私はその気配をかわして窓の外を見る。この時間は池の向こう、山裾でタヌキがコチラを見ながらウロウロする。動物も子供の頃は可愛いけれど、大人になるとどうもね、トカナントカ。
 おもむろに事務局長が口を開く。昨日のブログは、コレハ、コレデ、イインデスケド、ゼンタイトシテノ……私は遮って、他の演目のことも書かなければな、特に今年はアジア芸術祭が始まることだし。よろしくお願いします。さすが年の功、余分なことは言わない。イッキにコーヒーを飲み干し、帰っていった。
 私も今夏の企画の特徴を何か書かなければとは思っていた。しかし、SCOT倶楽部の会友にはすでにチラシも郵送されたようだし、ホームページにはプログラムが詳しく紹介されている。それに私のブログを見るような人に、いまさら宣伝もないだろうという気もしたので怠けたのだが、ただ一言すれば、この利賀村の存在を、アジアの文化拠点として広く知らしめたいとする気持ち、それを具体的にする第一歩を踏み出したのが、今夏の企画だとは思っている。
 中国や韓国との政治的緊張は今後も高まることが予想される。そういう中で、この利賀村の活動の素晴らしさは、中国や韓国の人たちにも浸透し、羨望とともに民族、国境を越えた財産として支援される対象になってきたような気もしている。それぞれの国で、これから重要な役割を担うだろう文化界の人たちが、続々と集まりだしたから感じることである。
 利賀村での活動は今年で39年目になる。つくづくと、持続は力なりという言葉の真意を噛みしめている。はたしていつまで、利賀村が日本という国を越えて、愛され尊敬される場所として存続するのか、廃墟にしないためのあらゆる工夫はしなければならないだろう。
 利賀村での催しはすべて、入場料の設定はしていない。好きなものを好きなだけ観ていただきたいし、利賀村に少しでも長く滞在し、この環境の素晴らしさを体感してもらいたかったからである。日本にもこんな所が在ったのかと。
 昨年から始めたこの方針、多くの人の賛同を得て有り難かった。私たちの活動への期待を改めて感じたし、一面では大きな責務を背負ったと、身の引き締まるところもある。この期待に、ドコマデ、イツマデ、応えられるのか定かではないが、ともかく全力で疾走する以外に術はないと覚悟はしている。
 正直に言って、いままでの38年間には幾度か、逃げ出したい気分になったことはある。しかしその度に、この僻地ともいうべき場所に、日本のみならず世界各国から来てくれる人のことを思い、踏みとどまることができた。そういう点からすれば、この利賀村での私の活動は、これまでに来村してくれた人たちが支えてくれたのだとも言える。
 たった一人でもいい、お前の活動は自分の人生の励ましになっている、と言ってくれる人が居れば、逃げ出したいなどという気持ちは二度と起きないだろうと、今は思える。 

一覧へ

June,27,2014

6月27日 ヘカベの言葉

 もうそろそろ書いてください、事務局の女性に催促される。確かに今月はまだ一回。少し疲れてね、ネタを探すのもタイヘンなんだよ、と怠け心の弁解。実際もう4年以上も月に3回は欠かさずに書いてきた。何を書いたか自分でも思い出せないぐらい。一覧表を見ても執筆した文章の表題と中身が結び付かない。約束ですよ、夏の宣伝、と念を押される。
 こんな山の中の活動は、ネットでも使って宣伝しなければ誰も見向きはしません、それはチュウサン(劇団員の私への呼称)の役割ですから、ダト。もう昔のコトだが、私も田中角栄元首相が地元の新潟県の人たちに、公共事業の陳情をされた時に言ったといわれる言葉、ヨッシャ、ヨッシャを連発して引き受けた記憶はある。
 霞ヶ関のことなんかどうでもいいですからね。前回書いたブログ「激甚災害」のことらしい。残りの2本はウチ=劇団のことにしてください、残りは4日ですよ。よほど気になるのか余分なことを言う。私にとっては「激甚災害」だって、利賀村の宣伝のつもり、芝居よりも利賀村がどんな所か、興味をもって貰うのも大切なこと、ナノダ。
 今年のSCOTサマー・シーズン、私の演出作品が4本もある。ひとつはつい先頃、上海で上演した中国人俳優による「シンデレラ」、それにSCOTの劇団員総出演の「シラノ・ド・ベルジュラック」、「トロイアの女」、「からたち日記由来」、である。「トロイアの女」の初演は私が35歳の時、40年も前である。当時そのままの演出を、再現する気持ちにはならないのだが、さりとて、原作の主要な部分の台詞は同じように使用している。一度は上演したものを新しく見直す稽古は、苦労の連続である。
 岩波ホール演劇シリーズ第一回で公演したこの「トロイアの女」、トロイアの王妃ヘカベが主役である。トロイアが落城し、成年男子ことごとくが殺害された後に、女性たちは奴隷としてギリシャに連れてゆかれるために一カ所に集められる。トロイアを去らねばならぬその直前、燃え尽きたトロイアの城を眺めながら、王妃ヘカベは一族の非運と女性たちの不幸、さらにはいつの日かのトロイア再興への思いを語るのである。
 このヘカベの台詞の数々が気に入って、私はエウリピデスのこの戯曲を演出する気にさせられたのだった。特に松平千秋さんの翻訳が名訳・名調子、神西清訳のチェーホフのそれと同じように、声を出して大声で語りたくなるようなもの、と言うより、名優によって聴かせてもらいたいと思えるものだった。
 ギリシャ人らよ、そなたらの槍の誉れは高くとも、心ばえはとてもそれには及ばぬと見える。全体、この幼い子どもの、どこが怖ろしいといって、またしてもこんなむごい殺し方をしたのじゃ。この子が亡んだトロイアを、いつか建て直すとでも思ったのか。ヘクトルの運がまだ尽きず、なお幾万の軍勢があってすら、われらは戦いに敗れたのに、城は落ち、ブリュギア勢も潰えた今も、これほどの幼な子を怖れたとあっては、さてさてギリシャ人の面目は丸潰れではないか。理りもなく怖れるのは見苦しいことじゃ。
 いつだったか同じく、トロイアとギリシャの戦争に材をとった、ハリウッド製作の「トロイ」という映画を見たことがある。アメリカ映画の常套、例によって戦場にもかかわらず、甘ったるいラブシーンが度々と出てきてマイッタ。それも敵同士のソレである。しかしそれよりも、トロイアの領主プリアモスは登場しても、王妃ヘカベはチラッとしか顔を見せず、一度も喋らないのにはガッカリした。
 上記のヘカベの言葉は、ベトナムやイラクやアフガニスタンなどの弱小国を爆撃し、無数の一般市民を殺害しまくりながら、自分たちは世界の警察官であるかのような言動を繰り返すアメリカの指導者にこそ、必要とされるものではあるまいか。 

