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SCOT Essays詳細

January,09,2012

古典の演出について

 日常では決して見ることのできない光景を舞台上に出現させながら、日常世界を生きる人間の孤独や不安や苦悩を可触的にする。そういう演劇を創り出したいと、これまでずっと演出に専念してきた。そのために私の舞台では、日常では出会うことのない物たちが共存したり、場違いと思われるような音楽が突然流れたりする。
 たとえば、チェーホフの「イワーノフ」では、登場人物のほとんどが籠に入っている。入っているというより、主人公以外のすべての人物は、籠に首と手足が生えている生き物として登場し、主人公と議論する。ギリシャ悲劇「オイディプス王」では幕開きから幕切れまで主人公は車椅子に乗り、地球を思わせる絵の描かれたキャンバスの上をグルグルとまわりつづける。フランスの名戯曲として名高い「シラノ・ド・ベルジュラック」の装置は、葬式を思わせる白い花畑である。登場人物たちはすべて幕末から維新のころの日本人を思わせる衣裳をまとって、その花畑の前後を動きまわる。そのバックに流れる音楽は、ヴェルディ作曲のオペラ「椿姫」の中のいくつかの曲である。要するに日常的に出会う光景として、舞台空間を統一してはいないから、日常生活を生きる感覚からすれば、この場所は不自然であり、物や音楽は戯曲が描く人物が生きた空間と比較するとミスマッチとしか言いようのない出会いかたをしている。
 なぜ戯曲の登場人物たちが生きている日常に近い舞台空間を作り、その環境のなかで俳優に演技をさせないのかと疑問に思う人は多いだろう。とくに日本人は、日常生活の見慣れた空間で繰り広げられる人間関係がドラマの前提だと見なしているから、その感じは深いと思う。しかし、私の演劇の考え方とその活動はこの演劇への考え方を否定するところに成り立っているのである。演劇は日常では見慣れない光景を舞台上に展開することによって、我々が生きている日常をあらためて考えさせるものだというのが私の考えなのである。とりわけ古典戯曲を演出する場合に、私はこの観点を後生大事にしてきた。
 演劇で大事なことは、作家が書き、俳優が語る言葉が、今初めて聞くような新鮮な印象をもち、その言葉を通じて、その作家が我々に伝えようとしたメッセージが、考えるに値するものだという感じを起こさせることである。優れた劇作家は他人に聞いてもらいたい強いメッセージをもっている。とくにヨーロッパの劇作家は、演劇という歴史的に形成された表現形式を使いこなして、人間の生き方はこれでよいのか、私は人間をこう理解しているがどうか、という問いを投げつけている。それは往々にして人間の不可解さに基礎をおいた人間の惨めさや哀しさの感覚への考察になっているのだが、なぜ人間は、生きながらこういう感覚を味わうのかという問題提起をしている。観客はその問題提起にふれることによって、いま現在の自分の人生や社会について考える。優れた古典戯曲はこのメッセージの故に、現代を生きている我々の心の琴線に触れてきたのである。
 この作家のメッセージを鋭く浮かび上がらせるために、演出家は何をすればよいのか。おそらくそれは、その言葉を語る俳優が、我々が送っているような日常生活の光景の中を生きるのではなく、舞台でなければできない人工的な空間で語り生きるべきだというのが私の見解なのである。その場合に大切なことは、その作家が生きた当時の時代的、空間的な特殊性を視聴覚的に現代に翻訳しないことなのである。俳優の演ずる空間が劇作家の生きた時代がもたらす制約に忠実になるのではなく、劇作家のメッセージを現代に生かすための制約、劇作家の言葉が最も有効に機能する空間の作り方に誠実でなければならないのである。そのためならば、創造力としての想像力は、時代や日常空間の制約からどれだけ羽ばたいても羽ばたきすぎることはないと考えるのである。
2006年、「東京新聞」9月9日朝刊より

