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鈴木忠志見たり・聴いたり

3月26日 プロデューサー

 You are still sexy. 会議場に入ってくるなり、一人の女性を見て男は大声で言った。そして、私の隣に車椅子で座っている女性と抱擁しあう。もちろん、会議の出席者は爆笑、彼と彼女は二言三言を交わす。その場は和やかになったには違いないのだが、私は重要な話の最中なのだから、早く着席して欲しいと少しイライラ。北京でのシアター・オリンピックスの国際委員会でのことである。
 男はアメリカの演出家ロバート・ウィルソン、女性は劇団SCOTの制作責任者で、シアター・オリンピックス国際委員会の事務局長の斉藤郁子である。ちなみに言えば、この時ロバート・ウィルソンは70歳、斉藤郁子は69歳である。
 ロバート・ウィルソン、彼とは30代の頃からの付き合いで、1982年の第一回利賀フェスティバルには、ポーランドのタデウシュ・カントール、観世榮夫、寺山修司、太田省吾などと共に駆けつけてくれた。若くしてドイツを中心にヨーロッパで活躍、ケンブリッジ大学が出版した20世紀を主導した演劇人21人のシリーズには、ドイツのベルトルト・ブレヒト、イギリスのピーター・ブルック、フランスのアリアーヌ・ムヌーシュキン、私などと並んで一緒に選ばれている一人である。
 彼は私と違って、劇団というものを保持していない。劇場に所属する演出家でもない。一般的に言って、組織に所属しない個人芸術家は、劇場や興行会社が仕事を委嘱しないかぎり、自分が希望する作品を形として出現させるためには、金銭のみならず、作品のための人材を集めるプロデューサーが必要になる。
 プロデューサー、日本では製作者あるいは制作者と書かれるが、質の高い舞台芸術が出現するためには、この肩書の人の能力と見識が問われる。特に組織に所属しない演出家や劇作家にとっては、自分の作品に感動があること、その作品のユニークさの本質を見抜いていてくれること、言い換えれば、その作品の背後に存在し、その作品を作品たらしめている、演劇理念や人生哲学や視聴覚的な美意識を、よく理解してくれているプロデューサーが不可欠である。立派な業績を生み出すプロデューサーとは、会計の専門家であるだけではなく、人間関係の良き組織者、文明批評家的な知的素養を身につけた人である。日本にはこんな人は殆どいないが、世界的に活躍する舞台芸術家の背後には、協働者としての、こうした人間的な能力と魅力を備えたプロデューサーが、必ずと言っていいほど存在する。
 むろんプロデューサーの役割を、自らが兼ねる演出家や作家や俳優も存在はするが、それだと秀れた作品創造の持続は難しいのが実際である。舞台作品がマンネリズムに陥りやすく、芸術的な質の水準が時間と共に下がっていくことが多い。
 40代の頃、ロバート・ウィルソンは秀れたプロデューサーに出会うことを望んでいた。その時に、白羽の矢が立った一人が斉藤郁子である。彼は斉藤に何度も言ったらしい。俺のプロデューサーをやらないか。ニューヨークでケッコンシテモイイ。プロデュースとケッコン、どちらを必要としたのか、両方だったのかもしれないが、ともかく斉藤はこの申し出を断ってくれたので、私としてはどれだけ助かったか計りしれない。
 ロバート・ウィルソンは今や、政治家や実業家の夫人、財力ある女性プロデューサーなど、多くの女性ファンに囲まれ、その女性たちの応援で、贅沢な仕事の環境を創ることに成功しているようにも見える。期せずしてその秘訣の一端を、北京の会議場で垣間見たということになろうか。
 しかしまあ、70歳近い女性に満座のなかで、You are still sexy. と言えるのは相当なものである。同席した多くの演劇人が、二人の長い友情関係を知っているとはいえ。もし私が、日本で同じことをしたらどうなるかと考えてみる。
 おそらく私は、耄碌した痴漢、セクハラの常習者、年寄りの女性に悪意をもつ嫌がらせ好きの男、いずれにしろ異常な行動人と見なされ、会議はシラケルだろう。金持ちの女性や有能なプロデューサー、そういう人たちを喜ばせ、ファンにさせ続けるような素敵な言葉、それを聞いている人たちにも、人生のユーモアを感じさせるような日本語はあるのだろうか。あなたはまだ若い! 美しい! ではあまりにもバカバカシク、なんともヘイボン。
 このロバート・ウィルソンが、フランスの小説家で文化大臣、故アンドレ・マルローの言葉を引用して、利賀村について書いた一文がある。
 「アンドレ・マルローは、終戦直後、次のように述べている。フランスの文化政策で自分が望むのは、四つの領域における興味のバランスである。その四つとは、自国の芸術とすべての国の芸術を擁護する立場、さらに、そのコインの裏表のように、過去の芸術を擁護する立場と未来の芸術を擁護する立場である。私たちは、自国の芸術、すべての国の芸術、過去の芸術、そしてこれから創造される芸術という、この四つの領域のバランスを保たなければならない。それこそが文化政策だ、というのである。利賀村では、<中略>アンドレ・マルローの文化政策とも共通する原理に基づく芸術活動が実現されている。これはほとんど驚異的なことではないだろうか」
 利賀村では今なお、世界各国から訪れる多くの個性的な芸術家が活動している。これは確かに、名プロデューサーとも言うべき、斉藤郁子の存在に負っている。彼女がアメリカに行ってしまっていたら、この日本に、こんなことは起こらなかっただろう。