Works鈴木忠志構成・演出作品

世界の果てからこんにちはⅡ

初演
2020年 利賀 野外劇場

演出ノート

久しぶりの演出形式

 人生に裏切られて精神を患ったり、後悔のうちに死を間近にした人は、素晴らしい言葉を口にしますね。私の舞台「リア王」を観劇した後の、今は亡き河合隼雄さんの感想である。河合さんは当時、文化庁長官の職にあったが、この言葉は臨床心理学者としての豊かな経験にも裏付けられたものである。
 河合さんが素晴らしいと感じた言葉、それは娘たちに裏切られ錯乱しながら死を迎えたリア王や、息子に騙され両眼を失い、自殺を決意したグロスター伯爵が語るそれである。むろんそれらの言葉は、シェイクスピアの才能の偉大さが書き記したものだが、河合さんはシェイクスピアの人生観察の深さ鋭さに、改めて感動した面持ちであった。
 この「リア王」の舞台は私が初めて、世界は病院であると見なす観点から、戯曲の登場人物たちの状況を解釈し、その内面を視聴覚化したものである。それは、人間は不健康で不完全な存在であり、なにがしか精神を病んでいるとする私の人間観を反映したものである。
 「世界の果てからこんにちは」も、孤独な男の精神的妄想を通して、第二次世界大戦前後の、日本人の思考の様態を視聴覚化している。その点では同じ演出的な舞台処理であるが、ただそこで扱われた言語的な素材は、一人の人間=戯曲作家の思考から生み出されたものではなく、主人公が日本人だとはいえ、世界的な拡がりをもった人たちの思考言語が交錯している点では異なっている。
 今回の「世界の果てからこんにちはⅡ」も、私の作品では初めての特徴を備えている。この舞台で語られる言葉は、昭和の日本人が好きだったロシアとノルウェーの劇作家、チェーホフとイプセンの書いた、ホンノ、ワズカナ言葉を除けば、殆ど日本人の思考から生み出されたものである。それも第二次世界大戦後の昭和の時代を生きた人たちのものである。むろん、それらの人たちの言葉は、そのままのものではなく、世界は病院であり人間は病んでいるとする、私の世界認識を舞台化するための素材として使われ、私の時代認識によって若干の改変がほどこされている。そのことによって、現在の日本人の置かれた心情が、多様な角度から浮き彫りされたらと願ってのことである。
 私は利賀村に来る前は、東京の新宿に小劇場を建て、10年間ほど活動していた。その頃の私の代表作と見なされている舞台に、「劇的なるものをめぐって」三部作がある。
 この舞台作品は、一貫した物語があるわけではなく、全く異なった言葉によって創られた独立した場面が飛躍的に連続する。今回の舞台もそれと同じで、観劇した人たちそれぞれの想いで、物語を創るなり全体の解釈をしてください、という演出形式を採用している。むろん、各場面の配置の仕方と全体の構成については、私なりの論理的な理屈はあるが、ともかくこの舞台を観劇した人たちが、新型コロナウイルスによる惨状下にある日本や世界の現状を踏まえて、自分の人生を未来に向かってどうするか、それを考えるための刺激になることが大切であるという思いから、私には珍しくストレートにメッセージを打ち出している場面も創ってみた。娯楽的、芸能的な演技様式と共になされているので、楽しんでいただけるのではないかと思っているが、皆さんの率直な感想を聞かせていただければ幸いである。
 最後に、今回の舞台で私が参照した日本人の言語素材を記しておきたい。徳富蘇峰、唐木順三、秩父重剛、長谷川伸、梅崎春生、それに美空ひばり、北島三郎、こまどり姉妹、五木ひろし、ちあきなおみ、すぎもとまさとが唄った歌曲の歌詞から引用している。もちろん、私の書いた言葉も入っている。