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November,19,2011

貴重な出会いと経験

 私が生まれたのは静岡県の清水市、暮らしたのは中学時代から東京である。1976年に初めて利賀村を知り、それから現在まで私の主要な活動は、この地を中心にしている。
 当時の利賀村の人口は1500人ほど、過疎と呼ばれる小さな自治体であった。気候は季節によって寒暖の差が大きく、冬は激しい降雪がある。それまで私が育ち生活していた環境と比較すれば、あらゆる面で対照的かつ異質であった。
 私がこの利賀村を、活動の拠点にすると公にした時には、多くの知人友人から反対された。その活動は失敗に終わるか、長くは続かないという理由に因る。演劇活動の環境は都会がふさわしく、過疎地では成立はしないというのが、当時の常識であるから、当然のことと言えば当然である。地域の人たちがその活動を理解し、受け入れることはない、また経済的に成り立たないから、劇団という組織は自ずと崩壊するというものである。
 常識、人生を持続するためには、この観点は必要なことである。しかし、常識をよく知り大切にすることと、それを後生大事と守り、人生や活動の指針とするということとは違っている。我々の仕事は、人々に常識を越えた驚きを与えながら、その驚きの実質を支持してもらうことに、その活動の本質を置いている。常識との闘い、そのために常識をよく知る必要があるということである。だからこれは、非常識を生きるということではない。
 実際のところ、利賀村での活動の初期は、すべての経験が初めてのもの、ほとんど未知の世界に降りたった感のあるものだった。毎日毎日が不安と戸惑い、利賀村の人たちの考え方やものの感じ方とのすれ違い、それによる諍いの連続であった。人間関係を成立させている前提、組織や行政の仕組みが、私がそれまで生きていた環境とは、まったく違っていたからである。それを理解し、あるときはそれに変更を迫り、あるときはそれを受け入れる、しかも活動の目標を失わないようにする、このために使った精神的、肉体的なエネルギーは膨大なものだったと、今振り返ると思うのである。
 東京に活動の拠点を置いていた頃、私の周囲にいたのは、私の活動を理解し好意を寄せてくれる人たちであった。人間関係がもたらす不安や戸惑い、また経済面での不安定を解消するために費やすエネルギーは少ないものだった。しかしそのことによって、私自身や劇団員に、異質な世界を生きる人間が存在することへの鈍感と理解の欠如、未知のものと戦ったり共存することへの弱さ、また経済的な成長や安定が、人生の主要な目標であるかのように見なす価値観が発生しだした。これは芸術家の精神への危機であった。
 私や劇団員に訪れた危機を乗り越えるための、貴重な出会いと経験、それを与えてくれたのが利賀村での活動だったと言ったらよいだろうか。利賀村の人たちも我々も、よく頑張ったのではないかと思う。
2011年、「北日本新聞」11月11日朝刊より
 

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March,20,2011

演劇人の課題

 我々演劇人は、比較的監視や管理の対象になりやすい人種です。演劇では戯曲で政治的な発言もできますし、劇場という現場にはいろいろな人が自由に出入りします。それから即興で何を言ってもいいということがあります。台本はありますけれども、即興だったら俳優が何を言ってもいいわけです。そのために、演劇は管理や監視の対象となる。これは、ヨーロッパやアジアのどこの国でもあったことです。しかし、これからは今までとは違って、我々の見えない所でもあらゆる行動がチェックされることが起こるでしょう。それが、世界の演劇人同士の自由な交流や行動の阻害要因になる可能性があると思います。全ての演劇人が、今そういう状況にいるわけではありませんが、こういう国の人といっしょに共同作業をするのはおかしいとか、共同すること自体が問題になる社会がうまれつつあると私は感じています。実際にテロが起きると困りますし、テロは犯罪です。それを防ぐという点ではたしかにいい面もありますが、国家が人間を人種や国籍によって差別し、その結果我々の中にも人種差別的な心情が強く起こってくる可能性もありうる。ですから、今後は世界的な共同作業のなかで我々演劇人は、もっと協力して、人間が豊かで楽しく共存して仕事ができる環境を作っていかなければならないと思います。
 
2010年9月、第5回シアター・オリンピックスでのスピーチより

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November,30,2010

<精神の型>としての専門家

 スポーツの場合、多くの人々がどのくらい身体がハードなものか、どの程度の精神的克己心がなければ一流にならないかということがわかっていると思う。ところがダンスや演劇というのは、どれほどの訓練や克己心が必要か、意外にわかられていない。娯楽であり、楽しいものだと思い込んでいる人が多い。だけどマラソン選手が走る姿を見ればわかると思いますが、ただ楽しいと思ってやっているはずはないんです。
 ある人が、中村歌右衛門に「舞台であれだけのことができたら、楽しゅうございましょうね」と聞いた。すると歌右衛門が「苦しゅうございます。でも、やめられないのですから、好きなんでございましょうね」と答えている。「好き」という意味は、楽しいということではなくて、自分が何かに挑戦するという姿が、第三者に見られて楽しいということなんです。自分を見つめる集中力であるとか、コントロール能力であるとかを、自分だけで見るのではなくて、第三者をまじえて自分を診断したい、ということがすごいことなんです。他者の目を通して自分を試す、という精神状態なんだと思います。マラソンもそうでしょう。だから、その前提には苦しい、ということがある。しかし、最後まで完走できたあとは、楽しいといえば楽しいのかもしれないけれど、苦しさと向きあうなかで「やっぱり好きなんだよ」と思うことの楽しさなんです。だから、マラソンが楽しくて好きなのではなくて、自分をそうやって試していることが好きなのです。
 専門家というのは、日常的な楽しさへの感受性を自己否定していく「力」に裏づけられている仕事をしている人です。だから、舞台上で即自的に開放されて、それで「さあ、みんなで楽しくやりましょう」などというのはアマチュアレベルの話です。
 
