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新・帰ってきた日本

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SCOT ブログ

January,13,2019

1月13日 演劇の力

 今年は元旦に利賀から東京の自宅に帰る。いつもは正月3日まで利賀にいるのだが、1月8日に東京で開かれる第9回シアター・オリンピックスの記者会見の準備もあり、新年早々に利賀を出た。
 昨年の末に、今年行われるシアター・オリンピックスに必要な小規模な宴会や会合も可能な施設を、創価学会から舞台芸術振興のためにと寄付してもらった土地に建てた。12月27日にその建物のお披露目をかねた劇団の忘年会をしたが、参会者の多くから美しい仕上りを褒められる。年末年始は豪雪だとの天気予報もあったので、折角の建物が損傷するといけないと思いながら年を越した。静かな環境で美しい建物と共に新年が始められて、久しぶりに幸せな気分を味わう。
 シアター・オリンピックスの創設は1993年である。場所はアポロンの神殿のある聖地デルフォイ、ギリシャ悲劇に登場する有名な主人公オイディプス王が、自分の過去の謎を解き明かそうと神託を聞きに訪れた山上の小さな街である。そこに世界各国から演出家と劇作家が集まった。今やその大半の人たちは亡くなったり病院で治療中である。創設者8人の中で今年のシアター・オリンピックスに参加するのは、アメリカのロバート・ウィルソン、ギリシャのテオドロス・テルゾプロス、私の三人である。寂しいことだが仕方がない。とりわけ、私にその思いを抱かせるのは、長年にわたって事務局長として<ガンバッタ>斉藤郁子の不在である。
 今年のシアター・オリンピックスは、日本とロシアの初めての二カ国共同開催である。その意義を日本の人々にも広く知ってもらおうと、ギリシャから国際委員長のテオドロス・テルゾプロス、ロシアからは新しく国際委員に加わったアレクサンドリンスキー劇場の芸術総監督ヴァレリー・フォーキンに来てもらった。
 ロシア開催の中心地は人口530万人のサンクトペテルブルク市、利賀村は人口5万人の南砺市に属するとはいえ、500人弱しか居住者のいない山村、この二つの場所が中心になり、<人間とは何か、我々はこれからどんな未来に向かって生きるのか、そのために何が必要とされるのか>の認識を世界に共同で発信する。不思議といえば不思議な出会いだが、こんなことが実現するのも民族や国家の違いを乗り越えて、精神的な連帯をもって活動することを前提とする、演劇がそなえる力の証しである。
 軍事や経済の力は、一国家の力量を世界に誇示することはできる。しかしそれは、他国の人々にとっては、脅威として感じられることの方が多い。実際のところ、軍事力や経済力は当該国家を物質的に豊かにすることに役立ったとはいえ、その力の拡大のために犠牲になり、悲惨な人生を送らざるをえなくなった国家の人々も多いのである。
 今回のシアター・オリンピックスの二カ国による共同開催は、今後も繰り返されると予測される、こうした世界的傾向への芸術活動側からの批判、その実践的な形の一つの在り方であると思っている。

