新・帰ってきた日本

SCOT ブログ

August,20,2014

8月20日 妄想

 私が別役実、斉藤郁子、蔦森皓祐らと共に、早稲田大学の正門近く、新宿区戸塚町に早稲田小劇場を建設し、同じ名前の劇団を結成したのは1966年のことである。その後この劇団は1976年に、活動の拠点を利賀村に移し、劇団名をSCOT<Suzuki Company of Toga>と改称し現在に至っている。
 早稲田小劇場を結成した1966年を劇団の誕生日と見做せば、SCOTは今年で49年目の歴史を迎える。来年は50年、まだしばらくは、活動を持続できる可能性があることを考えると、劇団としては相当に長い時間を生き延びることになる。半世紀を越えるのである。
 現在の利賀村の地には、劇団が借り受け、専用的に使用している劇場が六つある。今や利賀村の人口は600人弱だが、人口100人に一つの劇場が存在する珍しい村になっている。しかもその劇場は、どれをとっても日本が世界に自慢できるユニークなもの、アメリカの演出家に言わせれば、世界演劇界に奇跡が起こっているのだそうである。
 ずいぶんと昔だが、作曲家の三枝成彰とシンポジウムに同席したことがある。彼は劇場とは人口の多い都会に存在すべきものであることを力説していた。多くの観客の存在と収益性を前提にしての発言である。私が活動の拠点を過疎村に移したことを、意識した発言でもあったと思う。
 劇場とは人口が密集する都市が必要とするという視点は、たしかに近代市民社会が成立して以降の一般常識であろう。人間関係が緊密になり、理解不可能な人間的行為、犯罪などが頻繁に身近に起こり、人間関係とはどんなものであり、どうあるべきかを問う必要性が生じ、その役割の重要な一端を劇場が担ったことを、私も否定はしない。またそれのみならず、演劇が抑圧的な人生からの、一時的な解放を楽しむ娯楽の形式としても成立し、劇場が経済的な利益をもたらす活動の拠点になったことも認めるのである。
 しかし、演劇活動の社会での役割はそれのみではない。人間集団を支える精神と国土のバランスや豊かさ、それを維持するために重要な働きをもするのである。利賀村の劇場群はそういった社会と演劇活動の関係を踏まえて誕生したものである。それはかつての宗教心の涵養や教育の場、あるいは医療施設がそう在ったと同じように、都会地とは対照的な自然環境と共存できる場所に、それらの施設は存在すべきだとした視点と通じる。
 人間を人間たらしめてきた精神活動、その極度に人工的かつ必然性を追究する主観的な行為は、偶然性を本質とする環境=自然と共棲して、初めてその価値を確認できる。人間とはどういう存在なのかを客観視するためには、人間が人間だけを意識することの不充分さを認識させるからである。
 歴史的に見てもこれらの施設は、そこで行われる活動に接しやすい場所や、経済効率を基準にして収益可能な地域に設置されてきたわけではない。便利さと経済効率を優先する価値基準は、人間の生命力を退化させる元凶。宗教や教育や芸術はこの事実を踏まえ、生命力を退化させるものに抗する精神の欲求に基づいて発生したものである。そして、そのために施設が、人里離れた土地に建てられたのは、ギリシャの昔から洋の東西を問わず、人類が長らく実践してきたことである。
 ギリシャ政府が新しく古代劇場を発掘したので、その場所に案内されたことがある。街から遠くはなれた山中の神殿の傍らに、劇場は精神病院と一体になって建設されていて、驚き感心した。アポロンの神殿を眼下にした山の中腹に、劇場とスポーツ競技場が在るデルフィを、初めて訪れた時にも同じ感慨を味わわされている。
 むろん演劇が、宗教儀式にその発生の原点をおいていることは、日本も同じである。日本の芸能も寺社と不可分に存在し発展してきたことは、春日若宮神社の神楽の舞台や、その発展形態である能舞台がやはり、神社の境内の一角に建てられたりしてきたことを想い浮かべれば分かるのである。
 この利賀村の地に、スポーツ施設はともあれ、先端的な医療施設や国際的な教育施設が設置されたら、どんなに素晴らしいか。環境はまさに適しているが、東京への一極集中に抗して、いつの日にかその実現は可能か。これが私の近ごろの妄想である。 

