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鈴木忠志見たり・聴いたり

4月10日 シンデレラ

 久しぶりの静岡芸術劇場での公演である。「帰ってきた日本」を、装置の転換なしの暗転だけで、一部二部を一挙に上演した。昨年末に吉祥寺シアターで上演した時には、一部二部の全装置、この場合は椅子類だが、それを舞台上にすべて配置することができなかった。さすが芸術劇場、客席数は小劇場並だが舞台の広さは大劇場に比肩する。天井の高さも充分、照明器具の吊り場所もいたる所にあり、照明の明かりがキレイに俳優や装置に当たる。俳優のほとんどが、この舞台で長年にわたって演技しているので、久しぶりとはいえ、俳優の演技と空間との調整に時間を取られずに済んだ。もちろん、上演された舞台への観客の好みはそれぞれ、吉祥寺の公演の方が好きだったと言う人もいる。
 来月は再びこの劇場へ戻ってくる。今度は新作、私としては初の児童劇「シンデレラ」である。客席で「帰ってきた日本」を見ながら、「シンデレラ」の演出の作戦を考える。親子での観劇も想定されるとはいえ、小・中学生が主要な観客である。子供はすぐ退屈する。いかに集中を持続させるか、伝えたい内容をどの水準にするのか、おおよそは決まっているが、その具体的な方針をどうするかである。
 静岡芸術劇場は劇場自体のデザインが素晴らしい。優雅である。それだけではなく、照明を吊るブリッジの便利さ、床の一部が上下する大小三つのセリ舞台など、どこの自治体の公共ホールと比較しても、舞台芸術の劇場としての専門性を備えている。舞台と客席の上に五つもある照明のブリッジは、床面から一メートルの所までは、一斉に下ろすことができる。照明を吊るにもブリッジに乗り込むのにも容易、こんな劇場は日本にはどこにもない。この劇場の独自性を際立たせることができたら、と考えながら見ていた。
 私がこの劇場の芸術総監督だった時、企業の社長、元高級官僚、東大教授の三人に、実際の演劇の照明さながらに、舞台上でシンポジウムをしてもらったことがある。三人の姿がくっきりと浮かび上がる照明なので、舞台上からは客席がよく見えない。三人は異口同音に言った。こんな経験は初めて、少し戸惑ったがおもしろい感じだったと。俳優にされたような気持ちがしたらしい。音楽、ダンス、演劇、これらに接するために劇場を訪れる人は多い。しかし実際に舞台に上がり、俳優やダンサーと同じような雰囲気に入ったことのある人は少ないのである。
 「シンデレラ」の観客の多くは、芸術劇場のような本格的な劇場は初めての経験になるに違いない。全部の観客を舞台上に上げることはできないが、劇場とはどんな所か、演劇はどうやって作られていくのか、それを徹底的に見せながら「シンデレラ」の物語を展開するのも良いかもしれない。照明や音響や衣裳などのスタッフも、すべて舞台上に存在し、舞台装置の転換や照明の当たり方の調整、衣裳の着替えなども見せる、それも一案だと思いはじめる。
 「シンデレラ」に使用する主要な音楽はフランスが売り出し、世界的に有名にしたベルギーのシャンソン歌手アダモのものである。シャンソンの歌詞は詩的で物語性をもっている、演劇のセリフのようなもの。その他の音楽はロッシーニのオペラ曲「シンデレラ」とプロコフィエフのバレエ曲「シンデレラ」からのもの。実際の舞台芸術のために作られたものである。この案は良いかもしれない、試してみる価値はある、なにしろ児童劇を作るのは初めてのこと、なにごとも冒険だと自分に言い聞かせたが、果たして結果はどうであろうか。ともかく子供たちに、劇場というものの楽しさを存分に味わってもらう、もちろん私もタノシミタイ。