Works鈴木忠志構成・演出作品

AとBと一人の女

別役実
初演
1962年 砂防会館ホール
再演
2007年 静岡県舞台芸術公園「BOXシアター」

演出ノート

別役実について

 私を演出家にしたのは、この戯曲『AとBと一人の女』である。学生時代の演劇活動を離れて、将来の人生をどうしようかと考えていた時期に、別役が突然に私の下宿に来て、この戯曲を見せたのが始まりである。たしか前半、一幕だけを見せられたと記憶する。私は即座にこれはイケルと思い、はやく全幕を書くように勧めた。1962年、別役はこのとき24歳、一生を劇作家として過ごすとは思ってもいなかったのではあるまいか。
 この戯曲を読み了えた時の衝撃は今でも新鮮に思い出す。こんなことを感じ、あるいは想像している人間が身近にいたのかという驚きである。人間にまといつく生理的感覚への執拗な言語化と、人間関係の心理的ディテールへの深い透察に圧倒された。それまで別役は同じ学生劇団で、私の演出した作品の舞台監督や他の演出家の制作などをして朗らかに活動していたからなおさらである。私は即座に別役の作品を上演する劇団を作ることを決心し、今に至った。46年前のことである。
むろん、『象』や『マッチ売りの少女』などの初期の代表作といわれるものを演出した後、私は40年間も別役作品を演出してはいない。最近になって別役から聞いたことだが、この『AとBと一人の女』という戯曲は、私以外の演出家によって舞台化された記憶がないというからこれまた驚きである。
 日本では近ごろ、格差という言葉がはやりである。広辞苑には「商品の標準品に対する品位の差。また、価格・資格・等級などの差。」と書いてあるが、こういう現象が日本社会では最近になって出現してきたかのような感じである。しかし、格差というものは世界中のどこの国にも存在してきたし、事あるごとに人間が作り出してきたものである。一つの集団や国家がまとまりをもって生き延びていくためには格差は必要だし、この格差を生み出す制度、法律や経済や教育のシステムを絶えず作り出してきたのである。だから、制度とはむしろ格差を作り、それを公的に正当化し、承認するためにあるのだと言ってもいいぐらいである。
 おそらく問題なのは、格差そのものではなく、制度上から出現する格差を前提として、人間を差別する価値観が発生するということであろう。人間にはあたかも優劣、上下があり、優者や上位者が劣者や下位者とされた人間を軽蔑したり、また劣者や下位者と見なされた者が怨恨という感情をもつ権利があるかのような関係を派生させることにある。そして、ひとたび人間が制度上の格差を前提として、こういう関係に入ると抜き差しならない葛藤と敵対関係が生じ、ついにはその関係を消滅させたいという個人のコントロールを越えた攻撃的衝動と行為が、両者に激しく噴きだしてくるということであろう。これは身近な人間関係のことだけではなく、現今の国際紛争、欧米とアラブ、日本と中国や北朝鮮との外交的駆け引きの背後にも、こういう関係からくる歴史的な葛藤の表れを読み取ることができるように思う。
 46年も前に、たった二人の人間の争いを描くだけで、現在の世界の問題をも考えさせるような戯曲を生み出した別役実という人間に、今あらためて驚いている。私にとって別役実という劇作家は、谷崎潤一郎や三島由紀夫と同じように、瑣末と見える人間関係のうちに大きな世界の苦悩を描く、優れた芸術家の一人として存在していたのだと感じる。

(2007年)