SELECTED ESSAYS

過去の発言より

追悼・別役実 新しい舞台形式の創始者

  ある個⼈の⾏動が集団の秩序を構成するルールを破っているかどうか、その⾏動への観⽅をめぐって激しく議論が展開されるのが、紀元前に出現したギリシャ悲劇の特徴である。そのために舞台上は裁判所のような様相を帯びた。主⼈公は殆どが殺⼈者である。 
 19世紀末のイプセンやチェーホフのリアリズム戯曲では、市⺠社会の秩序を構成するモラル、それを逸脱したり許容しない⼈間が描かれ、その言動をどのように考えるべきかの論理的な解明が主題となっている。 
 いずれにしろ、それまでのヨーロッパの演劇では、⾏動や精神状態が通常ではない⼈間が現れ、⼈間同士の間に多様な葛藤を引き起こす。その⼈間関係の中⼼にはおおむね、殺⼈者、狂⼈、詐欺師、社会的な異端者などが存在した。 
 20世紀の中頃に、これとはまったく違う戯曲が出現する。特定の⼈間が主⼈公としては登場しないのである。⼈間関係の特殊な葛藤が描かれるのではなく、⼈間の誰でもが体験している人生そのものの様相、それへの感じ⽅が戯曲に描かれるようになった。それは見ることも触れることもできないが、⼈間の誰もが感じる不安、空虚、孤独、退屈、無常、などの⾔葉で表される人生への感覚である。それらの感覚⾃体を、演劇という表現形式のうちに昇華させようとした劇作家が現れたのである。当然そのための、新しい舞台表現の形式が⼯夫され定着されなければならない。それに成功した代表的な作家が、ヨーロッパではサミュエル・ベケット、⽇本では別役実である。 
 私は別役実の初期作品の数本を演出している。彼の代表作と⾒なされている「AとBと⼀人の⼥」「象」「マッチ売りの少⼥」などである。これらの戯曲を初見した時、私は衝撃を受けた。人生への<むなしさ>や<こわさ>や<はかなさ>の感覚が、会話体の言葉の裏に色濃く染み込んでいたからである。それだけではなく、その感覚⾃体が浮き出てくるような、⽇本⼈に説得⼒のある新しい舞台形式が発明されていたのである。 
 この新しい舞台表現の形式にたいして、当時の演劇界やジャーナリズムは、ヨーロッパ起源の「不条理劇」という言葉を与えた。私には馴染めない命名であった。人間存在の在り方を不条理と感受する感覚は、自分自身の存在自体に違和を感じることによって引き起こされるが、20世紀を生きた表現者たちにとって、この感覚は普遍的なものである。ベケットや別役にだけの特別な感覚ではない。 
 彼らが演劇⼈として独創的だったのは、その感覚を舞台形式のうちに昇華する独自の方法を、それぞれに発明した点にある。彼らは彼ら固有の舞台形式を発明した創始者なのである。自らが発明したその形式に、最後まで殉じて表現活動を終えた別役実は、日本の演劇人の誇りである。 
2020年、「毎日新聞」3⽉19⽇夕刊より