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鈴木忠志 見たり・聴いたり
5月21日 サンキュー
「ひとり語り」という女優吉行和子の本が送られてきた。50年以上も続けてきた女優人生のさまざまな経験を書き綴ったものだが、相変わらず文章が上手い。この人の優れたところは、他人との距離のとり方とそこから導き出される観察力、それを的確な言葉にする能力である。私はよく、女優なんかやらなくてもよいのにと思ったものだが、ともかく演劇界には稀にみる知性とユーモアのある人である。私の舞台にもたびたび出演してもらったから、当然のことながら私とのエピソードもある。
この本に私の稽古と訓練が厳しいことが書かれている。大の男が酸欠状態を起こすぐらいだとある。これは私と一緒に仕事をした日本の俳優たちが必ず口にすることでもあるが、たしかに日本の演劇界の怠惰なそれからすれば、そう言われるのももっともかもしれない。しかし吉行さんも少し触れてくれているが、外国ではこの訓練はかなり知られているし、この程度の厳しさは専門家になろうとするものの常識である。私の訓練を特殊視する日本の演劇業界、ことに演出家や批評家は多いが、それは言葉の障壁があることをいいことにして、世界の舞台水準との比較をしないで仕事をしている志の低さを正当化しようとする言い訳であると私は思っている。日本の演劇界は知的な面でも身体的な面でも、他の芸術諸領域だけではなくスポーツと比べても、話にならないほど怠け者の集団になっている。
私がスズキ・トレーニング・メソッドといわれる訓練方法を劇団以外で教えたのは1980年、ウィスコンシン大学が初めてである。私の訓練を日本で目撃したウィスコンシン大学演劇科の主任教授が、この訓練を生徒に教えたいと私を招待したからである。この教授が訓練の初日に、教室に集まった生徒に私を紹介するときに言った言葉は今でも忘れない。
スズキの訓練は大変ハードである。しかし自然主義的日常的な演技しかできないアメリカの俳優には、これから必要になるものだと信じる。君たちにとっては未知のものだから、疑問は多く湧いてくるかもしれない。しかしスズキは日本人である。日本では先生には質問をしないことになっている。まず言われたことをやれ。
私は内心で吹き出していたが、最初にこう言っておいてくれるのは、大変ありがたいことなので、教授のスピーチが終わるやいなや、私は握手をしながらサンキューと言った。教授はニヤッと笑いながら私の耳に囁いた。どんなに怒ってもいいが、必ず最後にはサンキューと言ってくれ。
彼は日本の稽古場で、私が俳優たちを怒鳴り散らすのを見ていたので少し心配したのだろう。芸術家たらんとする専門俳優と、これから演劇を学ぼうとしている生徒への接し方の違いぐらいは私だって心得ているが、さすがに怒ったあとにサンキューと言うのには時間がかかった。日本の現場に置き換えれば、バカヤローと言ったあとにアリガトーである。
しかしアメリカでは気軽に言えるようになったサンキューも、日本でのアリガトーは上手に口から出てこない。修行がいまだ足りないとでもいうべきか。