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過去の発言より

空間と身体・利賀

私の劇団SCOTの拠点は、東京から600キロメートル離れた富山県の利賀村にあります。日本海に面した山の多い地域で、利賀村は海抜600メートル、東西23キロ南北52キロもある広い山の村です。現在の人口は500人、多くの若者は都会に出て行ってしまいましたから、住民の多くは高齢者です。私が東京の拠点の小劇場を離れ、この村に移動して演劇活動を始めたのは1976年、44年前のことです。
現在、この村の一角には屋内劇場が四つ、野外劇場が二つありますが、移動した初期には、旧い民家を改造した劇場だけで活動していました。
なぜ私がこのような場所で活動することを選択したのか、その理由を簡単に話したいと思います。その理由は二つあります。一つは私の演劇理念に適した劇場の創造、もう一つは私が理想とする俳優の演技様式の確立のためです。
日本人の身体文化の歴史を顧みると、前近代というべき過去に発生し、現在にまで生き延びたものは、身体が空間と密接な関係を保持しているものが殆どです。演劇、舞踊、茶道、相撲、仏教、これらの日本民族が生み出した身体的な文化活動は、独特な空間と一体となった儀式的な行為として、その存在を主張しています。
演劇に例をとれば、日本の伝統演劇として世界に認識されている、能、歌舞伎も独特な空間=劇場の中でパフォーマンスを展開します。視点を変えれば、能や歌舞伎はこの独特な劇場空間に付随する身体活動の儀式的な所作として創りだされ、その個性を主張していると見なすことができます。つまり、建築空間の独自性が能や歌舞伎と呼ばれる演劇を成立させる不可分な要素として存在しているのです。
私の劇場も、現在の日本の都会では出会うことのできない、過去の建築様式によって造られた空間です。この空間=家は、日本が近代国家として成立する以前の時代に、雪国の農民が大家族で生活するために造られたものです。日常生活だけではなく、労働の場としても使用されていた昔の家です。現代の日本の社会は、家族制度と家族の生活を支える経済活動は変化していますから、このような大空間の建築物は無用のものになっています。それを私の演劇理念と実践目的に適合するような空間に再生したものです。
この建物は通称<合掌造り>と呼ばれています。現代日本でこのような空間を新しく創り出そうとしたら大変な困難に直面します。この空間はすべて木を中心とした植物によって創り出されているからです。その材料を入手するのが難しいだけではなく、この空間を出現させる技術者も、現在の日本で見つけだすのが難しくなっているからです。たとえ可能だとしても、それを実現するためには、莫大な費用と時間を必要とします。
この空間を構成するための木材は、山の斜面から切り出されたものです。その木材は雪の重さに圧され、色々な部分が曲がっていて、直線のものはありません。またその太さもそれぞれに違います。その違いのある木材をいかに組み合わせて住空間にするか、大変な時間と技術的な工夫がいるのです。二階建ですから、天井を支える柱が何本もあります。しかし、柱の太さが一定ではありませんから、その間隔は同じ寸法ということはありません。当然、その間に敷かれる稲の茎で作られる畳も同じ大きさになりません。
日本の近代化以前に建てられたこの合掌造りは、現代建築の空間構成の考え方とは、まったく違っています。合掌造りは理論や設計図に基づいて造られたものではなく、自分が生活する自然環境のうちで、手に入れられる素材を寄せ集めて造られたものです。
日本社会が近代化する以前のことですから、山国の豪雪地帯で寄せ集められる素材には限界があり、またその素材の存在する範囲も狭く限られています。その行為も非動物性エネルギー<電力や火力>の使用はできない時代ですから、動物性エネルギー=人力とそのエネルギーの使い方の工夫に依存しています。そして豪雪の重さに耐えられる構造の空間が、木材と植物<屋根はススキの茎>によって構成されるのです。ですから、空間が完成するまでの過程は、素材と動物性エネルギーとの闘い、言い方を代えれば、自然が生み出した偶然の産物を集め、それを必然的な出会いのように組み合わせる作業になります。このときの建築現場の行為は、試行錯誤の連続となります。
フランスの文化人類学者レヴィ=ストロースは、著書の中でブリコラージュという概念を提出しています。この言葉は、既にあるものを寄せ集めて工夫を重ね、新しいものを出現させる仕事を意味しています。この彼の用語を借りれば、<合掌造り>はまさしく、ブリコラージュによって出現した空間だと見なすことができるのです。
この空間の特徴は、画一的な基準では計量不可能な小空間の連立です。ですから、空間の随所にレベルの異なる闇の部分が創り出されます。どのように照明しても、どこかに影ができる空間なのです。
