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鈴木忠志見たり・聴いたり

9月7日 単独戦

 錆びた刀で戦っている、これは日本で初めて、地方に公共の舞踊団を創設したダンスの振付家金森穣の発言である。ヨーロッパから日本に帰り活動しようとして、何が日本のダンス界への最初の印象だったか、という私の質問への答えである。ベジャールやキリアンというヨーロッパが輩出した一流の舞台人に、若くしてダンサーとして薫陶をうけた人の譬えとしては、意外で印象的であった。この一言で日本での彼の孤独感が、私にはよく分かる。こういう表現は、日本でだけ活動する演劇人からは出てこない。戦うなどという実践的な感性は、もはやないからである。戦うためには目標が要る。そして、なによりも鍛錬が要る。日本の演劇人は刀を持っているかすら疑わしいのである。
 SCOTサマー・シーズンの恒例のシンポジウム、今夏は私よりずっと若い世代の舞台人と話をした。劇作家で青年団主宰の平田オリザ、演出家で鳥の劇場を主宰している中島諒人、それに新潟市の芸術文化会館芸術監督のこの金森穣の三人である。それぞれにすぐれた舞台人だが、対照的な活動をしている。
 演劇人の二人、平田は鳩山内閣成立時に内閣官房参与に就任、現在もその地位にある。劇場法の成立や人材養成や芸術家の雇用の機会を増やすための財政制度の創設に努力している。中島は東京で活動した後、鳥取県の鹿野町に劇団を作り作品を発表したり、演劇祭を主催している。鹿野町といえば毛利に滅ぼされた尼子家再興のために戦った、山中鹿之助誕生の地である。月に向かって、我に七難八苦を与えたまえ、と祈ったと言われる悲運の武将である。この地に彼は、廃校になった小学校の体育館を鳥取市から借り受け、内部を自分たち劇団員で改造し、劇場を造った。この二人の演劇人も、目標を失いただ趣味の世界に浮遊している、東京の演劇界から離れて、独自の作戦を練り、それを実践する戦場に赴いた人たちである。それぞれに主戦場は違うが、単独戦の厳しい孤独が待ち受けていることは金森と同じである。
 SCOTサマー・シーズンが終わったので、少し気持ちのゆとりができ、友人の評論家柄谷行人からしばらく前に送られた「世界史の構造」を読み始める。柄谷は私が絶えず関心をもち続け、かつ刺激されてきた他領域の人である。そしてまた、建築家磯崎新と同じで、私の舞台を早い時期から殆ど見てくれている友人の数少ない一人でもある。
 彼の本に接するには集中力、というより体力が要る。彼の文体は、自己にも外界にも決して慣れることのない異和感の強さを、強靭な批評的論理に昇華していく力技だからである。今度の著作はいまだ読了していないが、彼の思考の原型がどんな一節にも螺旋を描きながら途切れることなく顔を出し、持続していく。ここ最近の彼の仕事の集大成的な感のある力作である。自分が拮抗したいと想っているレベルの人の言説や、世界史に痕跡を残すような事象にしか言及しない対象選択への気迫が、その感をさらに強くする。ともかく歴史性を踏まえながら、現在を分析する執拗なエネルギーと、普遍に接触し続けようとする情熱は衰えずである。この人の主戦場と単独戦のスケールは大きい。