BLOG

鈴木忠志見たり・聴いたり

5月1日 十字路

 来年の2月に台湾国立劇場で音楽劇を創るので、台北に行き40人ほどの出演者を決めて帰ってきた。音楽劇だから当然のことに出演者は歌を唄う。選考審査では、第二次世界大戦以前にも終了後にも、日本と中国で流行した歌、「何日君再来」を課題曲の一つに指定しておいた。この原曲は1936年、日本占領下の上海の音楽学校で作られ、日本人と中国人の別なく盛んに歌われたと言われる。作詞、作曲とも中国人の手になっている。
 歌詞は、よき花常には咲かず、よき運命常にはあらず、愁い重なれど面に笑み浮かべ、涙溢れてひかれる思い濡らす、<中略>今宵別れてのち、いつの日君また帰る、といった具合である。これは中国語の歌詞の日本語訳だが、原詞ではこうなっている。好花不常開、好景不常在、愁堆解笑眉、涙酒相思帯<中略>今宵離別後、何日君再来。ここだけを引用するとただ寂しい歌にも思えるが、酒を飲み歌い人生の楽しみを尽くそう、というような一節も歌詞のなかにはある。心情的には蒋介石の率いた国民党の抗日の歌だったという人もいる。
 日本では1938年<昭和13年>に編曲され、次のような歌詞に変えられ歌われた。忘れられないあの面影よ、灯し火ゆれるこの霧のなか、ふたり並んで寄り添いながら<中略>ああ、いとし君いつまた帰る、何日君再来。日本でも何日君再来の部分は、ホヲリィチュインツァイライと中国語で歌われた。原曲の歌詞とは違って通常のラブソングである。戦前は渡辺はま子が、戦後は台湾出身の歌手テレサ・テンが歌いヒットしている。
 この歌以外にも女性の出演者のために、台湾系の歌手欧陽菲菲の「恋の十字路」を課題曲にいれておいたのだが、殆どの女性が「何日君再来」を選んだのは意外だった。この歌は歴史的にいわくのあるものだからである。
 この歌は1980年頃に中国本土で再び流行した。しかしすぐに、これは日本帝国主義が植民地支配に役立てようと中国人民を毒化した亡国の歌で、歌詞は頽廃と没落の思想を反映していると新聞が論評し、歌うことは禁止された。台湾でも国民党政権が禁止した時期がある。作曲者の人生も不幸そのもの、紅衛兵につるし上げられて職を追われたり、モッコかつぎなどの農作業を強いられたこともあったらしい。
 一説によると、いつの日君また帰るの<君>とは、毛沢東の中国共産党との内戦に敗れて台湾に逃れた蒋介石や、日本の天皇を思わせるところがあるからだというのである。彼らにまた帰って来てほしい、などとはトンデモナイというのであろう。たしかにそう言われればナルホド、ナルホドである。しかし今現在にこの曲を聴いて、そんなことを連想する人たちは中国本土にも台湾にも、ましてや日本には、もはやいないのではないかと思うのだが、どんなことでも政治的な文脈に投入し、屁理屈をつけて利用する人間は、いつの時代でもどこの国でも存在するものだという淋しい想いにも誘われる。
 もう一つの女性の課題曲「恋の十字路」には、こういう歌詞の一節がある。弱い私は待つだけなのね、まっすぐ行こうか曲がろうか、あなたひとりにかけた恋、恋、I want you love me tonight 。
 選考審査でこの曲を歌った人に、この歌は日本の女性たちが、男性中心主義の前政権に代わって、女性と弱者の味方であるという鳩山由紀夫新総理に期待をかけたにもかかわらず、どうやら違ったらしいという、現在の日本の政治状況にたいする内省的な心境を表現したものなのです、と解説したらどう思うかなどと馬鹿なことまで考えてしまった。
 日本国民には、はたして帰って来てほしい<君>が存在するのかどうか、日本は十字路をまっすぐ行けるのか、あるいは曲がるのかどうか、近々に選挙もある。