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鈴木忠志見たり・聴いたり

4月19日 風評被害

 前回のブログ「無常迅速」の末尾に引用した和歌の作者西行は、中学生の頃に伝記を読み、その生き方と作品に感銘を受けた人である。23歳で出家、73歳で入滅、その間に旅に明け暮れ、和歌を詠みつづけた。69歳になっても、奥州へ2度目の旅をしている。捨て身ということを地でいった生き方、その意志の迫力が花開いているような和歌、この関係に憧れたものである。私が静岡県の出身ということもあろうか、老年に掛川の難所を越える時に詠んだ、年たけてまた越ゆべしと思ひきや、命なりけりさやの中山、この一首などは仕事の上でも、事あるごとに口ずさんだ。しかし未だ、ウロウロとした心持ちが捨て切れず、若年に西行に憧れた自分の気持ちへのすまなさを感じる時もある。
 このところ毎日、通称スタジオと呼んでいる八角形の建物から、荷物の引っ越し作業をしている。映像の鑑賞や国際的な会議にも対応できるように改造するためである。当初は図書館として建設したものだが、音楽の演奏会や演出家コンクールの会場としても使用してきた。(財)国際舞台芸術研究所が存在していた当時、カリフォルニア大学、北陸の経済界、富山県等の支援で建設したが、その後しばらくして富山県に寄付した。現在は富山県利賀芸術公園の施設の一つになっている。引っ越しするものの中には、蔵書、家具、照明や音響の機材だけではなく、過去30年以上にわたってのチラシやパンフレット、新聞記事の切り抜きが貼ってあるファイルなどもある。あまりの膨大さにウンザリしたが、それを整理していた若い劇団員の一人が、利賀村に活動の拠点を移した初期の頃のファイルを見つけ出し、私に質問をした。宗教法人化はうまくいかなかったんですか。何の事やらさっぱり分からない。
 そういえば昔、瀬戸内寂聴さんが訪ねてくれて対談をした折りに、私が利賀村での活動は経済的な面で大変だと話したら、宗教法人は良いですよ、税金がかからない、ただし、ご本尊を何にするかしらね、ご本尊は自分ではだめなのよ、とからかわれて大笑いしたことがある。この話は劇団員によく口にするから、このことかと思ったら違っていた。演劇雑誌の編集長で新劇界を支える批評家が新聞に書いていたのである。 
 「いま耳寄りの話は、リーダーの鈴木忠志が新しい劇団を、いっそ宗教法人にしようかとかなり真剣に考慮中だとのうわさ。ただ問題は、生き神様を拝むのに汽車やバスを乗り継いで東京から七時間もかかるというので、どれだけ維持会員が集まるか、興味津津というところ。既成の新劇の閉鎖性を攻撃して出現したアングラ演劇が、いちはやく強熱的な信者集団に奉仕を強いる形態をとるようになっている。これが健康な道であるといえようか。」
 呆れた。ジャーナリズムとは昔も今も、無責任なものである。利賀村での活動は、信心がなければ成り立たない、というようなことは口にしていたから、東京あたりでは何を言われているかと思ってはいたが、これはチョット、カンベンシテクダサイヨ!である。いくら私が東京を離れ、悪口を言ったとしても。風評被害ここに極まれりという感じのものである。しかし35年も経て初めて、こんな言葉を目にするとは、喧嘩好きの私への劇団事務局の配慮であったのであろうか。
 ながらへてつひに住むべき都かは、この世はよしやとてもかくても。これも西行の一首である。現世はどうあろうともいいではないか! 集団を率いて絶えず観客にまみえている私には、いつまで経ってもこの西行の境地は、憧れのものかもしれない。