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鈴木忠志見たり・聴いたり

10月6日 目から鱗

 10月になってから急激に寒さが増してきた。夜は暖房が必要である。北海道や東北ではすでに初雪があった。昨年に除雪の障害になった岩の移動や、樹木の枝の切り落とし作業をする。ついでに芸術公園内の杉林の整地をしようと、ショベルカーで草木を押しのけ強引に入り込んでみた。
 今まで自然の成り行きにまかせて、足を踏み入れていない場所である。奥の深さと広々とした空き地があるのに驚く。ここに洒落た森林劇場を作ることができる、コレハ、イイ! と思い元気が出る。枯れた杉を押し倒したり、幹が折れて切り株のようになっている杉の根を掘り起こしたり、日が暮れるまで思わず夢中になってしまった。ここで突然死をしていても、しばらくは誰も気づかないだろう、動物と同じの孤独な自然死、いずれは腐乱して土にかえる、ソレモアリカナ、と思わせられるぐらい鬱蒼としたところのある森林だった。しかしこれも、楽しさゆえの無責任かつ気楽な、死についての感想ともいうべきか。
 東日本大震災では、一万五千人余の遺体があったが、そのうちの数千人は、身元の確認がされないままに荼毘に付されたときく。なぜ身元が確認されなかったのか。
 身元は三つの方法、DNA、指紋、歯型を調べれば確認できるのだそうである。しかし、これらは照応できる対象物、DNAでいえば髪などの肉体の一部、指紋ならばその記録が存在しなくてはいけない。だからこのうちで、素早く身元確認のできる方法は、歯型とその治療痕を調べることらしい。たいていの人は一度や二度、同じ市町村の歯医者に通っているからである。
 友人の大久保満男日本歯科医師会会長に聞いたことだが、治療痕というものはみな違っているそうである。そこで全国の歯科医師が身元確認作業に駆けつけた。ところが、歯の治療痕の記録を保持している歯科医師は死んでいたり、歯科医院の建物自体も津波で流されてしまっている。身元の確認ができない人たちが多い。
 大久保さんからこの話を聞いて、目から鱗が落ちたところがある。歯科医師が人間の死にも深くかかわりをもっている存在だ、ということを教えられたからである。そればかりではない、人間の悲惨な死の実体を目の当たりにする仕事をする人たちだということをもである。通常の医師だけが、人間の死にかかわっているわけではなかった。
 おそらく歯科医師たちは、腐乱した死体や切断された死体、あるいは原型をとどめなくなったような人間の顔を直視し、口腔を押し広げ、歯型や治療痕を調べたにちがいない。自衛隊員や警察官も死体の収容という、困難な仕事で苦闘をしたに違いはないが、この歯科医師たちの作業は、より人間の死というものの実情に果敢に迫る、勇気の要るものだったともいえる。こういう現実を生きた人たちの言葉が、もっと国民の耳に、肉声として届くことも大事なことではないだろうか。近頃のマスコミの報道は、美談と嘆き節に傾きがち、なおさらそんな感じを抱く。
 あらためて思うのである。人間というものはどう死んでも、他人に世話をかける生き物になっているのだと。