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鈴木忠志見たり・聴いたり

6月3日 珍場面

 久しぶりにトルコのイスタンブール国際演劇祭で公演をした。演劇祭は1989年に開始されたものだが、以前に「ディオニュソス」と「イワーノフ」を上演しているから、今回の「エレクトラ」で三度目になる。
 この演劇祭は1997年から、演劇に貢献したとする演劇人に名誉賞を授与している。トルコ以外の演劇人では、第1回がイタリアの演出家、故Giorgio Strehler、前々回がイギリスの演出家Peter Brook、前回がリトアニアの演出家Eimuntas Nekrosiusが受賞している。もちろん私の年来の友人たち、アメリカのRobert Wilson、ロシアのYuri Lyubimovなどもである。今回は私が選ばれ、記念品を授与するセレモニーが公演初日の開演前の舞台上で行なわれた。まず型どおりに、演劇祭の芸術監督が私の活動と業績を述べた。次に舞台上に設置されたスクリーンに、私の演出作品と訓練風景の編集された映像がハイスピードで映され、最後に私の顔写真と名前がバンと出た。
 いよいよ私の登場である。拍手と共に壇上に上がりお辞儀をして横を見ると一人の紳士が立っている。私の斜め後ろにいる通訳の女性にこれは誰かと聞くと、トルコの有名な初代文化大臣だという。挨拶しようとするのだが、元大臣は芸術監督と何やら話をしていて私の方を向かない。しばらく待っていると芸術監督が観客に向けてスピーチをしだしたのだが、観客は何度も大笑いをする。通訳が私の耳元で解説する。元大臣にスズキに記念品を贈呈するために、首都アンカラからわざわざ来てもらったが肝心の記念品が劇場に届いていない、誠に申し訳ない、こんなことは初めてだと言ったというのである。アンカラからイスタンブールまでは500キロもあり、元大臣は飛行機でさきほど着いたばかりだと通訳は言う。二人は困ったように舞台上に立ったまま私を見る。元大臣はどうしようかと私に言う。私の方こそ困ったはずなのだが、ともかくスピーチをしますと私は咄嗟に言った。
 もらえる記念品がもらえないのは、それがどんな物かますます期待がたかまるし、来年もまた招待するから来いということで大変ありがたい。トルコで預かっておいて下さい。観客が笑って拍手したのでホッとして舞台を降りたのである。そして舞台は幕が開いた。
 公演終了間際に客席にいる私に伝言がある。記念品が届いたのでカーテンコールの時に再び舞台に上がってくれ。私は俳優たちが一列に並ぶ前で、私の名前が彫られている大きなガラス製の記念品を元大臣から手渡される。それを観客席に向かって高々と上げると、観客は大笑いしながら拍手してくれた。
 今まで何度もカーテンコールで拍手されたことはあるが、満場大笑いの拍手は初めてである。二度とはないだろう珍場面に出会えて楽しかった。トルコは政治的にも経済的にも厳しい状況にあるようだが、こんなのどかな時間を享受できるのも、劇場というもののありがたさである。元大臣には舞台上で握手しただけで別れてしまったが、「エレクトラ」が気に入ってくれたかどうか、感想を聞かなかったのが少し心残り。トルコを去る日、女性の芸術監督がホテルまで見送りに来てくれ、スズキさんはヤサシイ、助かったと言った。
 利賀村に帰ってみると草が一面に生え、もはや地肌は見えない。それどころか、木の葉も勢いよく茂って風景は一変している。植物に囲まれ私の視界は屈折し狭い。トルコではホテルの部屋が最上階だったから、毎日ボスポラス海峡を下に眺め、海も空も果てしなく拡がり、視界から遠ざかって消えていく風景の中にいた。
 私は山国に住んでいるのだとあらためて感じる。