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鈴木忠志見たり・聴いたり

11月12日 リア王初演

 「椿姫」、台湾では「茶花女」と書く。ヴェルディのオペラで有名なこの「茶花女」を、来年の2月に台湾の国立中正文化中心のオペラ劇場で、現代ミュージカルにして演出、上演する。ミュージカルといっても、デュマ・フィスの原作戯曲の物語りを踏まえて、台湾の流行歌10数曲、それに長渕剛などの日本の流行歌を加えたものである。台湾には3日ほど滞在して昨日帰国。今度の企画について芸術監督と記者会見、観客を前にした座談、それに国立台湾芸術大学学長と、現代社会に於ける芸術の役割について討議などをしてきた。利賀村に帰ってみると、紅葉は末期、本格的な冬の到来を思わせる寒さである。山の頂にはわずかだが、すでに雪が積もっている。
 今日、台湾から「茶花女」の主役の男女がやってくる。どこから歌いだし、曲のどこで動くか、台湾で全体の稽古を始める前に、流れを身につけて欲しかったので来てもらった。二人は一週間ほど滞在する。それが終わると、いよいよ今年最後の公演、吉祥寺シアターでの「リア王」と「ディオニュソス」の稽古が始まる。「リア王」はドイツ、アメリカ、韓国、日本の俳優による4カ国語の共演・競演である。ドイツ人は一人だが、アメリカと韓国の俳優は男女二人ずつ。「茶花女」の中国語への集中から切り替えが上手くいくか、なんとなく気持ちが慌ただしい。それだけではなく、劇場や稽古場を掃除したり暖めたり、宿舎と食堂の準備など、こちらも忙しい。心身ともに忙しいのも、日本が沈没していくような、憂鬱なニュースから気が紛れて、時には結構だとも思える。
 「リア王」は1984年12月の28、29の両日が初演である。キャストは全員が男性俳優、劇場は合掌造りを改造した旧利賀山房、一週間も降り続いた豪雪の中での公演だった。東京からの飛行機も富山空港になかなか着陸できない状態で、観客の半数近くが到着が遅れ、開演時間を大幅に遅らせたことを思い出す。当時は暖房もない劇場だったので、観客の一人一人に毛布とアルコール類も手渡した。誰ひとり途中で帰る人もなく、この時ほど利賀村での活動を応援してくれる観客のありがたさを、身に染みて感じたことはない。
 この時の観客の中に、アメリカとフランスの新聞記者がいた。娘たちに裏切られ荒野で狂うリア王ではなく、吹雪に狂うリア王というところに焦点をあて報道してくれた。リア王が死んだコーディーリアを抱えて狂い死にする最後の場面は、旧利賀山房の劇場の奥の扉を開き、リア王を降りしきる雪の中から本舞台に登場させたからである。お蔭で、この舞台は25年以上も世界各国で上演されつづけることになった。アメリカではワシントンD.C.、ウィスコンシン、カリフォルニア、マサチューセッツにある4劇団が合同制作し、全米で147公演をして8万人の観客を動員した。ロシアではモスクワ芸術座が数年前から定期演目として、毎月一回は公演してくれている。それだけでもおそらく、日本人のこの舞台を見た観客の総数よりも多いかもしれない。
 シェイクスピアの原作戯曲を、世界は狂人の跋扈する病院であるという視点から構成し直したのが、アッピールしたのだと思うが、しかし現在、世界の精神病院化はこの当時よりはるかに進展している。この舞台の設定もそろそろ、もっと過激なものに作り変えなければという想いもする。この戯曲には息子に裏切られ、盲人となった武将グロスターが死の直前に言うこんなセリフもある。
 これも時勢だ、気ちがいが盲の手引きをするのは。世界の過去の政治状況を顧みるまでもなく、このシェイクスピアのセリフは今も、時代を超えた名文句である。