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鈴木忠志見たり・聴いたり

8月10日 演劇天国

 今夏の利賀芸術公園はいろいろな面で装いを新たにしている。1982年の夏、最初の利賀フェスティバルを開催した時に活躍した劇場の一つ、合掌造りを改造した利賀山房が新しくなった。今は亡き寺山修司、太田省吾、ポーランドの演出家タデウシュ・カントールらが彼らの代表作、「奴婢訓」、「小町風伝」、「死の教室」などをそれぞれに上演してくれた劇場である。友人の寺山修司は病をおして演劇祭に駆けつけてくれたが、その直後しばらくして他界した。劇団員が彼を戸板に乗せて移動させていたのを思い出す。
 100年以上も前の建物だったので、床下の木が腐り、豪雪の重みに耐えられず、昨年になって建物全体の歪みが顕著になってきた。そのため基礎をコンクリートにし、室内のいくつかの柱を取り替えたのだが、ついでに舞台上の帯戸や障子のための敷居を床と同じ平面に埋め込んだり、階段状の客席も高さを調節して見やすくした。富山県もきめ細かに目を配ってくれる。この公園を管理する財団職員の情熱をも感じてありがたい。こんな山奥の文化施設である。通常の自治体行政ではこうはいかない。今年から、この劇場は若手演劇人のための事業、演劇人コンクールの主会場になる。
 芸術公園の広場には、彫刻家岩城信嘉の遺作、縦25メートルもある三角形の石の大テーブルを設置した。カリフォルニア大学や富山県の経済界の寄付金で建てられた磯崎新設計の八角形の図書館、現在はやはり演劇人コンクールの劇場の一つとして活躍しているが、それを背景に見事な姿を横たえている。滅多に見かけることのできない豪快なものである。これは南砺市のホテルのロビーにあったものだが、ホテルを取り壊すそうで譲り受けた。岩城家にもホテルにも感謝である。岩城さんには我が家の裏庭にも、小さいが同じ石のテーブルを作ってもらっている。
 芸術公園の雰囲気が一変したので、長年にわたって私の活動を支援してくれている村民の人たちにお披露目のパーティーをした。私より年長の元村長や村議会議長、劇団員の食事を作ってくれたり、公園内の土木作業をしてくれた人たちが30人ほど集まってくれた。むろん私のよき観客の一人一人でもある。皆さん喜んで盛り上がったが、夜遅くまで、それも満天の星空の野外で、酒を酌み交わし語り合うことなど、どこででもできることではない。同席していた富山県の財団職員が、楽しいですねと語りかけてきた。これが演劇だからね、と私は答える。こんな人生の一瞬を生きさせてくれる利賀村は、確かに私にとっては演劇天国とでもいう以外にはない。今年のSCOTサマー・シーズンはいよいよ明日から始まる。