2009年8月、「演劇人」25号<金森穣との対談>より

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October,28,2010

見えない身体を意識化すること

 人間が生きていくには何が必要か、身体が十分にその働きをすることが大事である。身体は幼児の間は意識的に支配しなくても存在し、生存することはできる。しかし、それは他人、母親や医者などの助けを必要とする。心臓は自動的に動くが、食事は与えられなければならない。一個人として自立し生きていくためには、身体のうちで自らコントロール=意識的に支配しなければならないものがある。意識すべき重要なものは3つある。身体が生活上で目的をより良く果たすために必要なもの、身体行動にともなうエネルギーの燃焼と呼吸の調節、それと重心の支配である。エネルギー、酸素、重心、これらは目にすることはできないもので、日常生活ではことさらに意識しているものではない。しかし、このいずれかが欠乏したりコントロールに故障が生じてみれば、健全な身体生活、現代を生きる人間としての社会生活をおくるのが難しくなるのが分かるはずである。身体のうちのエネルギーの燃焼が多ければ多いほど、呼吸活動により酸素が充分に供給されればされるほど、重心が支配され身体行動が安定を保てれば保てるほど、人間の行動の範囲と多様性は高まり生命維持の安全性も増す。舞台上での演技も同じである。この3つのものが特殊に鍛錬されることによって、身体は力強く敏捷に動き、声は大きく強くなり、自分以外の存在への働きかけも高められる。要するに、他の存在へのメッセイジの発信力が高まるのである。これらへの意識性を強め鍛錬することは、演技という行為がより良く成立するための基礎的な条件でもある。
 
2007年9月 演技の考え方と基礎的な訓練の方法<鈴木トレーニングの実際>より

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May,16,2010

娯楽と芸術の違い

 人間が生きていくときには、現在の自分の状態を積極的に楽しんでいこうという気持と、もっと違う状態を手に入れたい、そうしたらもっと楽しいのではないかという二つの気持があるのではないかと思います。この両方の気持を持って生きているところが、人間の人間たるゆえんです。単純化していえば、舞台表現も集団的になっているだけで、この二つの気持を前提にして創られています。前者の気持で創られるものが娯楽とか芸能と呼ばれるもので、後者が芸術だと考えてよいのではないでしょうか。娯楽や芸能は生きているときのその場その場が楽しければいいということですから、たいへん開放的ですし享楽的です。一方芸術と呼ばれるものは、自分自身の現状を乗り越えたい、あるいは自分の置かれた環境を変革したいという欲求が前提にあって出てくる表現ですから、それに接してただ開放的に楽しいということはない。観客の方はいま目の前に見えているもの、いわれていることにたいして一定の判断を迫られたりします。そこで個人個人によって論争が起こったりします。いま現在、私たちが現代芸術として受け入れて楽しんでいるものも、誕生当時はそういう論争の渦中を経て存在しているものも多いのです。
 これを別の比喩でいえば、だれでも手に入れやすく、一時的な病状に即効的に効果をあらわす大衆薬と、ガンの薬や抗生物質との違いです。いい方をかえれば、症状を改善するものと、その症状の原因をなすものを滅ぼしたり、殺すものとの違いです。後者は先端的な知識と実験を重ね、人間の生命を奪うものとの戦いのなかで開発されてきたものです。たえず新しい発見、発明として出てきますが、完全なものはないし、副作用もある。ですから、だれでも身軽に近づけるものではないし、それを使うには専門的な判断が必要です。特殊で強い興味がなければ身近にもなってこないものです。人間が生きていくには、この二つのことがバランスをもって存在しなければなりません。
1996年3月、「劇場文化」1号より

