BLOG

鈴木忠志見たり・聴いたり

8月7日 枯れスズキ 

 オナジニシテクダサイ。近頃の若い人たちはどうか知らないが、私たちの世代だったら、この言葉はよく使ったり使われたりした。この言葉を時宜を弁えて上手に使えるのが、日本人の証しなのである。何にしますかと聞かれたら、この言葉に決まっている。オナジである。オナジは同じと書く。しかし、気をつけなければいけない時や場所もある。
 若い頃にパリで公演をしている時、フランスの文化大臣に食事に招待されたことがある。友人の高名なフランス文学者が同席。有り難いことで、通訳を兼ねてくれる。さて、レストラン。椅子に座ってメニューを渡されるが、何処を読んでも、どんな料理か皆目見当がつかない。大臣が私に聞く。ムッシュー・スズキは何にしますか。もちろん友人が通訳として聞いたに決まっている。オナジニシテクダサイ。
 友人は困ったように私をたしなめる。キミハ、ニホンジンダナ、チガッタモノニシタラ! 確かにそこはパリの高級レストランであった。しかし、キミは何処に在ってもキミである、なぜ日本人ではイケナイノカ! こんなところでチガイをつけなくてもいいではないか。俺の舞台はチガッテイル。しかしまあ、仕方がない。メニューの真ん中あたりの料理を指差した。内心でつぶやく、西洋かぶれには、ホントニ、イヤニナッチャウ。
 私たちの世代までの日本人は、<同じ派>として教育され、生きてきた。確かにそれが嫌で、<違い派>に憧れる心情になり、外国に興味を持ったり、芸術家たらんとしたのである。ちょっと前のコマーシャルではないが、違いが分かる男、皆と違う生き方のできる男を目指したのである。<同じ派>でいるのは気楽で楽しいときもあるが、鬱陶しくてたまらない、逃げ出したいという気持ちにもさせられたからである。多くの日本人が、人間として自分を惨めに感じたり、意志が弱かったり、感傷的な心情になると、かならず<同じ派>を強調し、人間誰しも同じだよね、と他人にまでも迫って連帯を強調するからであった。オレハ、チガウヨ! 少しイキガッテみたかったのである。
 今度の舞台、「世界の果てからこんにちは」で使用している流行歌「船頭小唄」は、まさしく<同じ派>の代表的なものである。これはこれで、実にシミジミとしており、私は好きなのだが、大正12年の関東大震災の前後に大変な流行をみたものらしい。歌詞は野口雨情、曲は中山晋平である。
 俺は河原の枯れススキ、同じお前も枯れススキ、どうせ二人はこの世では、花の咲かない枯れススキ。これが一番の歌詞である。二字目のスに濁点をつければ、スズキであるところも気に入った。俺は枯れスズキだと、まだまだ連帯しないで、一人で啖呵を切ってみたい気もするのである。しかし、日本近代小説の開祖のひとり幸田露伴は、こんな頽廃的な唄が流行る日本だから、大震災が起きたと発言して物議をかもした。東日本大震災を、日本人への天罰だと発言した石原都知事並みである。
 日本の大衆芸能、流行歌や新派、新国劇、現代の商業演劇と言われるもの、これらはすべからく、<同じ派>の感受性を前提として大衆に支持されてきた。今回の私の舞台に使用している長谷川伸の戯曲「瞼の母」も、その代表的なものである。
 「股旅者も、武士も、町人も、姿は違え、同じ血の打っている人間であることに変わりはない。政治家の出来事も、行商人の生活も、これに草鞋を履かせ、腰に一本長脇差を差させれば、股旅物にはなるのである」 長谷川伸の発言である。
 今の若い人たちに、この言葉が言わんとしていることが分かるのだろうか。股旅とは、博徒、遊び人、芸人などが旅をすることだが、当然その過程で、人を殺したり稼ぎをしたりすることもあるだろう。人間は誰でも、草鞋を履かせ、長脇差を差させれば股旅物(長谷川伸が確立したとされる渡世人が主人公の義理人情劇)になる、私にもこの飛躍はよく分からないが、彼はこれが日本人だと、5歳の時に母親に生別し、苦境を生きた人生を前提に主張している。<同じ派>の代表的人物らしい人間観である。この飛躍の心情の出所を解明して見せるのが、今回の舞台、「新々・帰ってきた日本-『瞼の母』より」の演出の眼目である。