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August,12,2018

8月12日 新しい経験

 一昨日、私の訓練を学ぶために、32人の演劇人が世界15の国から到着。今月の初頭からすでに、私の舞台に出演する16人のインドネシア人、7人の中国人、2人の韓国人が滞在していたから、一挙に外国人が増えた感じである。その数はSCOT劇団員の総数を越える。
 今年は日本とインドネシアの国交樹立60周年、中国との平和友好条約締結40周年にあたる。そのためばかりではないが、例年に比べてアジア人の参加者が多い。訓練参加者の中にも、アジア人が10人ほどいるし、サマー・シーズンが開幕すれば、アジア諸国からドッと観客が押し寄せてくる。そればかりではなく、来年に開催するシアター・オリンピックスの国際委員や参加団体の演出家が、ギリシャ、ロシア、中国、インド、ポーランド、イタリア、メキシコ、ドイツなどから来村するから、今年の夏の利賀村は、世界の演劇人の一大交流センターのような様相を呈するかもしれない。
 来年のサンクトペテルブルクとの共同のシアター・オリンピックス、その準備も急速に進み出した。すでに決定された25演目の日程調整に入っている。新設する宿舎や稽古場の工事も、チャクチャクと進んでいる。この施設整備は、富山県、南砺市、富山県の経済界の財政支援によるところが大きい。しかし、それにもまして有り難かったのは、創価学会が百瀬川沿いの我が家に隣接する土地9,300平方メートルを、舞台芸術振興のためにと無償で寄付してくれたことである。これによって、難航していた施設建設の土地の目安が、一挙に解決した。感謝である。
 SCOTサマー・シーズンの観劇申し込みも順調で、すでに第一週の主要な演目は満員。第二週も僅かの客席を残すばかりである。観客の皆様の応援があっての我々の活動だから、ナニヨリモ、アリガタイ! 今年で数え年80歳になったが、もう少しはガンバラナケレバ、という気持ちになる。
 今夏のSCOTの新作は一つだが、まったく新しい経験をさせてもらっていることがある。「ディオニュソス」である。この作品の初演の舞台は東京の岩波ホール、今は亡きホールの支配人高野悦子さんのプロデュースによって1978年に形になったもの。その時の題名は原作どおりの「バッコスの信女」、それを「ディオニュソス」と改訂して上演したのが1990年、水戸芸術館のオープニングの時である。いずれもSCOTの俳優だけで出来上がったものではない。主演の役者はSCOT以外の人が多かった。初期には能役者やアメリカの俳優がディオニュソスやペンテウスやアガウエを演じている。
 今回の「ディオニュソス」の舞台はそのことが更に徹底されている。出演俳優15人のうちSCOTの俳優は一人だけ、残りは外国人、しかも中国人一人を除いてはすべてインドネシアの俳優である。
 人種によって俳優を区分けすると、舞台上では3カ国語が話されると、日本人は常識的に思うのが通常だが、それがまったく違うのである。インドネシアは無数の島国が統一されて一つの国になっている。そして、それぞれの島は独自の言葉を使っている。違う島どうしの言葉で話すと、同じインドネシア人といえども話が通じないそうである。
 舞台上には6人の僧侶が登場するが、この俳優たちは、それぞれ異なった島から選抜された。むろん皆が理解できる共通語もあるようだが、インドネシア人の強い要望で、舞台上ではそれぞれの俳優が生まれ育った島の言葉、子供の頃から慣れ親しんだ言葉で会話することになった。俳優たちにとって、そのほうが言葉の意味に深い内容を付与しやすいというのである。私はこの要望を受け入れたので、めずらしいことが起こった。同じ国の人たちでありながら、出演者も通訳も誰ひとり、すべての言葉が理解できない事態になったのである。
 むろん私は、どんなインドネシア語も分かる訳ではない。なんだか違うリズム、違う音色の音が発せられているのを感じるだけである。彼らは同じ人種だから、顔立ちも身のこなし方も似通っている。それがまったく違う言葉をつぎつぎと発するのを目のあたりにするのは、今までにない経験であった。
 この舞台は利賀村での公演後、ジョグジャカルタにある世界遺産、プランバナン寺院の前に創られた野外劇場で公演する。場所も場所だが、私にとってインドネシアは初めての国だから心配することはある。しかし、俳優たちが私の演技訓練を実に良く身につけてくれたので、舞台のことでは何一つ不安はなく楽しみである。 

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July,28,2018

7月28日 人間の冬景色

 人間には人それぞれに、なにか大切で重大なことがあるらしい。このことを人生の事実として受け入れ、それに驚きを持つこと、これを前提に演劇というものは成り立っている。と言うより、人それぞれの中に大切で重大な思いが密かに存在していることを発見し、それを社会的背景に関連づけて浮き上がらせること、これがギリシャの古代から現代にいたるまで、人類が演劇という表現行為のうちに託してきた期待である、と言った方がよいかもしれない。これまで戯曲として書き付けられ、舞台から語り継がれてきた言葉の群れは、その集積と見なすこともできる。実際のところ、世界的に上演され、有名になっている人物の殆どは、密かな思いを激しく抱いた人たち、犯罪者か狂人か詐欺師であり、なぜその人たちがそのようになっていったのかを、大切で重大な秘密を暴くように描いているのである。
 医者という職業に従事しながら、多くの小説と戯曲を残したロシア人チェーホフは、ギリシャ悲劇やシェイクスピアの描いた人物たちより、身近に存在するように思える人間にも、激しく密かな思いが存在していることに驚いた方がよいと教えてくれた作家である。彼に「六号室」という作品がある。精神病院に閉じ込められ、またそこに関わる人たちの生態が、事細かに描写されている。その中に被害妄想狂の人物が登場するのだが、チェーホフは次のように書く。
 「見るからに不仕合わせなその顔は、戦いとたえざる恐怖にさいなまれた魂を、鏡のように映し出している。なるほどその渋面は奇妙で病的だが、深い真摯な苦悩によって、顔にきざみ込まれたこまかい皺は、聡明で知的な感じを与え、その眼には、暖かい、すこやかな輝きがある」そして、その男の行動は、次のように診断される。
 「彼はなにか非常に重大なことを話したいらしいのだが、誰ひとり聞いてもくれなければ、理解してもくれまいと考えるのであろう。もどかしそうに頭を振って、再び歩きつづける。しかしやがて、話したいという欲求が一切の考えに打ち勝って、彼はせきを切ったように激しく情熱的に話しだす。その話しはうわごとのようにとりとめがなくて、熱病的で、発作的で、時どきわけがわからなくなるが、その代わり、言葉にも声にも何か非常にすばらしい調子が感じられる。彼が話し出すと、彼の中に狂人と正気の人間がいるのがはっきりとわかる」
 今年のSCOTサマー・シーズンの新作「津軽海峡冬景色」のシチュエーションは精神病院である。チェーホフの「六号室」の前記の文章に刺激されて創ったものである。むろん、世界は病院であるとして、殆どの舞台を創ってきた私である。マタマタ、全面的な車椅子の出演になってしまった。密かに託された狂気じみた大切な思いは、行動のバランスを支える車椅子に乗って展開する。彼らの主張音の多くはチェーホフに依っているが、舞台の背景を形作る心情の主調音は、日本の流行歌に表されるそれである。
 「忍び寄るあの人の面影は、もう深い雪の中に埋もれてしまいました。北の海がかすんで見えます。おだやかさを失った、荒れる波をよけながら、かもめたちが鳴いています、今の私を知っているかのように。もう戻りません、久しぶりに見る、津軽海峡冬景色」
 この歌の主人公は、上野発の夜行列車に乗り、雪の青森駅に降りる。そして、青函連絡船で北へ帰る。彼女は言う。北へ帰る人たちは誰も無口で、海鳴りの音だけを聴いていた、と。ここには無口な人たちの後ろ姿が、密かに生きられた情熱的な言葉を発していることが歌われている。その感じを、チェーホフの「六号室」の光景に重ねあわせてみた。
 はたして上手くいったかどうか、観客の皆さんの、反応や如何に、の心境である。
 