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April,30,2010

鈴木忠志 オペラを語る

 私は、オペラの曲は好きなものがいくつかあるんですけれども、実際にオペラを見にいくことは最近はあまりないんですね。特に新しい演出のオペラというのは見ない。私は照明も衣装も装置も、必要があれば自分でデザインを考える演出家ですので、舞台の統一感がないオペラほどイライラするものはないんですよ。たとえば、バレエや能や歌舞伎も台本は退屈ですけどね、一応そこには総合的な舞台芸術としての統一感があるから見ていられる。演者の動き、音楽、衣装、装置などの一体感があるんですが、最近のオペラは音楽と身体の動き、あるいは演出のアイディアが分離していて、できそこないの空間が多い。それを新しい演出などと称していることがあるんですよね。不思議なのは、私の考えでは、オペラこそ音楽を軸にした総合的舞台芸術ですから、歌い方がそうであるように身体の動きも人工的に洗練された高度な抽象性をもたないといけない。ところが、演技はどんどん日常に近づいて、私などが批判してきたナチュラリズム、自然主義演劇の動きをしていて、普通の演劇よりもだらしない視覚空間になることが多い。客席でそれを見ないように目をつぶると眠くなって寝てしまう(笑)。それで、これまで演出を断ってきたし、劇場へも行かないことにしたんです。隣の人に迷惑をかけないようにと思うと、おのずと足が遠ざかる。
 
 これねぇ、ストーリーは一時代前の日本人好みの純愛物語で、ばかばかしいんですが、なんといってもヴェルディの曲がいいし、こんなたわいのない話をもとにして、こんな音楽をつくったヴェルディという人の集中力の異常さに興味をそそられるのです。私は小説でも戯曲でも、作品そのものではなく、その作品をとおして感じた作者という人間の精神状態に興味をもって舞台化しようとするんです。ですから、今回の主人公もヴェルディです。そのヴェルディが、フィクションとしての憧れの女性をつくりあげていくときの手つきを舞台化しています。ヴェルディの場合、フィクションとしての女性は音の中に閉じ込められて成り立っている。その集中力に舞台芸術家としての私の集中力が空間に結実し、拮抗するかどうかですよね。これは技術の問題ではなくて、それぞれに違った時代を生きて、フィクションというものに生命を賭けている芸術家同士の対決の仕方の問題なんですけどね。この作品でも、“世界は病院である”という私の舞台の主調音は浮き上がるようにしているつもりです。
2009年12月、オペラ「椿姫」公演パンフレットより

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March,22,2010

失敗から学ぶこと

 すでに長い間にわたって伝承されている、きまった形のようなものでも、それが初めて出現したときには、試行錯誤とその形にたどりつくまでに費やした無駄な時間と失敗があったにちがいないのである。だから、舞台芸術を教えるときに大切なことは、形を教えたり、すぐに最終の結果を示すことではなくて、その形が出現するまでの先人の苦労がどのような過程=プロセスと時間に支えられていたかを、もう一度体験として生きてもらうことである。そういう環境をつくって、自分なりの形、これをスタイルといってもよいけれど、それを発見してもらうことが大事なのである。
 その場合、先人がつくりだした形=スタイルは偉大な参考書であり、目標でもあるが、しかし身体の世界では、決して先人が遺したと同じ形やスタイルにたどりつくことはない。なぜなら、身体というものは個人個人で違っているものだからである。同じ病気になっても、その症状の現れ方は個人個人で違うのである。同じ意味内容をしゃべっても、同じ歌を唄っても、声質の違いは一目瞭然なのと同様である。
 このことがわかるまでの訓練の過程=プロセスと、その時間を保証するということ、それは取りも直さず、金銭や時間の効率的な使い方よりも大事な精神的な価値があるとみなす心を持つということだが、そういうことがないがしろにされつつあるのが、日本文化の、ひいては日本社会の一番の問題点であると思う。
2009年3月、「藝文とやま」37号より

