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鈴木忠志見たり・聴いたり

4月9日 無常迅速

 大自然よ、おまえこそおれの女神、おまえの掟こそおれの服する義務だ。シェイクスピアの「リア王」の重要な登場人物の一人で、陰謀によって出世を企む私生児エドマンドの台詞である。シェイクスピアの悪役はいつもカッコイイことを言う。悪巧み、不倫、殺人、通常の人間関係を混乱させ、その中を生き抜く意志、それを支えてくれるもの、彼にとっては大自然とはそういう神であるらしい。自然の力の人間に対する肯定性ではなく、否定的側面が崇拝されるべきものだとされている。大自然が彼に与える恵みは、自然の暴力的エネルギーである。
 石原慎太郎は今度の東日本大震災を、日本人の我利我欲への天罰だと称した。天命ならまだしも天罰とは恐れ入るが、石原知事にとってもこの震災は、肯定性としての自然=神の暴力の証しであるらしい。
 エドマンドにしろ石原慎太郎にせよ、ちょっと皆に差をつけてみたいと思ったのだろうか、たえず主役を張りたがる人たちは時々、こういうイキガッタ名ゼリフとでも言うべきものを言いたがる。しかし天罰だとするなら、それは東京電力や経産省、自民党、民主党を問わず、原発推進派だったかつての族議員や当時の東大あたりの御用学者、その実名をあげて、はっきりと言うべきであった。そして、自らを含めた我利我欲への天罰が、多くの人までを悲惨な目に遭わせていると。一般論として、東北の被災者を天罰の犠牲者のように巻き込むのは、政治家としては、一億総懺悔式に問題を曖昧にしてしまう不謹慎の謗りは免れまい。
 むろん、私も近ごろの多くの日本人が、自然というものを侮っている、いつか予想以上の大災害が起きるとは感じてきた。その点については、原発事故の対応でも明らかになったように、日本人の自然に対する想像力と接触努力の欠如、自然に対する迂闊と傲慢さに天罰は確かに下ったのである。科学技術への自惚れ、私利私欲へのこだわり、他人への無責任かつ不遜な態度によって引き起こされた自業自得的なものであるとは思うのである。
 今回の災害に対応して引き起こされている、日本人の思考や態度を見ると、9・11ならぬ3・11以後の日本には、根本的に新しい日本社会のグランドデザインと、そのための制度創設が必要だという想いがする。既存の制度の修正や補強、連立などという政治的野合ではなく、既存制度の徹底的な否定と破壊の方針、党派の消滅をも覚悟の激しい政治闘争、それらが顕在化してこないで日本の再生などあるはずもないと思える。日本の現在は、精神の焦土こそが問題になってきたのである。この前提と自覚に立って思考し行動する闘争的なリーダーの出現がなによりも待たれているのではなかろうか。
 年月をいかで我が身に送りけむ、昨日の人も今日はなき世に。歌人西行の一首である。最近はフトこんな和歌を思い出す。本当に無常迅速の世の中である。