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鈴木忠志見たり・聴いたり

2月20日 落書き

 日本のみならずヨーロッパの有名な建築物にいたずら書きをする日本の観光客のことがニュースになることがある。思い出を残したい気持ちが勝ったのか、書くべきでない壁や塀に、男女の名前がきれいに並んで書かれていたりする。
 台湾の高雄市は政治的にも文化的にも、台北市と対照的な雰囲気を感じさせる台湾第二の大都会である。舞台稽古の合間に、波止場の近くの庶民的な匂いがする商店街を歩いた。気取ったところがなくて落ち着く。そこで私は初めての落書きをした。
 魚屋や食べ物屋がずらりと並んでいる一つに、自然石と土瓶を売っている小さな店があった。陳列棚を眺めていると、私に同行していた台湾国立劇場のプロデューサーと話していた中年のおかみさん、オバサンと言った方がピッタリするのだが、彼女が店の奥に大きな声で叫んだ。すぐに主人とおぼしき中年のオジサンが、古めかしい折り畳み式の机と椅子をもってきて店の中央にしつらえる。小さな店だからいかにも狭いが、なんとなくノドカ。そしてオジサンは戻って行く。オバサンは国立劇場のプロデューサーと賑やかに喋っていたが、今度はそのオバサンがすごい勢いで奥の部屋に入る。入れ替わってまたオジサンが現われ、土瓶と湯飲みをもっている。これは有機栽培のお茶で無農薬、健康に良いから椅子に座って飲めと言う。
 座ってお茶を飲み始めると、オバサンが綺麗な格好になって出てきた。そしてTシャツのオジサンにスポーツ用のジャンパーを着せている。プロデューサーが私に言う。店の正面にある陳列棚の背後の壁に私の名前を書け。そこには大きな字で大自然寶石と書かれており、その下にはダイアモンドの指輪の絵がある。その下あたりに私の名前を署名したら、それを背景に皆で写真を撮りたいとオバサンが望んでいると言うのである。 
 お茶は何杯も飲んじゃったし仕方がない、落書き気分で鈴木忠志と署名をした。背後から日付も書けと言う声。皆ではしゃいで写真を撮った。プロデューサーはこれで観客が少し増えるかも、と喜んでいる。私の下手な漢字の署名が、これからずっと漢字圏の多くの人の目に触れると思うと少し恥ずかしい。
 壁に署名をしたのは今回が二度目、初回はロシアの友人ユーリー・リュビーモフの要求による。彼が芸術総監督をしているモスクワ市立タガンカ劇場の監督室の壁である。数年前に誕生日に招待され、その時に署名をした。壁にはこの劇場を訪れた世界中の芸術家の名前が所狭しと書かれている。地続きのヨーロッパは勿論、アメリカのアーサー・ミラー、日本の千田是也、黒澤明、安部公房の名前もある。ソ連邦時代、彼が共産党政権に批判的な活動をしていた頃、祖国を追放される前に訪れた人が多く驚く。
 国宝級の芸術家としてロシアに再び帰還したリュビーモフ、誕生祝いの祝典が劇場で開幕する前に、私は彼の部屋を訪ねた。オメデトー。オオー、ヨクキテクレタ。壁に署名してくれ、この字の上に隙間がある、ここが良いと彼が壁の中央を指さす。名前を書き始めようとしたら彼が言った。その下の署名はプーチン大統領だ。昨日、花束をもってきて、ついでに書いていった。私は驚き、こんな所に書くのはマズイと言ったが彼は聞き入れない。プーチンが大統領当時に私と彼は、クレムリンの執務室で一時間ほど懇談したことがある。その懐かしい思い出もあったためか、私が断ってもなかなか強硬であった。これは仕方がないと思い、プーチン大統領の署名の下に小さく漢字で名前を書いた。この時は、漢字にしておけば誰だか分からないだろうという思いがあった。リュビーモフは政治家より芸術家が大切と公言して憚らない激しい人だが、この時の彼の気分になれなれしく乗ってしまう自分も嫌だったので、彼の意には少し反しておいた。
  高雄のそれとは違っているが、あの署名がモスクワに残っていると思うと、やはり今でも、いささかの恥ずかしさは免れない。明日は6週間ぶりに日本に帰る。