Works鈴木忠志構成・演出作品

流行歌劇 カチカチ山

原作
太宰治
初演
1996年 新利賀山房

演出ノート

男の悲哀―流行歌劇への試み

 近ごろの演劇界はミュージカルばやりである。しかし実際は、アメリカやイギリスの物まねの域を出ないし、誰でもが参加できる舞台表現の形式だと称して、素人の遊びに堕しすぎている。
 そこで私は、日本にも歌謡曲という立派な大衆音楽があるのだから、それを使って音楽劇が出来ないものかと考えていた。一時期の歌謡曲は歌詞といい曲といい、なかなか優れたもので、ヨーロッパのものなら何でも崇拝といったインチキ知識人に馬鹿にされる種類のものではないのである。オペラ歌手の歌う日本語は、意味や情感も伝わらず、宇宙人が日本語を学ぶとこんなになるのではないかと思わせられるものだが、それに比べれば、美空ひばりや都はるみの日本語は文部大臣推薦ものといっていいほどのものである。ヨーロッパを範とした近代化が国是だったとはいえ、なぜ歌謡曲はこんな扱いをうけるのか、これは国家的損失だというのが私の見解であった。
 実際のところ、舞台に接してみれば分かるのだが、日本の国家的財産のように言われている歌舞伎などは、その内容たるや他愛のない男女の情事や荒唐無稽な人殺しの展示である。どこが歌謡曲より優れているのか、また俳優の演技にしてからが、どれが外国に誇れる伝統日本の身体表現であるのか、馬鹿にしなさんなといった類いのものである。近ごろの歌舞伎俳優は刀をもっても、動くときに重心が上下し水平移動もできない人が多い。人を斬ることなどとてもおぼつかない。視覚的に歴史性をそなえた古いものに見えるから、視覚依存症の現代人にはフィクション性が強く感じられ誤魔化されるのである。
 太宰治の『カチカチ山』は男女の関係、中年男の少女に対する一方的な恋心とその失敗の無残なありさまをシニカルに描いたものである。中年男は少女に冷たくあしらわれながらも、少女への思いをこれでもかこれでもかとしつこく語り続ける。そして語れば語るほど、その心情は行動とは裏腹に純情の衣をまとい、少女の自分に対する感情も想像のうちで美化されていく。
 これは典型的な歌謡曲の成立過程とそこに流れている情感と同じである。日本の歌謡曲のほとんどが男の作詞作曲であり、その主人公はほとんど女性である。それも男が身勝手に描いた、期待される女の言動が唄われる。そこには一夫一婦制に疲れた中年男の実現可能性としてのかすかな夢が息づいている。たしかに歌謡曲は、中年男の社会的抑圧と悲哀からの逃避場所、善良な市民社会を逸脱した女性たちの棲息する場所、キャバレーやバーやお座敷で花開いた一面をもっている。
 主人公の中年男を落ちぶれたやくざにし、少女を白衣の天使といわれる看護婦にして流行歌劇を創ってみたのはそのためである。やくざの集団のみならず看護婦の存在する病院という場所も、一般市民の常識を越えた特殊な人間関係の成立している所である。
 この舞台もいつもの私の作品と同じで、中心的な言語素材を太宰治の『カチカチ山』から引用したが、全体の台詞は多岐にわたる文献から引用していることをお断りしておく。