ある場所を明るくすれば、それに反比例して暗い影ができる。全体を等しい明るさに保とうとすれば、全体を薄暗くするほかはない。明るさと暗さが同時に共棲する非均質的な空間なのです。完全な均質の明るさということであれば、どこにも光源のない闇にする以外にないということになります。この空間の特徴は、私が新しく構想する演劇に可能性を与えてくれると感じられたのです。
私は演劇が演劇である特徴は、俳優の存在だと考えています。しかし私が俳優と言うとき、言葉というものに対立する存在を意味させてはいません。私は俳優という言葉に、言葉を音声化し、他者に接触する身体という意味を付与して使用しています。沈黙の中で思考されている言葉や、文字として書かれた言葉を音声化し、そのことによって他人=観客との関係を築き、他人の思考を活性化し、対話をする行為をする人という意味で使っています。
そしてこの俳優と名付けられる人間は、他人との共有を拒否する個々の身体の持ち主です。ということは、個人の差異を前提とした身体を軸にして、他人と共同の表現活動を成立させている人間だということです。違う観点から言えば、個々人の俳優は、他人と共有することのできない秘密<不可触なもの>、あるいは他人にとっての闇<不可知なもの>を身体に所有しているということです。個人としての特異な生活史を身につけた俳優が、自分固有の身体を見せながら、観客の前で他者と共有できる言葉を語るのです。
この時の身体と言葉の出会いは最初は偶然的なものです。その偶然を必然性であったかのように見せる作業、これが俳優の演技という仕事です。そして演出家は、このプロセスを通して、一つの集団の統一した世界認識を観客に伝えるのです。これが俳優と協働する演出家の仕事だと、私は考えています。
演出家としての私の仕事の発端は、まず計量不可能な人間個々の秘密や闇と向かいあうことです。だから、一つの作品を完成させるための稽古は、均質ではない俳優という素材を使って、合掌造りの家を作り上げていく作業の過程と同じような試行錯誤を繰り返します。私は、この作業によって成立してくる舞台作品を、ブリコラージュの一つの形態だと見なしています。
近代建築の用語にユニヴァーサル・スペイスという言葉があります。ドイツの建築家ミース・ファン・デル・ローエの建築理念によって創られた空間のことで、均質空間とも言われます。近代になって出現したオフィス・ビルにその典型を見いだすことができます。どの場所をとっても、同一の空間、質的な差異のない空間です。日本の現代の劇場は、殆どがこの均質空間の理念を前提にして建設されています。そこは、歴史性をもった個人的な秘密や人間の心の内の不可視な闇、要するに、個人の特異性をできるだけ配慮しないことが良いとする考え方の支配する空間なのです。
私の演劇活動はこのような近代的な思考、つまり、均質という視点から人間や空間を評価する思考を批判する立場のものです。私は演劇が多くの人々に必要とされてきたのは、人間は不均質なものであり、同一の基準で可視的に計量化できないということを確認する行為として存在してきたと思うからです。その事実に立脚した上にたって、人類の共存のための共通のルールの確立を、演劇は訴えてきたと考えています。
私にとっての演劇の存在理由を端的な言葉で象徴させるとすれば、人間にとっての差異と同質性、偶然性と必然、これを一つの民族や国家という集団に置き換えても同じですが、それらにどのような態度で接するかを追求する文化的な装置だったということです。
私が合掌造りの劇場だけではなく、偶然性を本質とする大自然の中に、野外劇場を建設したり、多国籍の俳優による多言語の舞台作品を発表しているのも、こうした考え方によっています。 
次に、舞台俳優の存在についての私の考えを述べます。
俳優が常に意識していなければならないものが、四つあります。重心と呼吸、エネルギー、音声です。俳優の能力は、重心の安定、呼吸による酸素の供給、エネルギーの燃焼、発せられる音声、これらへの集中力が発達している度合いに比例していると思っています。日常社会生活の場面でも、これらの身体能力が発達していれば、行動範囲と変化する環境への適応能力や、他人への働きかけの能力は高まり、生命維持の安全性も増大します。しかし、多くの人たちにとっては、病気にでもならない限り、これらは特別に意識されるものではありません。
舞台俳優の職業的な行為=演技の優劣は、これらへの意識的な鍛練によって発達した、集中力の強度に左右されます。舞台上から観客に向かって身体を見せ、音声を発する俳優には、これらへの集中力を鍛えることは不可欠のことです。
ここで改めて強調しておきます。一般的には身体という言葉は、目に見える顔、胴体、手や脚などの、筋肉をともなって構成された、見える身体のこととして使われています。しかし、私が身体と言うときには、重心、酸素、エネルギー、見えない言葉として発せられる音声のことを指しています。
