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鈴木忠志見たり・聴いたり

7月9日 嘘の効能

 あの方にお手紙を頂戴って仰しゃってね。「シラノ・ド・ベルジュラック」の女主人公ロクサアヌが、別れ際にシラノに言う言葉である。あの方とは一目惚れした若い軍人クリスチャンのことである。手紙をくれ、ロマンチックな響きのするこの言葉、私も昔は女との別れ際に、面と向かってこんなことを言ったり言われたりしたこともあったように覚えるが、今や懐かしいかぎりである。私などは古い世代だから、こんなことを言われたら今でも、手書きの立派な文章を書かなければと思ってしまう。それに手紙は自宅から出すのではなく、旅行でもして遠いところからででも投函しなければならない、それでなければ自分も相手も高揚した気分で接することができないなどという馬鹿なことまで考えかねないのである。疲れることおびただしい。若い頃の私には、手紙とはともかく非日常、フィクションとしての存在だったのは確かだった。文体だけではなく筆跡すら、親愛や愛情の証しを表現してしまうと思い込んでいたから、いざ実行という段になると集中力が必要になって疲れてしまうのである。ビジネスだけの手紙など思いもよらなかった。
 しかし現代では、コンピューターや携帯電話の出現のために、多くの人から手紙を書く習慣が消え去りつつあるのではないかと思う。むろん、電子メールも手紙の一形態には違いないが、伝統的なこの言葉の意味するところとは違う。味気なく言えば、反射神経による言葉の交換である。そこには非動物性エネルギーの媒介によって、言葉の脱身体化が現象されている。私にとっての手紙とは、一つ一つの文字自体にも動物性エネルギーの使用の仕方と、独自の身体的個性の痕跡をも読み取ることができる生な存在である。それゆえに、手紙は人間関係をより良く形成する大切な存在だったり、逆にそれを混乱させたり不和にする重要な存在にもなりえたのである。
 シェイクスピアの戯曲ではこの手紙の存在によって、ドラマの展開を示唆するものが多い。マクベス、ハムレット、リア王とすべからく手紙は重要な場面に登場するが、その中でもリア王は、陰謀として作成された偽の手紙が、登場人物たちの人生を大きく狂わせてしまうその顛末が実によく描かれている。手紙の内容の真偽がすぐその場で問われないと、とんでもない事が起こる、これは政治の世界でも偽メール事件として話題になったことだが、手紙による混乱を防ぐためには、誰が手紙なりメールの書き手あるいは発信源かを、すぐに特定しなければならない。しかし、なにごとも効率的に素早く処理されるこの電子情報社会でも、それには時間がかかる。
 フランスの劇作家エドモン・ロスタンの「シラノ・ド・ベルジュラック」という戯曲も、手紙にまつわって引き起こされる人生の有為転変を描いている。この劇の女主人公は14年間も、手紙の文体の素晴らしさに酔わされ、シラノの書いた手紙を実際の恋人が書いた手紙だと思い違いしていた。ここには書き言葉というものが、意図的に他人を騙したり、あるいは思考や気分を一定の方向に誘導することのできる力強い武器だということがよく表現されている。極端に言えば、書き言葉という嘘の力が人間を動かすということである。私も経験したことだが、よく学校の先生が、嘘を書かないで感じたままを書きなさいとかと、文章指導したりすることがあるが、これだと小説や戯曲の存在意義もこの世から消えてしまう。書き言葉を使って見事な嘘をつき、他人を酔わせたり刺激したりしたのが、歴史上の偉大な小説や戯曲だからである。
 主人公のシラノは書き言葉を縦横に駆使し、自らの本心は隠して、若い恋人二人を繰る。これほど執拗に書き言葉の使い方と、その力を感じさせようとした戯曲はないと思う。シラノは武人でもあり詩人でもある。ということは、生死を一瞬に賭ける実践家であり、書き言葉という嘘によって他人を騙る芸術家でもあるということである。この場合の芸術家とは、書き言葉を使いこなす嘘によってしか、自分の真意は他人に伝えられないと思い込んだ人間のタイプのことである。この嘘が記憶された肉声の故に気づかれ、書き言葉によって維持されていた仮構の人間関係が崩壊する。仮構の人間関係がもう成立しないとなれば、シラノは実践家としての武人にかえり、立派に死ぬ以外にはない。芸術家としては死んだからである。むろんその死は、シラノ自らも望んだものだが、記憶された音声言語が、人間関係の虚構を崩壊に導く最終場面は、なんともしれず演劇的な嘘の楽しさを遊んでいる。文字言語にも力があるが、音声言語にも独自の魅力的な存在意味がある、これは演劇人にとってはありがたい考えである。肉声としての音声が、ますます聞きにくくなってきた電子情報社会を生きる我々には、刺激的で懐かしくもある人間存在の考察のドラマだと言ってよい。
 他人を動かす嘘をつき続けるのも命懸けだぞ、この戯曲はゲイジュツ大好きの昔のフランス人らしい心意気で、マンガのように楽しく書かれている。