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鈴木忠志見たり・聴いたり

7月26日 劇場の消失

 人間の身体行動、立ち居振る舞いや所作を規定するのは、空間と衣裳である。この二つのものは、長時間にわたって人間の身体行動を規定し、動きの規律を創る。視点を変えて言えば、動きの文法を成立させる。日本の伝統芸能、能や歌舞伎はこのことを良く証明している。
 何百年も前に発生した能や歌舞伎が現在まで生きのびてこられたのは、役者が行動する場=劇場と、身体に纏う衣裳を固定したからである。それを身体に対する制約と見做してもいいが、それが立ち居振る舞いや所作を独特なものにし、これらの舞台芸能を世界に類を見ない個性的なものにした。現代劇のように言葉によって成り立つ戯曲によって個性的であるのではない。端的に言えば、劇場のスタイルが独特だったので、身体の虚構性も高まったということである。むろんその分だけ役者の演技は、現代生活の身体行動から遊離することにもなったのは当然である。
 現在でも、これらの芸能の舞台の床は木で作られている。身に纏う足袋や着物も、植物から作られる繊維で出来上がっている。野外で始められた宗教的儀式のパフォーマンスが、やがて演劇に変移していく過程で、日本のそれは室内で上演されるのが基本になった。雨の多い土地柄の故もある。それは野外を前提として発展したヨーロッパの演劇、特にギリシャやローマ時代の演劇の舞台とは対照的である。石と靴そして言葉、これがヨーロッパ演劇の前提である。
 日本の劇場と呼ばれるものは現在、その殆どがコンクリート造りである。観客を大量に収容する大空間が必要とされたのと、消防法が木造の劇場を禁止したからである。そのために劇場が演劇のもつ力を発揮実現することを目的とする空間ではなく、経済効率と危機管理の観点を優先する集会場に変質していった。そして行政が劇場の施主として登場しだすと、この傾向はさらに強まり、当然のことながら画一的で無個性、杓子定規の管理運営をする空間のシンボルが劇場と呼ばれるものになったのである。
 この段階で若干の例外を除き、日本に演劇人が居なくなった、とりわけ演出家が要らなくなった。ということは日本の現代演劇の水準が伝統芸能以下、単なる自己表現という日常の遊びの延長になったということだが、時代の趨勢に抗しきれず、新しい劇場様式とそれに見合った身体の文法を創出することこそが、独自の演劇作品を生み出す前提であり、根本の環境だという視点を、演劇人自らが放棄してしまったからである。
 最近の若い日本の演劇に接すると、舞台の上で人間が風にそよいでいる。草食系と言われる人たちらしい。これこそが新しく出現した日本の現代演劇だと、東京の一部の劇評家や学者は御託宣を述べる。しかし本当にそうなのか。日常の無意識を他者の眼を媒介にして、かぎりなく意識化し批評するための戦いの姿ではなく、日常生活の反復に疲れ、衰弱した身体を撫でさすって自分の存在の正当性を自己主張しているのが実際ではないのか。この身体行動は珍品種には間違いはないが、こういう場所に現代人のリアリティーが息づいているなどと言われると、劇評家や学者の幼児化も相当に進行していると感じざるをえない。