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鈴木忠志見たり・聴いたり

9月20日 デカイ話し

 ソ連が崩壊し東西の冷戦に決着がつき、世界に平和が訪れると思ったら、ヨーロッパは民族紛争が吹き出し混乱している。世界中が同じようになる可能性もある。そこで、われわれ演劇人に何ができるか考え、大きな計画を思いついた。シアター・オリンピックスを開催したい。オリンピックをスポーツだけに任せておくわけにはいかない。あれはアメリカによって商業主義のイベントにされてしまった。ギリシャ人としては残念。協力を頼む。
 1992年のことである。この年私は、三井グループの芸術祭の芸術監督として、ギリシャの演出家テオドロス・テルゾプロスの作品を、赤坂の草月ホールに招待した。彼の舞台の終演後に、私と劇団の事務局長斎藤郁子はテオドロスと食事をした。その時の話である。こんな大きな話が不似合いなような、地下の小さな暗いレストランだった。彼がこの話を切り出したとき、私は内心でつぶやいた。ラテン系の芸術家には気をつけろ。人間は魅力的で面白いが、実現できない大きなことも平気で口にしたり約束する。
 確かにヨーロッパでは、ユーゴスラビアが崩壊し惨憺たる民族紛争がある、経済のグローバル化による、アメリカ的商業主義の世界的な浸透もある。彼の言うことに一理がないわけではない。しかし、待てよである。こんなレストランで話す内容にしては、デカスギル、バチガイダ。私は疑問を呈した。まず何をするのだ。彼は突然、革命家ではないかというような目つきと大きな声で宣言した。世界中から、まだ商業主義に汚染されていない演出家を呼び集めよう。お前はまずアメリカのロバート・ウィルソンを説得しろ。俺はロシアと東ドイツ、旧共産圏で活躍したユーリー・リュビーモフとハイナー・ミュラーに話をする。そして事務局長は斎藤郁子だ。まだ私は疑心暗鬼、日本とアメリカから金を集めようとしているのではないか、などと思ったりしていたが、もちろん最後は、承知したである。
 1994年6月18日、シアター・オリンピックスの国際委員会がアテネに於いて創設された。その時の委員は、私と上記の4人にイギリス、スペイン、ブラジルの代表を加えた8人である。今シアター・オリンピックス創設の宣言文を取り出して見ると、もはや故人になったハイナー・ミュラーのサインもあり、すでに長い年月が経っていることを思わせられる。現在の国際委員はその後、フランス、ドイツ、ナイジェリア、イタリア、インド、韓国が加わり、故ハイナー・ミュラーを除けば13人である。
 この催しも1995年のアテネとデルフォイが第一回、その後は静岡、モスクワ、イスタンブールと続き、今回のソウル開催が五回目になる。開催の度にいろいろな人たちに出会い支援もいただいたが、モスクワでは当時のプーチン大統領やルシコフ市長が財政面で協力してくれて盛大なものになった。それだけではなく、プーチン大統領とはクレムリンの執務室で一時間ほど、演劇や文化交流について懇談できたことは忘れ難い。一国の政治指導者と演劇について一時間も話すなど、それまで想像もしなかったことである。
 明日ソウルへ出発する。オープニング公演はロバート・ウィルソンと私の演出作品、これも不思議な縁だが、韓国の人たちともどんな出会いがあるか楽しみである。