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鈴木忠志見たり・聴いたり

12月4日 雪と暴力

 12月になって雪が降り出した。村の人たちも冬支度に忙しい。明日は劇団員全員が吉祥寺シアターでの公演のために3週間も村を離れる。雪国の冬支度、しかも長期間にわたって家を留守にするとなると、なかなかの労力と心くばりが必要。まず雪囲い、家の入り口や窓のある部分にはすべて、降り積もった雪、さらにその上に落下してきた屋根雪、これらが扉や窓を圧し割って、部屋の中になだれ込まないように、防護壁を設置しなければならない。結構これが重労働。家の周りの積雪はしばらく除雪しないでおけば、2、3日で3メートルぐらいにはなってしまうこともある。その圧力に耐える雪囲いは背丈が高く重い。さすがに近頃は腰にこたえるようになってきた。
 もう一つの難題は水の始末。零下10度にもなる時もあるから、水道の凍結を如何に防ぐかが苦心するところ。夜遅くまで使用していた水道水が、翌日の朝には蛇口から出てこないなんてことは始終あるのである。寝室に行く前に、すべての水道の蛇口を少し開いて、水を流しておかないと、朝食のお茶も飲めなくなる。一度凍ってしまった水道管の水を溶かすのはなかなか大変。水道管に熱湯を注いでみたり、暖房器具を接近させたりするのだが、一日懸かりの時もある。水道管には水抜きの設備をつけてあるのだが、水道管の曲り角や蛇口の接続部分などには、どうしても少量の水分が残る。その水が凍ると膨張して接続部分を壊す。そうすると修理や部品の取り替えなどに時間をとられ、すぐに水道は使えない。出費も馬鹿にならない。水道料金は高額になるが、すべての蛇口から少量の水を垂れ流す方が、結局は経済的ということになる。
 冬季にしばらく家を留守にして、一番気をつけなければならないこと、それは長期に雪が降った場合、屋根に大量の雪が積もってしまうことである。しかもその雪の底部は凍ってしまう。常に住んでいれば、暖房によって屋根は暖まっていて雪は屋根から滑り落ちる。大量に積もっても凍って固まることはない。
 例えば、久しぶりに我が家に帰って来る。なんとなくホッとして家中の暖房器具のスイッチをいれ、さて家の周囲に積もりに積もった雪の除雪をし、室内を暗くしている雪囲いを撤去しようと作業にかかる。時間のかかる作業というだけではなく、雪の中に足腰をとられている仕事だから、素早い身動きは不可能。夢中になって作業をしている時に忘れるのである。屋根の上には大量の凍った雪の固まりがあり、底部は少しずつ溶けて、いつ屋根から滑り落ちてくるかしれないということを。いや忘れるだけではない、まだ大丈夫だろう、などという油断も生ずるのである。しかし突然、屋根雪が落下し逃げ切れず、生き埋めになったり、凍った雪の衝撃で首の骨が折れたりする例は、豪雪地帯ではよくある。かくいう私も劇団員も、間一髪で雪による死の危険を免れたことは何度かある。今回もこれは、気をつけなければならないところである。
 雪と共生し、雪の暴力に向かい合うことは、たしかに人間を強く鍛える。その戦いの痕跡が残されていたから、私は利賀村が好きになったのだと思っている。それだけではなく、自然は暴力であり、その暴力の前では、人間はどんなに知恵を働かせても、小さく惨めな存在にすぎないという事実を、忘れさせない刺激的な場所でもあった。そのことを踏まえながら、人間の勇気ということを絶えず考えさせてくれるのである。