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鈴木忠志見たり・聴いたり

7月25日 女心の唄

 「あなただけはと信じつつ、恋におぼれてしまったの、こころ変わりがせつなくて、つのる想いのしのび泣き」 1965年にバーブ佐竹という歌手が、甘く切なく、実にイヤミッタラシイ声で歌いヒットさせた流行歌である。この歌を今夏に上演する「瞼の母」で使っている。「女心の唄」であるにもかかわらず、男たちがバーなどでしきりと歌った。かくいう私も、貧乏演劇人だった頃、高田馬場の駅裏の小さな薄暗いバーで、高校を出たばかりの若いホステスと、閉店後にもかかわらず訳も分からずモリアガリ、夜が明けるまで酔っ払って歌いまくったものの一つである。
 いま思い出せばただ不条理な行動、エネルギーが余っていただけというような気もするが、野心と自信があっても、さっぱり世間がみとめない、親からは勘当、「悲しさまぎらす、この酒を、だれが名付けた、夢追い酒と」とばかりにノンダクレタ。目が覚めたら街路に寝ていて、近くでカラスがゴミを食い散らしているなんていう、当時の三流映画の都会生活の主人公を演じたりしていたのである。作詞家阿久悠の言葉を借りれば、酔ってこそ、被害妄想を誇大妄想に転化できた唯一の瞬間であったかもしれない。
 この「女心の唄」の3番の歌詞は、「うわべばかりとつい知らず、惚れてすがった薄情け、酒が言わせた言葉だと、なんでいまさら逃げるのよ」である。長谷川伸作の「瞼の母」という戯曲は、長年にわたって探していた母親に、ようやく巡り会えた主人公が、お前は私の子供ではないと実の母親に冷たくあしらわれ、家を追い出される話だが、この舞台の主人公が最後にこう語る場面がある。
 「自分ばかりが勝手次第に、ああかこうかと夢をかいて、母や妹を恋しがっても、そっちとこっちは立つ瀬が別個、考えてみりゃあ俺も馬鹿よ、幼いときに別れた生みの母は、こう瞼の上下をぴったり会わせ、思い出しゃあ絵で描くように見えてたものをわざわざ骨を折って消してしまった」 稽古でこの場面を何度か見ているうちに、「女心の唄」の歌詞も「瞼の母」の主人公の台詞も、現在日本の政治家、とりわけ民主党の人たちが、これらの言葉の内容そのままを、国民に味わわさせているような気がしてきた。
 先日たまたまテレビを見ていたら、民主党の執行部の幹部連中が、選挙時に約束した公約は守れないと謝っている。こともあろうに自民党の幹事長や新聞記者に釈明をしているのである。そのセイジツブッタ、アマッタルイ顔をみていたら、この政党は普通に生活している人間以下の人たちのインチキ集団だと思え、腹が立ってきた。頭が良い。口がうまい。顔が良い。金がある。他人の心情が分からない。こういう人たちは、もう日本には必要ないのではないのか。ここまできたら党派としての民主党は解散し、集団としてではなく、一人一人の人間として、その志を国民に述べるのが当たり前ではないか。かつての自民党のように、国民の指導者のようなエラソウナ顔をしないで、政治家であろうとするなら、馬鹿馬鹿しいのを覚悟で、もう一度しみじみとした「女心の唄」の最後の歌詞の心境にでも、国民と共に戻るべきなのである。その歌詞を参考までに書いておこう。
 「酔って砕けた夢の数、つなぎあわせて生きてゆく、いつか来る春、幸せを、のぞみ捨てずにひとり待つ」そうしたら、民主党に呆れた国民も、すこしは付き合ってくれるのではあるまいか。昔の流行歌はバカバカシイといえば馬鹿馬鹿しいが、思い入れ次第では、なかなか上手に人生の機微を考えさせてくれると、感心することしきりである。