一覧へ

June,15,2014

6月15日 激甚災害

 上海から利賀村に帰る。ここ一週間は雨ばかり、裏庭の池に降りしきる雨を見ながらチェーホフの言葉を思い出す。雨が降ったら雨が降ったとお書きなさい。激しくとか寂しくとかシトシトとか、余分なことを言わないほうが良い。これは舞台上の演技も同じ。ニュアンスを付け加えたくなったり、チョット誇張をしたくなったり。だからといって、行政官や学者の文章のように、アジケナク、空虚になりたくはなし。
 もう30年以上も前になるか、利賀村の村長と二人で、雨の中を歩いていたことがある。両側を山に挟まれ、わずかに残った平野部の中央を流れる百瀬川は、濁流が渦巻いている。立ち止まって川面を見つめていた村長が呟く。人が死なない程度に、激しい災害でも起こらないかな。そして、私の顔を見て笑う。私は返答に困って、ただ黙って横顔を見つめた。
 東京から活動の拠点をこの利賀村に移したばかりの頃である。風貌も年齢も、死んだ私の父親に似ている村長、軍人として満州にも出征し、負傷している。戦前、戦後の価値観の変転の中を苦労して生き抜いてきた雰囲気は、その身体に染みこんでいる。その村長の言葉の意味は、若造の私には咄嗟には分からない。自治体の長が災害を望んでいる、それも激しい災害をである、キミョウ! しかし実際のところ、私はこの村長の言葉に感動させられて、40年も利賀村に居ることになった一面がある。村長という立場の苦しさの一端を垣間見たと思ったのである。
 激甚災害の指定を受けると、復旧事業のために国から高額の補助金がくる。通常の財政援助より金額は嵩上げされる。税収が少なく財政力も弱い自治体にとって、これほど有り難いことはない。公共事業の裏道、人の行く裏に道あり花の山である。この時の利賀村の村長は、河川が氾濫し道路は決壊、田畑の冠水や山崩れで農業や林業が打撃を受けること、それが村の経済を活性化すると考えていた。
 自治体のトップが、災害が起こることを希求する、そしてその災害は、人が死なない程度であってほしい、私はこの言葉の胸の内にホロリとさせられた。自然災害という偶然性に期待し、補助金という他人の税金に依存する、それまでの私がまったく知らない、と言うより、対極にある人間の生活とその環境を目の当たりにしたのである。またそれだけではなく、少し大袈裟になるが、日本を生きるという実態の一端に触れたような気もしたのである。
 それから40年近く経った。その間に日本の首相は24人も代わっている。皮肉なことに、首相は代わっても日本は何も変わっていないように思える。偶然性に期待し、金銭的に強い者へ依存すること、それによって自らの環境を変化させたいと願う体質、これは最近でもよく見かける日本国家の体質でもある。しかし、こちらの方はホロリとさせられるのではなく、むしろオコレテクル。
 「世界的に予測のつかないICT分野において、破壊的な地球規模の価値創造を生み出すために大いなる可能性がある奇想天外でアンビシャスなICT技術課題に挑戦する人を支援。閉塞感を打破し、異色多様性を拓く」
 上記の一文は、独創的な人向け特別枠、<通称・変な人>を支援する事業、総務省情報通信国際戦略局技術政策課が発表した事業概要の頭に出てくる。文中には、イノベーションについてのスティーブ・ジョブズの英語文も引用されている。支援金は上限300万円だそうである。破壊的な地球規模の価値創造? ソレデ、300万円? 失笑しながら、ジブンデ、ヤレ! と言いたくなる。
 こういう内容のない誇張した日本語とナマイキな態度に触れると、総務省は解体するか、これに関わっている人たちは日本を離れるか、早くあの世にでも行ってもらいたいと思う。ここには偶然性と他人に期待し依存することが生んだ典型的な体質が虚ろに表れている。この体質の人間が、日本存続の生命線はITと英語だと思い込んでいる。こういう人間たちが使っている日本語とそのイイキナ態度が、いかに日本を滅ぼしているかに、政治家や文部科学省の幹部は思いを致すべきである。
 この人たちの言葉には、村長の言葉に在る真面目な心情の苦しさがない。残念だが、ツクヅクト言いたくなる。人が死んでもよいから、霞ヶ関に激甚な災害でも起こらないかな。そうしたら日本は、今より少しはマシになるかもしれない、と。 

一覧へ

2017

2016

2015

2014

2013

2012

2011

2010