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SUZUKI's Works ⁄ 鈴木忠志構成・演出作品

11月22日 ディオニュソス

 宗教的なファナティシズムの犠牲になったアメリカ人への配慮のために、悲惨な目にあう女主人公にわざわざアメリカ人女優を起用したのか。この質問には、私が日本人であるという前提があるように感じたので、私はこの質問を否定はせず、やり過ごした。公演直後の観客との対話の折りのことである。
 今年の9月、ソウルの「シアター・オリンピックス」で上演した「ディオニュソス」の初演は1978年、私が芸術監督をしていた岩波ホールである。その時は、エウリピデスの戯曲名どおりの「バッコスの信女」のタイトルで公演している。出演は故観世寿夫、白石加代子、蔦森皓祐などだが、この演出を大きく変更し、タイトルを「ディオニュソス」として初演したのが1990年の水戸芸術館、この舞台が20年間にわたって世界をめぐっているものである。水戸芸術館での公演直後にはモスクワとニューヨーク、1994年にはイタリアのヴィチェンツァにあるヨーロッパ最初の室内劇場、パッラディオの設計になる「テアトロ・オリンピコ」、1995年の第一回「シアター・オリンピックス」では、アテネのアクロポリス神殿の建つ丘の麓にある野外劇場「ヘロディオン」、など世界各地で上演している。しかしその中でも、2001年9月11日、ニューヨークの貿易センタービル崩壊直後のアメリカ各地での公演ほど忘れがたいものはない。それは出入国の際の検査の異様な厳しさ、アメリカ人の緊張した様子を実際に体験したからだけではない。冒頭に書いたような発言の裏にある心情に直接に触れたからである。この心情には、日本人のために多くの犠牲者を出した真珠湾攻撃の記憶も息づいているだろう。私が日本人でなければ出てこない質問だと咄嗟に感じた。ここにはアジアという異質な他者に対する若干の潜在的な偏見と軽蔑がある。
 このエウリピデスの戯曲は、アジアからやって来た酒の神ディオニュソスと、テーバイの王との激しい闘いを描いたものである。アジアから侵入してきた新宗教と、その布教活動を押し止どめようとする権力者との争いがあり、その渦中で、新宗教に入信した母親が息子である王を殺害してしまうという悲惨な事実が浮かびあがる。物語りの結論としては一応、神ディオニュソスの威力を称えるものになっているのだが、私は宗教が与える陶酔から目覚めた母親が、宗教への失望のうちに放浪の旅に出るところに演出の力点を置いた。それがこの質問を誘い出している原因である。
 アジアという地域への偏見と、自分たちのそれとは異質な宗教を信じることへの違和感、9.11の事件ほどアメリカ人の多くに、異質な他者の存在というものを感情的に感じさせたことはなかったのではあるまいか。
 事件直後、当時のアメリカ大統領ジョージ・ブッシュは演説をした。演説の最後に彼は旧約聖書の一節を引用している。「死の陰の谷を行くときも わたしは災いを恐れない。あなたがわたしと共にいてくださる。あなたの鞭、あなたの杖 それがわたしを力づける。」
 この文中の「あなた」とは、ユダヤ教やキリスト教の神のことである。彼はイラクへの戦争を、十字軍の聖地奪回への遠征に譬えたこともある。アメリカこそ多民族国家、アラブと違って、政教分離を一応の建前とする国家ではなかったのか。個人ならいざ知らず、一国の政治指導者が、政治的な行動を起こす時に宗教をからますこの発言は、世界の人々に大変な違和感を与えたはずである。アメリカ人の多くは現在、この戦争に懐疑的ではあるが、私はアメリカ人の潜在意識の中にも、いまだ建国当時の宗教的熱狂の残滓が色濃く残っていることをも示すために、「ディオニュソス」をアメリカでも上演したのだった。アメリカ人も正義を元に行動を起こすとき、その正義を正当化するために、どのような物語=ストーリーを創作し、多くの人たちに不幸な犠牲を強いてきたかをも認識してほしかったからである。
 息子を殺した母親アガウエの姿は、前半の僧侶によるペンテウス王殺害の事実を、異なった物語=ストーリーに見事に変換した創作=フィクションであるとする私の解釈が、初演の「バッコスの信女」の演出とは大きく違ったところである。個人のみならず、集団はいかなるときにフィクションとしての物語りを創作し、どのように人々を巻き込むのか、これが「ディオニュソス」の演出で私があらためて追求したことである。
 


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