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鈴木忠志見たり・聴いたり

7月8日 新しい目論見

 劇団員が三々五々と帰ってくる。懐かしい。劇団員に会うことを、懐かしいと感じるのは久しぶり。先月の初め、中国中央戯劇学院の稽古が終わり、劇団員も少しずつ日にちをずらしながら、三週間の休暇をとることにした。7月10日に全員が揃う。翌日からは稽古が始まる。
 今年の夏はせわしない。例年と違って、変則的なスケジュールになった。いつもなら8月の中旬から始まるSCOTサマー・シーズンを、今回は8月下旬から9月の初旬にした。8月の中旬には英国スコットランドの中心都市、エジンバラで開催される芸術祭に参加することにしたからである。これまでにも、この芸術祭には招待されたことはあるのだが、利賀村での活動の時期と重なり行かれなかった。今年は世界各国の文化大臣が集まり、文化の今後について話し合う会議が企画されているという。
 芸術祭の芸術監督が2度も来日して、私の舞台の上演をその時期にしたいし、会議で何かスピーチをと熱心に誘われる。こういう情熱に出会うのも久方ぶりで、私の気質としては断りにくかった。ヨシ! ヨーロッパでの公演活動もこれを、サイゴニスルカ! と意を決して招待を受けることにしたのである。演目は芸術監督の要望で「エレクトラ」になった。
 今夏のSCOTサマー・シーズンの上演作品は3演目。「シンデレラ」「リア王」「世界の果てからこんにちは」である。「リア王」は1984年、「世界の果てからこんにちは」は1991年、「シンデレラ」は今年の初演である。すべて再演だが、演出手法が異なっているばかりか、それぞれの作品に、私が生きた時代の関心事が鮮明に反映されている。
 「リア王」は25年も前から、世界各国の俳優によって上演され続けている。世界中の演劇人に関心をもってもらい嬉しいかぎりだが、今回はSCOTだけの俳優による上演。「世界の果てからこんにちは」も長い間の上演歴をもっている。しかしこれは、まったく利賀村の野外劇場でしか上演できない作品。花火と山が重要な役割を背負うものなので、何処でも上演できるというわけにはいかない。これまでに利賀村以外での上演の誘いがなかったわけではないが、すべて実際の上演は不成立。この2作品は演出手法だけではなく、作品の上演歴でも対照的である。
 「シンデレラ」は今年から私が目論む、新しい人生の出発作品である。イマサラ、ナニヲ! と笑われそうだが、この利賀村を<自然>と<演劇>を同時に楽しむことができる場所にしたいという思いがあってのこと。この場合の自然とは動物のこと、演劇とは親子で楽しめる児童劇のことである。簡明率直に言えば、利賀村に自然動物園をつくり、その園長になりたいということと、児童劇専門の演出家として再出発したいということである。今までの人生は、世を忍ぶ仮の姿であったかと、朗らかに笑えるぐらいになりたいと思っている。
 今年になって、テン=貂やアナグマ=穴熊やタヌキ=狸と暮らし始めたり、チョット変わっている児童劇「シンデレラ」を創ったのはそのためである。日本を取り囲む国際環境は、これから著しく変わる。新しい展望のもとに、新しい活動をと考えたら、外来種ではない土着の動物を見せ、さらに土着の親子=日本人に、これからの日本の行く末に思いを巡らすような作品を見てもらうのが、この利賀村の見事な施設を意義あるものとして活かす道であり、私の人生の最後のご奉公だという結論に達したのである。
 むろんこの私の目論見は、劇団員にはまだ正式に話してはいない。児童劇はともかく、動物園の方は、果たして劇団員が一緒に、しかも喜んでやってくれるものかどうか、少し心配をしているからである。