Works鈴木忠志構成・演出作品

からたち日記由来

鹿沢信夫
初演
2014年 利賀山房

演出ノート

『からたち日記由来』の試み

 一軒の古ぼけた家に三人の家族が住んでいる。三人は昔、チンドン屋で生計を立てていたが、今や母親は発狂、息子と伯父はその母親の世話をする毎日である。母親はチンドン屋として活躍していた頃の演奏と、その音楽に合わせて観客に聞かせていた講談『からたち日記由来』を忘れることができず、毎日一度は、狂ったように「からたち日記」という流行歌を歌い、その作品の由来を語りつづける。
 実際の戯曲では、ただ一人の講釈師が、昭和の時代に流行った歌「からたち日記」の歌詞が、誰によって書かれたのかを語るだけである。上記のようなシチュエーションと人間関係を舞台上に設定したのは、演出上の私の発想である。
 この戯曲の主人公が歌う「からたち日記」とは、次のような恋愛の歌詞になっている。<心で好きとさけんでも、口ではいえず、ただあの人と、小さなかさをかたむけた、あの日は雨、雨の小径に白いほのかな、からたち、からたち、からたちの花>
 作者によれば、この歌詞自体は実在の一人の女性によって、すでに大正時代に書かれていた。その実在の人物とは、第二次大戦終了まで存在した、天皇に政治上のアドヴァイスをする貴族を中心とした合議機関=枢密院の副議長、芳川顕正伯爵の娘、芳川鎌子だとされている。
 鎌子は、結婚して一人の子供を生んだ。しかし、夫との家庭生活に不満を感じた彼女は、芳川家の専属の運転手と恋愛関係になってしまう。二人は列車に飛び込み死のうとするのだが、芳川鎌子は生き残る。その彼女が出家して書いたのが「からたち日記」の歌詞だというのである。
 芳川鎌子の心中事件は実際にあったことである。しかし、彼女は出家などせずに、事件後には再び結婚し、29歳の若さで病気により死んでいる。また、この戯曲に書かれている時代背景は、歴史的な事実関係としては、随所に辻褄の合わないところがある。だからこの戯曲は、芳川鎌子という実在の女性をネタに、一人の人間が妄想した記録に近いと言えるかもしれない。
 むろん、ギリシャ悲劇でもシェイクスピアの戯曲でも、それらしい事実を材料にした妄想だと言えないこともない。それらの西洋の作品に比べれば、『からたち日記由来』に表出されている妄想の世界は小さい。しかし、この戯曲には、通俗音楽として一部の人々に蔑視されてきた歌謡曲が、なぜ日本の女性の不幸や寂しい願いごとを歌詞にして大衆に愛されてきたのか、その歌謡曲に思いを託す以外に行き場所のない心情が、よく描かれていると思えたので、冒頭に記した仕掛けを舞台上にほどこし、上演することにしたのである。
 『トロイアの女』では、非運にあった女性の怒りや恨みや悲しみが前面に激しく躍り出てくるが、そういう個人の存在や心情すらも、小さく惨めに感じさせてしまう歴史的時間の非情さを、舞台上に存在させることを演出的には試みている。この視点は『からたち日記由来』でも同じでないことはない。
 しかし、同じように空しい人間の存在と境遇を描いたとはいえ、戦争によってすべての家族を失った老婆と、世間の目から隠れて恋心に生きた女性に思いを託す老女の不幸の質は異なっている。一人はホームレスとして、一人は狂人として、孤独に生きるが、世界中が戦乱の渦中にあり、人間関係の絆も崩壊しつつある時代に、この二つの対極にあるように見える人生の末路は、現在の我々にとっても、無縁なことではないと思っている。
2014年、『からたち日記由来』初演の演出ノート