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鈴木忠志見たり・聴いたり

6月13日 豹変

 日常で接する印象と舞台から感受されるそれ、その印象の落差にこそ俳優という人間の存在意義がある。もちろん、舞台から受ける印象、それが個性的で他人を惹きつける魅力があれば、それに越したことはないのだが、特に女優の欲張りはなかなかのもので、日常でも魅力を発揮したいらしい。
 しかし私の経験では、日常で魅力的な人にそれほどの名優はいない。名優はどちらかと言えば普通の礼儀正しい人、日常では余分なエネルギーを発散しない人の方が多い。むしろ、エッ、コノヒトガ! 舞台を見た観客が、こう口にしたくなるような人たちである。だから日常での、コンナニ、オトナシイノ、フツウノヒトダワネ、これは喜ぶべき誉め言葉なのだが、俳優個人の気持ち、殊に女優にはもう少し違う気分があるらしい。
 エッ、コノヒトガ! これは俳優が日常とはちがった集中をして存在していた時、それを目の当たりにした観客の印象、鍛錬された特殊な物言いと仕草が、日常では隠されている身体のエネルギーと表情を顕在化させていた舞台上の印象を表した言葉である。だから俳優にとっては、日常の魅力がズイブン、デテイタ、より、本当はハゲシイノネとか、あなたはヘンナヒトダ、オドロイタ、と言われる方が良いに決まっている。人間としてはそちらに、その俳優の固有性が生きられていたはずだからである。そもそも私などの想定する観客は、日常の人間の魅力に出会うために劇場へ行くわけではない。逆である。
 いつだったか、私の劇団の女優がパーティーの席上で、SCOTの女優さんは舞台上では美しいですね、と言われたと憤慨している。私は最上の誉め言葉をもらったと思うのだが、女優の言い草はフルッテイル。失礼しちゃうわ! SCOTの女優は日常でもソンナニ、ブスデハナイ! 私としては全面的に賛成はできないが、たしかにソンナニ、ブス、ではないとは思う。しかし美人というのも憚られる。それが舞台上では美人に見えたのだから、まあ満足しても良いのではないか。女優の心理はムツカシイ。
 人間でも動物でも、集中力が全身的にくまなく満ち渡ってくれば、身体から日常とはちがった異様なエネルギーが出て来る。それは恐ろしい、美しい、異常だ、といった印象をもたらすことが多い。最近では映像技術の発達のお蔭で、実際の現場に立ち会っていなくとも、こうした場面に接することができるようになった。動物の生態などのことである。
 集団で行動するライオンでも、単独行動のヒョウでも、獲物を捕獲する際の集中力はものすごい。エネルギー燃焼の効率、重心のコントロールなど見事なものだが、全力疾走しているシマウマやガゼルの首や喉元に食らいつき、押し倒す時の形相には感動する。生存本能というものは、恐ろしくも素晴らしい。長閑に寝転んだりしている身体が一変する。豹変するとはよく言ったものである。
 三月の始め、今だ激しい雪の降り止まない頃から、私は一匹のテン=貂と暮らすことになった。貂はネコ目イタチ科、体長は50センチ前後の小動物である。身体は柔軟、見た目のふくよかさと違ってわずかな隙間でも行き来する。蛇のように素早く賢いが、顔や毛並みが美しいので、蛇と違って実に可愛らしい。
 我が家の貂は顔は白色、全身の毛は黄色である。毛皮はミンクと並び高価なので、貂は二人で獲りに行くなという諺が猟師仲間に伝えられていたと聞く。どちらの獲物にするか、喧嘩になって殺し合いになるらしい。
 この貂も寝転んだり、私の顔を座って見上げたりしている時は、リスやネズミのように愛らしい顔をしている。しかし餌が目に入ると、最初は用心深く左右前後を警戒して身構えているのだが、そのうち身体の形態や顔の形相が一変し、小さな身体から、熊が獲物に襲いかかる時と同じような獰猛なエネルギーを発散し、餌に噛みつく。ウサギやネズミなども食い殺し生存する、野生本能の迫力である。
 この本能に根付いた集中力、一瞬にして変化する身体、毎日それに接して惚れ惚れと眺めているうちに、時として俳優に対する過大な期待にとり憑かれるから困ってしまう。女優もこれぐらい舞台で豹変してくれないかなあー、と。