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February,18,2010

第5回シアター・オリンピックス開催にあたって

 私たちは高度な電子情報化社会の中を生きています。そこでは、世界は空間的にも時間的にも圧縮され、様々な地域で生活する人間たちの情報を素早く共有することができ、いま地球上ではどのようなことが起きているのか、それに対してどのような反応があるのかを、同時進行的に知ることができるようになりました。しかしその反面、かつて富の配分をめぐって、はなはだしい不平等が起こったように、情報の不平等化が起こってきているのも事実です。また電子情報化によってもたらされた急速な生活スタイルの変化のために、世代間の断絶や家族の崩壊という現象も起きています。
 こういう時代に必要なことは、それぞれの民族や国家が大切にしてきた文化的な遺産の中から、何がこれからの人類の共有財産になるのかを、もう一度検討することではないでしょうか。そのためには一部の豊かな先進国だけが文化的な富を享受したり、その情報を私有化したりすることのないように、この地球上には多様な文化が存在していることを知り、学ぶ機会をいろいろな場所に設けなければなりません。それはそれぞれの民族や国家が、かけがえのないものとして長い時間をかけて歴史的に育んできた異文化との出会いに敬意を払う努力の積み重ねをも意味します。芸術家はそのために宣教師のように存在しているのだと思います。むろん、自分の教義を相手に押しつけるのではなく、それぞれの地域にはそれぞれのかけがえのない財産や価値があるということ自体を、広い視野と見聞の下で布教していくということです。
 シアター・オリンピックスは、こうした意味での芸術家が中心となって開催する世界の舞台芸術の祭典です。民族や国家の優劣をあらそうのではなく、また経済的な利潤を追求するのでもなく、芸術作品を軸にした精神・文化活動がそれぞれの独自性を競い合いながら共存する姿を示そうという理想をもって出発しました。
 幸いなことに、この祭典も韓国で第5回目を迎えることができました。
 韓国での第5回シアター・オリンピックスの開催にあたって、多大なご支援をいただいた皆様に感謝するとともに、あわせてこの催しが大成功の裡に終わることを祈願し、あいさつとさせていただきます。
 
2009年10月19日、第5回シアター・オリンピックス・ソウル大会開催宣言集会における
国際委員を代表してのあいさつ(アルコ劇場)

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January,10,2010

スタニスラフスキー賞受賞あいさつ

 人間には三種類の故郷があると言われます。一つはその人の生まれ故郷、二つ目は自分の家族を形成し、仕事をするために住んだ場所=土地です。三つ目は感動と友情で結ばれ励ましあう心の故郷です。
 芸術家、とくに演劇人はこのうちの三つ目の故郷、民族や国家、貴賎貧富、男女という性による区別を乗り越えた心の故郷をつくりだしたいと活動する人達だと私は思っています。私は40年という年月、たえずこの目には見えないけれども確かに存在し、生きる希望を与えるこういう故郷に出会いたいと、日本以外の国でもたいへん多くの活動をしてきました。むろん、その過程で生きていくことをつらいと感じたり、自分の非力のために平和な故郷をつくりだすよりも、人間同士の争いの方をつくりだしたこともあります。しかし、それでも40年にわたって演劇活動を続けてきたのは、感動と友情によってつくりだされる故郷を追い求める私の欲求が強かったのだ、その欲求を手放さなくてよかったと、いまこのチェーホフ記念モスクワ芸術座の舞台上であらためて感じています。
 日本以外の演劇に興味をかき立て、その作品はどのような過程を経て舞台化されるのかを知りたいと最初に私に思わせ、演劇の世界に足を運ばせるようにしたのは、ほかならぬチェーホフです。そのチェーホフゆかりの劇場で表彰されることはたいへん幸せです。
 もう一つ、本日いただくスタニスラフスキー賞がいかに私の気分を幸せにさせているかを述べます。あるときから私は、私がたてた基準に合致しない賞はもらわないことにしました。その基準は三つあります。
 一つはそれが日本人だけを対象とした賞である場合。もう一つはその賞が個人名によって与えられるもので、その個人が私と同時代を生きている場合。あるいは少しでも人生の時間を私と共有している人の場合です。
 芸術家というものは、どんな若いときでも唯我独尊、自分を天才だと思っているものですから、自分の国だけの財産にはなりたくありませんし、また、同時代の生存者で自分よりも優れた人がいるということを多くの人の前で証明されるのは迷惑に思うのです。では故人ならばだれでもよいかといえば、そうではありません。やはりその人が遺した業績が申し分なく、私が尊敬できなければ困ります。
 今回いただくこの賞は、まったくこの基準にぴったりなのです。スタニスラフスキーはロシア人、賞は国際賞、しかも私が生まれたのは1939年、尊敬するスタニスラフスキーが死んだのは1938年です。
 こんなに晴れやかな心で、気持ちよくもらえる賞はめったにないと思います。ありがとうございました。
 

2004年10月30日、鈴木忠志演出・チェーホフ記念モスクワ芸術座公演『リア王』初日舞台上にて

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