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鈴木忠志見たり・聴いたり

3月10日 演劇人会議

 3月上旬だというのに、利賀村はまだ雪が降り続く。さすがに、雪質は乾いた軽いものになってきたし、降り方も断続的ではあるが、地上にはまだ2メートルほどの雪がある。これが溶けて無くなり、地表が完全にあらわになるまでには、5月迄かかるかもしれない。
 今年は我が家の一階の屋根=下屋が壊れた。二階の屋根に積もった雪が落下するとき、一階の屋根に当たり、梁が折れたのである。劇団の宿舎の一つは、一階の屋根がすべて地上に落下し、雪は室内にまで降り込んでいた。30年間で初めてのことである。全国各地で雪による死者が多数あったと聞くが、この現状を目の当たりにするとうなずける。
 明日は演劇人会議の総会のために東京に行く。いよいよ劇作家平田オリザへの理事長交代である。演劇人会議は2000年の3月に設立されたから、10年間は理事長を務めたことになる。文部科学省と総務省認可の財団法人だが、地域で活躍する舞台関係者、演劇人、学者、行政官などのネットワークを構築し、舞台芸術活動に携わる人たちの交流を促進したり、日本社会での舞台芸術の課題を明らかにしようと設立したものである。この10年で時代は大きく変わった。日本の将来は、若く有能な人材が登場し、どこまで頑張れるかにかかっている。
 設立当時は、全国規模の活動をする財団の主たる事務所を、過疎地の利賀村に置くことを不思議に思う人たちは多かった。今や逆に、その意義はかなり浸透したと思うが、民主党政権になってからの事業仕分けには、仕分け対象の候補に選ばれ、ヒアリングの時に民主党議員から文化庁の担当者に、鈴木理事長はなぜ利賀村に財団の本部を置いたのか、という質問がなされたと聞く。どんな疑念を持ったのか、事業仕分けという政治ショウの候補対象になったのに驚いたのを思い出す。天下りの役員もなく役員報酬もない財団、基本財産の大半を、利賀村民や役員自らの個人出資で設立した民間財団を、理化学研究所や宝くじ協会、あるいは芸術文化振興基金などと同列に扱われたことに唖然とした。それに財団の事業規模は、2億円を越したこともない。だからこれは、日本の将来にとっての大切なモデル事業として支援宣伝してくれるためかと、一瞬は思ったほどである。それが全く逆で、事業仕分けのアラッポイ選定作業に呆れた。
 私がSCOTの本拠地である利賀村に設立した公益法人は、演劇人会議が初めてではない。1982年、国際舞台芸術研究所を富山県認可の財団として設立している。これは劇団の芸術活動だけではなく、利賀フェスティバルのような公益性を備えた国際的な文化イベントを実行するために必要な組織として設立した。何だかんだといっても、SCOTは芸術集団ではあるが、営利団体としての一面もあることに変わりはないからである。理事には西武百貨店会長の堤清二、岩波書店社長の緑川亨、草月流家元の勅使河原宏、哲学者の中村雄二郎、建築家の磯崎新などの諸氏が就任してくれた。東京で活動していた頃から、物心両面で応援してくれた人たちである。この財団は、1999年の利賀フェスティバルの終了後、演劇人会議の設立とともに解散した。
 両財団をあわせると、およそ30年にわたっての理事長職であったが、本当に多くの人たちの好意に支えられてきたと、あらためて感じる。