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鈴木忠志見たり・聴いたり

11月7日 おまかせ

 日本料理屋や寿司屋に行くと、メニューに「おまかせ」と書いてある店は多い。最近ではレストランでもこの言葉をみかけることもある。要するに、料理の内容を店の料理人やシェフに任せるということだが、こういう食事の仕方をするには、やはり店の料理内容への信頼が前提である。私は好奇心が強いから、初めて訪れた店でも、こういう注文の仕方をして失敗することもある。「おまかせ」で頼んだ以上、出された料理がどんなに気に入らなくても、不平や文句を言える義理ではない。この場合は、ただ反省あるのみなのだが、どこの店でもおおむね「おまかせ料理」は値段が高い。いつか連れ立って食事に行った友人が、「おまかせ」にしたのに、俺はこんな物を食いたかったわけではない、といちいち仲居さんに厭味を言い続け、時には出された物を返そうとする。こんなことで大まじめに、人間として潔くないとか、責任はこちらにあるとか、相手のことも考えてやれ、仲居さんが可哀想だなどと、友人を諌めるわけにもいかず、ただただシラケて食事がまずくなったことを覚えている。
 「おまかせ」は、漢字で書けば、「御任せ」である。丁寧な言葉にしているから「御」の字が頭についているが、要は、権限を他人に任せる、別の漢字を当てれば、権限を委譲する意味をもつ委せるでもある。砕けて言えば相手に、やりたいようにしてよいということである。
 先頃、尖閣諸島での中国漁船と海上保安庁の巡視船との衝突映像がインターネット上に公開され、いろいろなコメントがなされている。この行為は内部告発という形で国民感情を代弁したのだとか、国家公務員法違反の刑事事件として厳しく対処すべきだとか、国家経営が内部崩壊している現れだとか、騒然としてきた。いずれも、日本は国家的な危機的状況を示していることを憂えている。
 今度の事件が、危機的な感覚を与えるとしたら、機密情報が管理できなかったからではないはずである。こんな事はいつでも起こりうると予測できたことだし、また逆に、その気になればいつでも解決できる制度運営上の技術問題にすぎないと私は思う。危機的状況は、中国人船長を那覇地検の判断として処分保留で釈放した時点にすでにあった。むろんこの判断の背後には、政府の暗黙の意志があったことは当然のごとくに語られてはいるが、ともかくこの事件の初期には、国家的な政治判断を前提とする事件であるにもかかわらず、この事件をどう処理するかは那覇地検に「御任せ」だと政府は態度表明していた。政府は、この事件の処理はすべて、海上保安庁と検察の法律に則った判断によって行われており、政治介入はないし、していないと発言していたのである。
 この推移を思い出してみると、海上保安庁や那覇地検の内部から映像が流出していたとしても、いまさらそれを、政府批判の行為のようにみなしたり、公務員の特別な犯罪であるかのように大騒ぎするのはおかしいのではないかと思える。那覇地検は、中国漁船船長の処分の当否を、政府から「御任せ」されたのではなかったのか。中国人船長を処分保留で釈放するのが「御任せ」なら、なぜ映像の公開の当否も「御任せ」ではいけないのか。当時の政府が映像非公開を主張したのは、起訴後の裁判に影響してはいけないという、刑事訴訟法の規定を理由にしたものであった。しかし、中国人船長は地検の判断でとうに帰国している。
 映像流出の過程だけを法律上の場面に厳密に移せば、そう単純にはいかない一面もあるとは思うが、「御任せ」が政府の態度であったことは周知のことである。だから政府は、今度の事態にいまさらツベコベ言える筋合いではない。このことによって起こる政治的混乱の事態は、身から出た錆というものだろう。映像の公開が気に入らないなら、そんなところに国家の大事なことを「御任せ」したことを反省し、国民にまず謝罪すべきなのである。「御任せ」先を見誤っていながら、いまさら出された料理にツベコベ言うのは、やはりミットモナイのである。「御任せ料理」はいずれにせよどこでも高くつくのは相場である。
 任せる、委せるという言葉には、庭を荒れるにまかせる、運を天にまかせるというように、主体的な行動の放棄、何もしないで成り行きにまかせるという意味まである。たしかに日本人は長い間、面倒臭いことや辛いことを「御任せ」で上手に解決してきたこともあろう。しかし、現代はグローバルな電子情報社会である。「御任せ」による失敗は、判断の誤りですむことではなく、主体的な行動を放棄せざるをえないような状況を呼び寄せ、その状況を自らコントロールできなくしてしまうことにある。それが国家的な規模で起こりつつあるのが真相ではあるまいか。映像の流出を政治的快挙であるかのように言う人もいるが、もし快挙であるとしたら、それは本人が氏名を明らかにしてこの行為を実行した場合である。今回はむしろ、日本の政治状況の貧しさを見事に証しているだけと捉えておくべきだと感じる。
 テレビでこの事件を眺めながら、「おまかせ」で失敗し、ますます食事をまずくした、哀しくもおかしくもあった昔の一場面を思い出させられた。こんな矮小な経験からの類推で誠に申し訳ないが、つくづく、政治だけは「御任せ」でやってはほしくないと思うのである。