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August,09,2014

8月9日 或る男の夏

 初日の舞台が終わった後、あなたセンスガ、イイワネ。女優たちに言われて男はイイキモチになる。具体的にはなんのことだかわからない。デモ、イイノダ。ホメラレタに決まっている。というよりナニカを感じたのだ。エレガントだったのかセクシィーだったのか。折角、極東の島国の山村にまで来て演技したのだ。初日の緊張から解放され、男は機嫌が良い。パーティの席で呟く。日本の生ビールがこんなにウマイなんて。
 都会でしか生活したことのない男、少し自分に感動しているらしい、興奮気味に女房に電話をする。タノシンデイルヨ! フーン。愛想のない声、何をしているのかとも、いつ帰るのかとも聞かない。ソレジャア、ゲンキデネ。いつもこんな具合だ。感動を共有しない。ウソでもよいからソレハヨカッタワネ、の言葉が欲しい、と男は思う。家を出るときに女房が言った言葉、日本の炊飯器は性能が良いらしいよ、カッテキテネ! だけではあまりに寂しい。
 夫婦は親しきをもって原則とし、親しからざるをもって常態とす。日本人の言う通りだ。昔に日本語学校で教わった夏目漱石の言葉が浮かぶ。男は二杯目の生ビールを注文する。さっきまで、舞台上で一緒に演技をしていたオバサン女優が、ニコヤカに注いでくれる。日本人は外国人にヤサシイと言うが、ホントウダ。ヤサシクしてくれるのは、やはりこの女優にとっても自分は魅力があるらしい、男は三杯目の生ビールを頼む。
 外国人の世話係の事務局の女が近づいてくる。この女はいつも無表情、外国人に抑圧を感じるタイプのようだ。宿舎が一杯になっちゃって困っているのよ、あなたテント村に移動してくれない、今年はナンデこんなに女が多いのかネ。ジツニ、ブッキラボウ。物事の頼み方を知らない。
 もう少しするとハエに似た吸血虫が出ると聞いたけど、僕は虫に弱くてね。女は相変わらずの無表情、アンタは太っているから少しぐらい血を吸われた方がイイヨ。ここはトランシルバニアじゃないからダイジョウブ、血を吸われても変身しないからさ。ドラキュラ伯爵のことらしい。男はこれ以上は話したくないのでアイマイにした。
 10人ほどの外国の男たちがテント村に集められる。いつの間にか自分も同意したことになっている。ギリシャ、トルコ、スペイン、ブラジル、ノルウェー、アメリカなどの若い男たち、その中の一人が言う。アジア人が誰もいない。中国人や韓国人もたくさんいたはずだけど。女は言う。チョット、気をつかったの。
 中国と韓国と日本は今、仲が悪い。虫に咬まれたぐらいで、日本人に意地悪されたなんて騒がれても困る。領土のモメゴトは自分たちで解決するから、演劇人の宿舎の問題ぐらいは民間で仲良くやれ、と日本政府から指示が出たと説明する。ヘンナ理屈だが、アジアは複雑らしい、男もヘンナ納得の仕方をする。
 外国での夜のテント、男はなかなか寝付かれない。外に出ると星が輝き、幾重にも折り重なった山並みが暗い。集団で人工的に作り上げられる舞台作品、それも小さな室内空間の中での出来事、それとは対照的に何処までも広がっていく自然、そこに一人で佇む茫漠とした感覚、男はこれも一期一会のことかもと思う。
 オレの人生観も祖国に帰ったら、少し変わるかもしれない。帰国の折りに事務局へ挨拶に行き、女に言う。タノシカッタヨ。バス停に向かって歩きだした男の背中に女の声が届く。炊飯器を買わなきゃダメダヨー。初めて聞く女の朗らかな声、男は振り向いてニコヤカに一言、モチロン! 