私の俳優のための訓練は、この見える身体の内部に在る見えないものを、どのようにしたら見えたもののように感じることができるのか、そしてまた、それらへの集中力の優劣を、どのような判断で集団で共有できる価値基準にするか、その必要性から考案されたものです。演出家として、俳優の能力を判断するときの公平な基準、集団の構成員が納得する客観性を手にしたいと思ったのです。
それは医師と患者がCTスキャンや血液検査をして、身体内部の状態を観察し、その個体の特殊性や欠陥を共有することに似ています。違う言い方をすれば、観客に素晴らしい精神と身体が眼前に存在していると感じさせるためには、何が優れているとするのか、どの点をさらに発達させなければならないか、診断するための訓練だということです。
私の考える高い水準の演技を目指す場合に、自分のどこが利点であり、どこに欠陥や弱点があるのか。もし欠陥や弱点があるならば、それをどのように克服するのか、問いかけのできる場を創ったのです。舞台俳優の創造力を刺激する足掛かりの場を創ったと言っても良いと思います。
むろん目的を遂行しようとする時に現れる、障害としての欠陥や弱点は人によって違いますから、その障害を克服していくプロセスも個人によって違ってきます。それを乗り越えていくために用意された一般的な答えはありません。自分自身で独自の方法を捜し出す以外にはないものです。その手助をするための訓練なのです。
最近、東京に行く機会がありました。久しぶりに電車に乗って驚きました。昼間だったから乗客は多くはなく、車両全体を見渡すことができました。座席に座っている人たちほぼ全員が、スマートフォンを手にして画面に集中している。30パーセントほどの人は、耳にイヤホーンをして何かを聞いている。しばらく前だったら、一人や二人は新聞や週刊誌を読んでいる人を見かけましたが、そんな人はいないのです。
私も若い劇団員の生活を見知っているから、スマートフォンが生活必需品になりつつあるのを、知らないわけではない。ただ驚いたのは、スマートフォンに夢中になっていることではなく、電車が駅に停まり乗降客の出入りがあっても、一人として顔を上げて、新しく乗車してきた客の方を見なかったことです。この光景は犯罪者やテロリストが入ってきて、無差別殺人を実行しても、即座に対応できる人は殆どいないのではないかと思わせられるものでした。
私は長い間、演出家として他人の存在やその動きを見つめる習慣が身についているから、他人の動きに敏感に反応し過ぎるのかもしれません。自分の職業的な経験からの過剰な観察かもしれませんが、他人の存在をこれほど意識しない人間集団は、私には不気味な感じでした。
実際のところ、東京の雑踏の中で七人の人が、自動車とナイフで次々に殺された事件がありました。わずかな時間での出来事です。
この事件を知ったとき、私はやはり驚いた。一人の人間によって、こんなに多くの人たちが、一瞬のうちに殺されてしまうものかと。殺された人たちは、自動車やナイフで殺される直前まで、スマートフォンでメールをしたり音楽を聴いていて、自分の周辺で何が起こっているのかに気づかなかったのではないか。私はそんな推測をしたものです。
コンピューターが登場して、私たちは身体が同じ場所に存在しなくても、相手の顔を見ながら会話をすることができます。このコミュニケーションの形態では、動物性エネルギーはわずかしか使われていません。人間同士が直接に出会い、動物性エネルギーを多用して対話し、相互理解を促進する機会を、コンピューターが減少させたのです。そういう機会があったとしても、人と人との間には非動物性エネルギーが介在している場の方が多くなっています。
人間がコンピューターに依存している社会、非動物性エネルギーを多用して、コミュニケーションを成立させている社会は、すべての領域において、脱身体化の傾向を加速させています。こういう社会の中で、これからの演劇はどんな存在理由を与えられ活動するのか。これは演劇人に投げかけられている、深刻な問いだと思います。
フランスの哲学者メルロ=ポンティは、物事の本質とは何かと考え、どんな可変的な状況にあっても、耐えて、変化を蒙らないで持続するもののことだと述べています。この視点を踏まえて言えば、演劇の本質は俳優の存在にあると言うことが出来ると思います。
演劇は俳優の身体から湧出する動物性エネルギーの存在を軸にして、ギリシャ以来2000年以上も、その表現活動を続けてきました。そして、絶えず集団を形成して生きざるをえない、人間が遭遇する諸問題を暴き続けてきたのです。演劇は非動物性エネルギーを駆使して、社会を維持管理する文明の欠陥を、身体を拠点として批判し得る能力を、未だに所持している素晴らしい表現手段だと私は思っています。
演劇がそのように未来にまで、力強く存続して在ることを願って、私の講演の締めくくりとさせて戴きます。
2020年1月、国際演劇評論家協会タリア賞受賞 記念講演原稿