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鈴木忠志見たり・聴いたり

8月26日 持続へ期待

 今年のSCOTサマー・シーズンはいろいろなことで昨年とは対照的である。昨年は外国の演目と外国人の演劇関係者、特にヨーロッパ、ロシア、アメリカなどの人たちが多かった。14ヶ国からやって来た100人近い人で賑わった。しかし今年はアジアの人たちが多い。中国、韓国、インド、シンガポール、台湾などである。私の演出助手も昨年はアメリカ人だったが、今年はインド人と中国人に務めてもらっている。民主党政権の政策的スローガンの一つ、東アジア共同体の創設とやらに呼応したわけではないが、期せずしてそうなっている観もあり、苦笑している。
 最近のSCOTの活動と私個人の演出活動が、アジア諸国にシフトしてきたためである。これは私の意識性というより、アジア諸国の演劇関係者の間に、SCOTとこの利賀村の活動がようやく浸透したということであろう。むろん私個人としても、いささか欧米に倦いていたし、アジア諸国の歴史や文化に興味を持ち出したときだったので、この現象は歓迎である。
 BeSeTo演劇祭の初期の頃、私がこの演劇祭を日中韓だけのものにするのではなく、アジア諸国にも開かれたものにしたらどうだと提案したことがある。中国代表がすかさず、それは結構だが台湾はだめですよ、と返答したのを思い出す。もう10年以上も前のことである。アジアの国家同士の関係は、現在とは比べものにならないぐらいに、政治的な緊張関係にあった。とくに政治主導の国家ほど文化交流のあり方も制約を受けやすい。中国だけではなく、韓国でも似たことはあった。韓国の場合は政治的に利用されやすいその時々の反日感情が、上演演目の選定までを左右した。
 この頃のことを思うと、アジア諸国の人たちが、利賀村で一緒に食事をしながら、国を越えた共同のプロジェクトの話を気軽にしている光景は、隔世の感がある。政治的主張や経済活動の思惑に左右されない人間関係、それに基づいた新しい文化を創造する共同作業の持続、その発展を期待せずにはいられない。
 持続は力なりという言葉がある。人間の精神力と具体的な行為の蓄積を想わすこの言葉は、政治や経済の領域の言葉としてではなく、今や文化活動の領域でしか生き延びる術はないのではあるまいか。今後、日本の存在感を世界に主張できるのも、おそらく持続する文化の力しかないと思える。