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SUZUKI's Works ⁄ 鈴木忠志構成・演出作品

10月16日 タヌキ話し

 イケメンヤネー、村の主婦の一人が嬉しそうに言った。斉藤郁子の病気見舞いの帰りがけ、彼女が死ぬまで愛していたタヌキを見てのことである。このタヌキが現れたのは3月の初め、まだ地表に雪が1メートルも積もっている頃である。一目で子供のタヌキと分かる。身体は痩せて小さく、私と初めて目があった時は、雪の上で小さく唸り声を出しながら震えていた。餌を求めて必死に人家に近づいて来たといった感じ。それが今は堂々とした顔付きで、実に賢そうな眼をして、ニンゲンを怯えもせず見つめる。
 斉藤はよく口にしていた。これは狼か犬の血が混じっているのではないかしら。たしかに首筋から口先までの身体の線はスラッとして凛々しい顔付き。それに毛の模様も美しい。SCOTの外国人俳優が言った。ショウペンハウエルのようだな。ヘーゲルと競い合ったドイツの哲学者である。日本人劇団員の殆どはショウペンハウエルの顔など知っているはずもない。私は大笑いをしたが、身体が不自由になってから、斉藤は毎日ベッドに座って、このショウペンハウエルを眺め、スケッチをしていた。そして、時として口ごもる。いつも動いているから、絵にするのが難しいのよね。ソウ、タシカニ! ショウペンハウエルの考えていることも絵にするのは難しい。
 彼女の病室のベッドの手摺には、このタヌキの写真が張り付けられていた。たしかにこのタヌキは、丸顔で腹の出た体型、食い意地の張った、汚く強い体臭をもつ動物のイメージを変更するように迫っている。彼女は死ぬまで、この知的な顔をしたタヌキと一緒だった。
 太宰治の短編小説に「カチカチ山」というのがある。兎と狸の話である。太宰の狸のイメージは、狸の人間に好かれないとされる面を、人間にまで転移させ、我々の狸に対する先入観を増幅させている。
 助平の上に、また、食ひ意地がきたないつたらありやしない。
 見のがしてくれよ。おれは、腹がへつてゐるんだ。まつたく、いまのおれのこの心苦しさが、お前にわかつてもらへたらなあ。
 傍へ寄つて来ちや駄目だつて言つたら。くさいぢやないの。もつとあつちへ離れてよ。あなたは、とかげを食べたんだつてね。私は聞いたわよ。それから、ああ可笑しい。ウンコも食べたんだつてね。
 まさか。まさかねえ。
 これが兎と狸の会話である。太宰によれば兎は少女、狸は中年の醜男だそうである。そしてこの狸は兎に恋し、兎の甘言に乗せられたばかりではなく、泥船にも乗せられ、あえなく山中湖に水没するという、まことに愚かで悲しい結末を迎えるのである。
 斉藤が亡くなってから、私はタヌキのショウペンハウエルが愛しく、つい餌を多めにやってしまう。そのためフックラとした体型になってきた。すこし斉藤に申し訳なく感じる。しかしそのことで、顔付きまで変わったわけではない。相変わらず目つきは哲学者。11月3日の斉藤郁子を偲ぶ会までには、彼女が愛した体型に、何とか戻しておかなければと思う。
 参会者がナンダ、フツウノタヌキではないかと、このタヌキの素晴らしさに気づかないとしたら、私が穴にでも入らなければいけないかもしれない。 


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