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August,04,2014

8月4日 訛り

 いよいよSCOTサマー・シーズンの季節、8月から9月にかけて、利賀村は18カ国からの演劇人で賑わう。これらの人たちの共用語は英語、今年は約150人ほどの外国人が、英語で会話をすることになる。もちろん、英語圏の人数はそれほどでもないから、流暢な英語が飛び交うわけではない。仕方がないから、タドタドシク話している人も多い。しかし面白いことに、流暢に英語を話している人の気持ちが、よく伝わるわけでもない。
 パーティの席で、アメリカの俳優がイタリアの俳優に私の訓練方法について話しかける。イタリア人はよく理解できない。何を言っているのかと、傍らにいたアメリカ人俳優にたずねる。するとそのアメリカ人はソッケなく答える。彼の英語は私でも分からない。イタリア人は安心する。発音が悪いわけではなく、気持ちを表現する時の言葉の構成の仕方と、話の前提になる共有体験の踏まえ方が間違っているらしい。それでは、どれだけ多くの言葉を積んでも理解は成り立たない。
 ドイツ人とインド人が演劇論を戦わせていたことがある。私から見ても彼らの言葉は、所属する国の言葉のアクセントやイントネーションが手振り身振りと一緒になって、オモシロイ会話風景になっている。しかし、相手の言うことが通じないわけではなく、むしろ会話はハズンデ楽しそう。
 英語圏の人間には、珍妙に見えることもあろうが、言葉は発音が正しければ、語彙が豊かであれば、話す人の気持ちが他人に伝わるわけでもない。これは日本人の日本語にも、よく見かけることである。喋れば喋るほど、何を言っているのか、何を言いたいのか分からなくなる人が多い。そこには物事を感受する仕方のマズサ、言葉の裏に在るセンスの悪さが、コミュニケーションの障害として横たわっている。
 ドイツ人やインド人あるいはラテン系やアラブ系の人たちが英語を話す時に、自国語の発音の訛りを色濃く反映させていることがある。しかし、その話し方に慣れると、実によく理解できる英語だったりする。そして、その話し方を個性的だと感心してしまうこともある。それのみならず、その訛りが不思議と耳に焼き付いて、その人を懐かしく思い出させることもあるのである。その言葉の背後の感受性とセンスの素晴らしさが感じられて、むしろ言葉の訛りが、印象を強くしたりすることもある。
 ふるさとの訛りなつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにゆく。東北出身の石川啄木の有名な短歌である。この停車場は上野駅のことだそうである。柳瀬尚紀は「日本語は天才である」の中で、国語の授業でそのように教わったと書いている。私にはそんな記憶はないが、一般にはそれが正解らしい。ナルホド! 東北の玄関口上野駅か。
 今や殆どの日本人にとって、この短歌が伝えようとしている気持ちは遠い。東北新幹線はもはや汽車とは呼ばない。その発着する駅に訛りが飛び交うなどと、誰も想像しない。ましてや東北新幹線の始発駅は東京駅なのである。人々は雑踏のなかを、タダ黙々と歩いているだけである。残念ながら、啄木の短歌はモハヤ死んでしまっただろう。
 柳瀬尚紀も引用していたが、寺山修司に次のような短歌がある。ふるさとの訛りなくせし友といてモカ珈琲はかくまでにがし。寺山は死ぬまで独特な東北訛りでその発言を押し通したが、こういう文化的な信念も心情も、日本人にはすでに遠いものになってしまったかもしれない。
 数多く在った日本語の訛り、それが停車場にないとしたら、何処で聴くことになるのであろうか。もし聴けないとしたら、日本文化の奥行きの喪失の一端を感じ、寂しい限りである。
 日本創成会議の報告によれば30年後に、日本の市町村の50%近くが消滅するという。特に、秋田、青森、岩手の市町村は80%以上に及ぶ。東北の壊滅である。明治の石川啄木はさておき、昭和の寺山修司の心情すらも、珈琲と共に味わうことのできない国になるのかもしれない。 

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