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December,28,2017

12月28日 「劇的Ⅱ」の映像

 吉祥寺シアターでの「北国の春」、「サド侯爵夫人」の公演を24日に終え、劇団員全員が26日に利賀に戻る。昨日は猛吹雪の中での忘年会、劇団は今日の朝から休暇に入った。
 来年は1月16日から利賀での稽古を開始するが、その前日の15日に東京で初顔合わせ。早稲田大学の大隈講堂に集合して、早大演劇博物館主催の「劇的なるものをめぐってⅡ」の稽古映像を見る。私は映写の前に、この作品について渡辺保と対談をすることになっている。観客数1,000人だが、申し込みは既に満員とのこと。
 この作品の初演は1970年、奇しくも三島由紀夫が市ヶ谷の自衛隊でクーデターを呼びかけ割腹した年である。私は早稲田大学裏の麻雀屋で、その時のニュース映像を見た。まさか後年、私の演出した彼の戯曲の舞台「サド侯爵夫人」が劇団SCOTの代表作のように見なされるなどとは、マッタク、不思議な巡り合わせである。
 この「劇的なるものをめぐってⅡ」の映像は稽古風景のものである。2年前、演劇博物館が女優の渡辺美佐子から、同じ時期の稽古風景を記録した映像を寄贈されたらしい。演劇博物館から、貴重な映像なので映写会をしたい、と申し出があったが一度は断った経緯がある。
 演劇博物館は本番の映像だから良いのではと言い張ったが、この作品には公演本番の記録映像は存在しない。渡辺美佐子はどうしてこの映像を手に入れたのか、しかも私の所有しているものとは異なっていた。今や綺麗にプリントをし直すこともできないフィルムのもの、当時の一時期にだけ発売された旧いカメラで撮影されたもので、映像は場面によって不鮮明、音声もカメラに付属したマイクでのものと思われ不明瞭な所がある。正確ではないかもしれないが、早稲田大学の学生グループが、五日間ほど稽古を見学しながらカメラを回していた記憶があるから、その人たちから流出したものかもしれない。この作品の初演時の観客の反応については、以前のブログ「イノチガケ」に書いたことがある。
 今日、この約50年前の舞台映像を改めて見たが、マズ使用されていた音楽に驚く。サミュエル・ベケットの「ゴドーを待ちながら」の会話の冒頭場面に流れる音はチンドン屋の曲、最近の私の舞台でお馴染みのチンドン屋。それに都はるみの歌があるかと思えば、幕切れの鶴屋南北の殺しの場面は、任侠ものの流行歌「男の裏町」をジャズ風に編曲したものである。ナンダカ、チットモ、カワッテイナイ、のである。しかも、この舞台の主題曲として流れるのは、「むらさき小唄」の演奏、その歌詞は「流す涙がお芝居ならば、なんの苦労もあるまいに……」、映画「雪之丞変化」の主題歌である。自分で言うのも少し、オカシイかもしれないが、若さに任せたメチャクチャな演出だとはいえ、当時の人生観と演劇観がそれなりの理屈で表明されてはいた。
 しかし、この映像をチョット見ただけでは、一般の人だけではなく、今の演劇人にも、ナニガ、ナンダカ、ワカラナイ、とは思う。ましてや稽古のそれである。ソコデ、私の年来の友人であり、演劇評論家としてもっとも信頼する渡辺保の声に耳を貸すことになる。彼は折節に言っていたのである。
 映像は未来永劫に残ってしまうし、この舞台を実際に見た人も少なくなっているのだから、映像を公開してチャント解説をした方が、イイヨ。私は昔の映像を見るのは、イツモ、恥ずかしいのだが、渡辺保がそばにいてくれると言うので、今回は安心して演劇博物館の申し出を了承した次第なのである。もちろん私の所有していた映像でである。
 言い訳なのか、宣伝なのか、ともかくこの経緯を記録しておこうとしたのか、ナンダカ、年の暮れに似合わないブログになってしまった。 

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