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鈴木忠志見たり・聴いたり

6月25日 リーダー

 BeSeTo演劇祭で上演する「シラノ・ド・ベルジュラック」の稽古をしている。日本での公演は久しぶりである。この作品は昨年の秋、ソウル市の明洞に開場した新しい国立劇場で上演している。この劇場は日本植民地時代に東京の明治座と同じ名称のもとに建設された。第二次大戦後に国有化されたが、一時期民間のオフィスとして使用されていた。それを韓国政府が再び買い取り、新たな内装を施して国立明洞芸術劇場として再出発したのである。既存の国立劇場から比べると小規模とはいえ、あらゆる面で使いやすく洒落た雰囲気である。それに繁華街の中心にあるから、私のように山の中からたまに訪れる人間には楽しい。
 初代の館長具滋興は長年にわたって、韓国のBeSeTo演劇祭を実務面で支えつづけた人で、現在は韓国BeSeTo委員会の代表もしている。館長に任命されるにあたって具さんは柳仁村文化体育観光部長官から、オープニング公演には、韓国のものだけではなく私の作品も入れるようにと言われたらしい。ありがたい事だった。
 柳長官は俳優や大学教授として業績を残した人だが、現在は政治家として活躍している。昨年の夏にはSCOTサマーシーズンの期間中、私と石井隆一富山県知事とのシンポジウムに参加するために利賀村に来てくれた。その時にこんな発言をしている。
 <日本では、おそらく50年ぶりに政権の交代が起きると言われています。ですから、韓国と日本の両国にとっても、今がチャンスだと思っているのです。アジア全体について考えてみてください。こういう時にこそ、鈴木先生がおっしゃっていたようにリーダーがもっと大国の政治家らしい、広く包み込むような心をもってもらいたいと思っているのです。アジア以外の地域でも、貧困で苦しんでいる地域に対する心配りが必要だと思います。もし政治でそれができないのだとすれば、この場にいらっしゃる皆さんや他の芸術家たちがその役割を担うのも一つの方法かもしれません。両国が抱えているさまざまな問題や人間観の違いについて考えていくことが必要だと思います。その意味で若い人たちの交流がとても重要なのです。この場所にいらっしゃっている韓国以外の国の関係者、俳優たちも自分の国に帰った時にさまざまな感想を抱くことだと思います。>
 柳さんの言うように確かに日本に政権交代は起こった。しかし一年も経たないうちに総理大臣の交代も起こった。直近の参議院選挙の後には、また総理大臣の交代が起こる可能性に言及する人たちもいる。柳さんは日本は大国であるというが、いま日本人がいちばんもつことができない実感もそれであるかもしれない。それはひとえに、我々の代表と世界から見做される総理大臣の器に、自信がもてない長い期間をもちすぎたためだとしか言いようがない。
 総理大臣は国民のリーダーである。総理大臣という職は国民にとってのリーダーとしての認可証を意味する。その政策や発言に異論があるとしても、それを認めないとしたら国民をやめる以外にはない。それもひとつの自己主張のあり方だとは思うが、いずれにしろ国家を率いるリーダーとはスターと同じで、共同性の根拠を背負いそれを自覚的に表現できる人間のことである。だから、自称スターなどとは存在しない。他人の多くが認めるが故に登場できるものである。しかし、日本の政治的リーダーは自称に近いのではないかという疑いを拭い切れないような登場の仕方をしているというのが、多くの人々にとっての実感ではあるまいか。むろんこれは必ずしも、その職についた当人たちだけの責任ではないが、日本という国にとっての困難は、国民の多くがリーダーというもののイメージを共有できなくなったことであろう。
 リーダーのイメージの共有の可能性とその輩出のシステムが日本にあるのかどうか、この議論が今の日本にはいちばんの緊急のことかもしれない。つかの間の経済大国の恩恵に浴して緩んでしまった日本人にとっては、もっとも苦手なことであるかもしれないが、グローバル時代を生き延びるためには、あらゆる領域でこの議論は避けて通れないと思う。