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鈴木忠志 見たり・聴いたり
1月15日 茶花女の足
脚が短くなったように感じるが、医者に行かなくても大丈夫か。月のもの=生理が予定を過ぎても始まらないが心配はないか。30年ほど前に、ニューヨークのジュリアード音楽院で3年間にわたって私の訓練を教えたことがある。その折りに男女それぞれの生徒から受けた質問である。
それは脚が短くなったのではなく、今までより筋肉が締まって、そう感じるのではないか。男生徒の質問はよくあるものだから、その答えは簡単かつ味気ない。しかし女生徒の質問は私にとっては奇想天外、一瞬の間をおいて私は言ってしまった。それは私の訓練のせいではなく、他の男との夜の訓練のせいではないか。チョット言い過ぎかとも思ったが、女生徒を含めて生徒全員が笑ってくれたのでホッとした。
私の訓練は足踏みから始めるので、まず下半身に刺激が加わることは明らかではある。だからといって、こんなことが起こるほどの激しさではない。もし起こったら医学界から注目を浴びるだろう。単純な身体動作で、人間の形態や生理に変化をもたらすことを発明した第一人者だと。ノーベル賞ものかもしれない。
人間という生き物は不思議である。自分の身のまわりに、少しでも目新しいことが起こると、その原因を探し始めずにはいられない。そしてわざと日常的ではない珍しい原因と関係づけたくなる。思考の前提が不満や不安という気持ちだと、少しでも劇的な匂いのする理由を探そうとする。物事を素直に見て、その平凡な事実に直面することも、人生には大切なことだが、自分に起こっていることが平凡であることに我慢がならないらしい。そしてかえって、タダ、ヘイボンという理屈の穴に落ちる。
今、台湾で流行歌劇「茶花女=椿姫」の稽古をしている。フランスのアレクサンドル・デュマ・フィスの原作戯曲を1時間30分ほどに構成したものである。この舞台の主演女優、翁寧謙の背丈がたいへん高い。ハイヒールを履くと、身長180センチの私と同じくらいになる。まだ28歳、それほどの舞台経験があるわけではないのだが、私の訓練を実によくマスターしてくれている。麒麟のようだと思いながら見てしまうほどスラッと脚が長い。その脚で私の訓練の基本である水平移動、蹲踞からつま先立ちまでの垂直上下動、などの動きを見事な重心のコントロールで行うことができる。それだけではなく、激しく動き、突然に静止をしてもブレーキがよく効いている。
私の訓練は比較的に、重心を低位置にしての動きが多い。もちろん、足の運びこそ演技の基本という考え方だから、足袋を履き、考えられる限りの足の動き、それが力強くかつ静かな美しさを感じさせられるように練習する。
この訓練が上手にマスターできない俳優が、日本人外国人を問わず、必ずと言ってよいほど口にする言葉がある。私は脚が長いから、である。今回は翁寧謙が頑張っているので、この種類の弁解を聞かずには済んでいる。私の訓練を外国人として初めてマスターしたのは、アメリカ人俳優トム・ヒューイット、私の代表作「リア王」「ディオニュソス」の主役を演じている。彼は身長190センチを超えていた。今やブロードウェイ・ミュージカルのスターとして活躍しているが、彼の脚も翁寧謙と同じように長かった。
自分の弱点や欠陥を発見して、その原因を探すときに、自己正当化という感情にだけは逃げ込んではいけない。それが平凡な弁解を口にさせ、進歩というものを阻害する。この自戒の言葉を思い出す毎日の稽古場である。