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鈴木忠志見たり・聴いたり

9月23日 難破船

 日本は漂流しているらしい。久しぶりにテレビをみていたら、政治評論家やニュース・キャスターたちが、日本の漂流状態について話している。漂流とは字の通り、風や波のまにまに、海上を漂い流れることである。あてもなくさすらい歩くという意味もある。今の日本をそんなのどかな言葉で表現していていいのか。針路を見失っていると言いたいのだろうが、本当はそんな状態ではあるまい。いっそのこと、沈没とまでは言わないが、暴風雨などで船が座礁したり破損して、航行の自由がままならない難破の方が適切な言葉ではないのか、などと思ったりする。
 私が政治の世界でこの言葉に触れたのは、中曽根康弘の著書「自省録」が最初である。その中で彼は、きわめて曖昧な合意のうえに政治が成り立ってきたわけであり、国民を引っ張る力がどこにもない、まさに漂流国家です、と嘆いている。2004年の時点である。現在の日本の政治は、資本主義経済システムの先行き不安と原子力発電所の爆発という、未知の事態に遭遇し翻弄されているようにみえる。原発の建設を最初に強力に推し進めた中曽根当人は今、どんな心境でこの日本を見ているのだろう。未だ漂流というような言葉を使うのかどうか。原発建設も、曖昧な合意しか成り立たせえない、日本の政治風土を巧みに利用して、日本人に希望の星であるかのような夢を持たせて実現させたものではなかったのか。
 この「自省録」は首相を辞めて18年後に書かれたものだが、その中に面白い一節がある。1983年に、首相になって初めて訪米した時の記者会見で、日本を不沈空母と発言したとして、日本のジャーナリズムが騒然となった。私もこの言葉を最初に目にした時は思った。いくら世界が羨む経済大国になったとはいえ、少しのぼせ過ぎではないか、あなたも海軍出身だろう、ミッドウェー海戦では、一挙に空母4隻もアメリカ軍に沈められたこともあるのに。
 これについて中曽根元首相は、あの発言は日本語を英語にした通訳の意訳で、自分の発言にはこの言葉は無い。しかしこの言葉が、安全保障をめぐって悪化していたアメリカ政府の、日本への不信感を払拭する作用をしてくれて、むしろ良かった、訂正の必要を認めなかった、と書いている。今なら、日本人の誰しもが唖然とするような言葉、日本は不沈空母! 近年の首相経験者たちには、羨ましいかぎりであろう。経済大国としての日本の重要性を国際社会が認めていた頃の、イケ、イケ、ドンドン! の気分からの発言である。
 吉田満に「戦艦大和ノ最期」という小説がある。第二次大戦で日本の敗北が決定的になった1945年、日本海軍の至宝、史上最大の不沈艦とされた戦艦大和が出撃し、アメリカ海軍の集中攻撃を受けて沈没するが、この「大和」の必敗の出撃にどんな意味があるのか、艦内で議論が起こる場面が書かれている。死を自らに納得させた一人の大尉が言う。
 進歩ノナイ者ハ決シテ勝タナイ、負ケテ目ザメルコトガ最上ノ道ダ、<中略>敗レテ目覚メル、ソレ以外ニドウシテ日本ガ救ワレルノカ、今目覚メズシテイツ救ワレルノカ、俺タチハソノ先導ニナルノダ、日本ノ新生ニサキガケテ散ル、マサニ本望ジャナイカ。
 敗れて目覚める、なかなかの言葉である。しかし、最近の日本の政治家には、敗れるなどという言葉からくる精神的な実感は、乏しいのではあるまいか。ましてや目覚めるなどとはである。自分たちはいつも国民より目覚めてきた、と思っているのではあるまいか。しかし、敗れるとは敵に負けることだけを意味するのではない、自らに敗れ、負けることがあるということを忘れてはいけない。敗れるは破れるのでもある。
 日本は不沈どころか、難破してしまった、解体して組み立て直す必要がある。この認識がないと、再び世界へ向けて出航は出来ないだろう。東日本大震災への対応を見れば、日本人は精神で敗れ、技術に負けていたのは明らかである。敗れて目覚める、それが最上の道なのは、戦前も現在も変わらないと思える。