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鈴木忠志見たり・聴いたり

12月19日 有度サロン

 2008年の春から発足した有度サロンが終了した。有度とは静岡県舞台芸術センターの専用施設のある山の名前である。2007年に静岡県舞台芸術センターの芸術総監督を退任し顧問に就任するにあたって、この有度山の優れた施設を、演劇活動以外のことで有効に活用する手立てはないかと考え、当時の石川嘉延知事に提案し了解をえて実現したものである。舞台芸術センターの事業に直接にはかかわらないが、後任の宮城聰への側面支援ができるのではないかという心づもりもあった。
 このサロンは、政治家、経済人、芸術家、学者、行政官などの人たちが、日本の現状を幅広く認識するために集まり、一定の主題のもとに対話や討論をする会員制の会である。発起人には磯崎新、坂部恵、柄谷行人、五十嵐武士の諸氏に名を連ねてもらった。最終回は発起人の一人、柄谷行人の会員向けのレクチャーとゲストの政治学者山口二郎との公開の対談で締めくくった。 同じ業界の人ではなく、いろいろなジャンルの人たちが自発的に集まり勉強し、時には激しく議論をする珍しい会であった。哲学者で東大名誉教授だった坂部恵は故人になったし、東大法学部教授の五十嵐武士は大学を変わっている。本当に今や3年一昔である。こんな会を自由に開催させてもらった静岡県には感謝である。
 このサロンが活動していた期間の世の中の変わり方は激しい。何と言っても政権交代という政治面での変化は大きいが、身近な感覚で言えば、政権政党になった民主党に見るまでもなく、あらゆる組織あるいは集団のタガが弛みだしたという印象は拭いがたい。何かはっきりした目的を共有して、人々が知的に結束するのが難しい状況になってきたとつくづくと感じる。
 私の関わる演劇の世界でもこの事柄は顕著である。なぜ人々が結束し、集団を作るのかが自覚的かつ知的ではなくなっている。しばらく前までの演劇は、日本社会を変革したいとか、人々に世界への新たな視野をもってもらいたいとかの情熱によって結束し、観客にその思いを伝えることを願った人たちによって成り立っていたと思う。そのために、知的な関心事を共有することを当然のこととしていたし、そのことによって、時の政治権力とも激しく衝突し、犯罪者としての扱いをうけることもあった。むろんこれは、演劇だけのことではなく、上記のような思いと、それゆえの精神的な矜持をもった人たちには、少なからず訪れた運命でもある。現存する私の外国の友人にも、実際にそのような人生を生きた人がいる。今の日本は、一見すると民主的で平和な国家の様相を呈しているが、それはむしろ集団のタガが弛んだだけではなく、個人の感受性のタガも共に弛んだことの証左ではないかと思えるぐらいである。ぬるま湯の危機、始めはナントナクノドカだが、そのまま浸かっていたらいずれは風邪を引くか、凍死すら起こしかねない。
 今年は大逆事件と日韓併合の100年目にあたる。これらに関する著作に触れると、あらためて目先の事柄だけに巻き込まれていてはいけないという思いを強くするが、有度サロンの存在も同じであった。演劇活動の中に、歴史という思い出を上手に生かす方法を模索していた時期だったので、このサロンから与えられた刺激は大きく、ありがたいものだった。