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November,19,2011

貴重な出会いと経験

 私が生まれたのは静岡県の清水市、暮らしたのは中学時代から東京である。1976年に初めて利賀村を知り、それから現在まで私の主要な活動は、この地を中心にしている。
 当時の利賀村の人口は1500人ほど、過疎と呼ばれる小さな自治体であった。気候は季節によって寒暖の差が大きく、冬は激しい降雪がある。それまで私が育ち生活していた環境と比較すれば、あらゆる面で対照的かつ異質であった。
 私がこの利賀村を、活動の拠点にすると公にした時には、多くの知人友人から反対された。その活動は失敗に終わるか、長くは続かないという理由に因る。演劇活動の環境は都会がふさわしく、過疎地では成立はしないというのが、当時の常識であるから、当然のことと言えば当然である。地域の人たちがその活動を理解し、受け入れることはない、また経済的に成り立たないから、劇団という組織は自ずと崩壊するというものである。
 常識、人生を持続するためには、この観点は必要なことである。しかし、常識をよく知り大切にすることと、それを後生大事と守り、人生や活動の指針とするということとは違っている。我々の仕事は、人々に常識を越えた驚きを与えながら、その驚きの実質を支持してもらうことに、その活動の本質を置いている。常識との闘い、そのために常識をよく知る必要があるということである。だからこれは、非常識を生きるということではない。
 実際のところ、利賀村での活動の初期は、すべての経験が初めてのもの、ほとんど未知の世界に降りたった感のあるものだった。毎日毎日が不安と戸惑い、利賀村の人たちの考え方やものの感じ方とのすれ違い、それによる諍いの連続であった。人間関係を成立させている前提、組織や行政の仕組みが、私がそれまで生きていた環境とは、まったく違っていたからである。それを理解し、あるときはそれに変更を迫り、あるときはそれを受け入れる、しかも活動の目標を失わないようにする、このために使った精神的、肉体的なエネルギーは膨大なものだったと、今振り返ると思うのである。
 東京に活動の拠点を置いていた頃、私の周囲にいたのは、私の活動を理解し好意を寄せてくれる人たちであった。人間関係がもたらす不安や戸惑い、また経済面での不安定を解消するために費やすエネルギーは少ないものだった。しかしそのことによって、私自身や劇団員に、異質な世界を生きる人間が存在することへの鈍感と理解の欠如、未知のものと戦ったり共存することへの弱さ、また経済的な成長や安定が、人生の主要な目標であるかのように見なす価値観が発生しだした。これは芸術家の精神への危機であった。
 私や劇団員に訪れた危機を乗り越えるための、貴重な出会いと経験、それを与えてくれたのが利賀村での活動だったと言ったらよいだろうか。利賀村の人たちも我々も、よく頑張ったのではないかと思う。
2011年、「北日本新聞」11月11日朝刊より
 

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