SCOT SUZUKI's Works / 鈴木忠志の作品

廃車長屋の異人さん / The Stranger in the Junkyard Shantytown

原作 マクシム・ゴーリキー『どん底』 Maxim Gorky “Lower Depth”
初演 2005年 静岡芸術劇場

演出ノート
『どん底』と美空ひばり
 大規模な自然災害、たとえば大地震や世界的な経済恐慌が起こったら、我々の生活スタイルやその時の心情はどんなふうだろうか、そんなことを考えていたらゴーリキーの『どん底』と美空ひばりの歌にたどりついてしまった。想像をたくましくするのではなく、過去の記憶から参照できるものをと尋ねていたらそうなったのである。前者は日本の進歩的文化人、私の関わっている業界でいえば、新劇人の神様のような作家であり、かつその代表作といわれるものである。後者はその進歩的文化人に忌み嫌われた芸能界のスター、日本の文化的後進性を象徴するとされた演歌の歌手とその歌である。私自身も今になってのこの取り合わせに驚いている。しかし私の青春時代を思い返してみると、不思議なことだがこの両者が共存していた。
 私は若いころ、ソビエト連邦という人工的な国家を理解しようと、このゴーリキーだけではなく、彼の友人レーニンや彼らが尊敬するマルクスの著作を読んだと同時に、新宿コマ劇場の美空ひばりショウに通い続け、彼女の一挙手一投足に興奮する女性たちの姿を身近に感じていた。今の若い人たちにはなかなか理解してもらえないだろうが、イッパシの実演家文化人として生きていくためには、この両者の存在を無視することはできない、と考えていたのである。当時のソビエト連邦はヨーロッパ的な教養を身につけた文化人たちの一部からは、未来の希望を体現しつつある共産主義の国家、貧しい労働者の味方の国と見做されていた。一方の美空ひばりは、革新的な民族派文化人から日本の民衆芸術の体現者などとされていた。そして一時期の興行主は暴力団の山口組であった。そのためもあって美空ひばりは、NHKをはじめとして多くの公共ホールから締め出されてもいたのである。
 これまた今になってみれば不思議なことだが、この極端に違う両者を支持する文化人たちには、社会的な弱者に対する思い入れと、反米的な心情が共通に流れていた。その文化人たちの心情には、いささかの違和感をもっていた私だが、しかし私なりの思い入れもなかったわけではない。
 今やソ連という国家は、それを支えた理念とともに存在しなくなった。一方美空ひばりも死後になって国民栄誉賞を贈られ、NHKは特集番組で彼女の過去の映像を放映したりしているが、彼女が歌いつづけた差別感と貧しさからくる闘争的な心情の演歌は滅んでいる。皮肉なことにアメリカだけが現在、唯一の超大国として繁栄し、日本はその属国になるのではないかという時勢である。私の若かったころの日本はまことにほほえましかったと感じる。
 日本はいまだ世界第二の経済大国である。しかしその反面、これもアメリカの後を追うように、経済格差と息を呑むような犯罪とに直面しだした。こういう社会状況に大規模な自然災害や経済恐慌が襲ったら、多くの日本人はどんな生活と精神状態を強いられるのか。アメリカではニューオーリンズが現実にその一端を示してくれたが、これは私より若い世代の日本の人たちにとっても、避けて通れない設問なのではないかと思う。社会主義社会ではなく、車界主義社会のなかで正常な人間的な生活のできなくなる人たち、そんな人たちをどう捉えるのか、ゴーリキーが描き美空ひばりが歌いつづけた人間の心情を見つめながら考え、創ってみたのがこの舞台である。幸福はともあれ、人間の不幸の方はいつまでたってもそれほど変わるものではあるまいという思いがあってのことだが、私よりも未来を生きる人たちに、少しでも参考になれば幸いである。

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