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鈴木忠志見たり・聴いたり

8月13日 究極の摺り足

 エジンバラ国際フェスティバルの初日の幕が開いた。ロンドンを中心としたスポーツ・オリンピックの終わりに2日ほど重なって、エジンバラ国際フェスティバルはスタートした。劇場はキングス・シアターという100年前の建物。階段だらけの劇場で、脚を痛めた我が身には少し堪えるが、雰囲気のある劇場である。
 終演後のレセプションは、街路を見下ろせる洒落た小部屋で催された。このフェスティバルの芸術監督ジョナサン・ミルズをはじめ、事務局各部門の責任者たちが出席してくれて、様々な感想を言ってくれる。皆、見事な出来映えだと言ってくれる。それらの感想の中に面白いものがひとつあった。たくさんの車椅子が出てきて動き回るが、身体障害者の人たちをバカにしていると抗議されたことはないかというものである。ずいぶんと昔、水戸芸術館で車椅子を多用した私の作品「イワーノフ」を観た文化庁長官が同じようなことを言ったことを思い出す。私は朗らかに答えた記憶がある。我々人類、ほとんどの人がいずれは車椅子のお世話になるのですよ。車椅子がどんなに人間にとって必要不可欠なものであり、使い方次第では素晴しい動きをするものか、それを皆さんに知らせるのも演劇人の使命。私もかつて何日間か病院で車椅子のお世話になったことがある。だから感謝の気持ちを込めて使っているのです。
 今は亡き河合隼雄さんは、文化庁長官だった当時、私の舞台での車椅子の使い方に感動して、文化庁内を車椅子で移動してみたいと言ったことがある。その時、傍らにいた秘書の困った顔も思い出した。
 私が車椅子を使うことを思いついたのは、ドイツでの体験による。車椅子に乗った身体障害者たちのダンス・パーティを目撃したからで、実に楽しそうだった。あの車椅子が身体そのもののようになった身体感覚を、私も会得してみたいと思ったのが発端である。
 今回の作品「エレクトラ」では、高田みどりの激しい打楽器の音とともに、車椅子に乗った男たちが円を描いて素早く回転する。舞踊家の金森穣が昔、あの打楽器のリズムに負けない足捌きができるのは、SCOTの役者以外にはないと感心してくれた。観客から集めたアンケートのひとつにも、鈴木忠志はついに究極の摺り足を創造したと書いた人もいた。究極の摺り足、ナルホド、ナルホド。確かに車椅子の移動は、水平移動の極致である。しかも緩急自在。面白いことを言う人もいるものである。というより、さすがSCOTの観客、ありがたいかぎりと言うべきか。
 公演日を一日残して、私は劇団員より一足早く帰国する。今月の24日から始まるSCOTサマー・シーズンの準備が気がかりなのと、私のために事務の仕事を、長年こなしてくれたSCOTの創設者の一人、斉藤郁子の病状が少し心配だからである。私はこれまで、自分の作品の本番上演を観なかったことは滅多にない。昨日の舞台の出来具合をみると、私がいなくても心配はないだろうと思ったが、一応俳優たちに昨日の公演のダメダシを兼ねて、さらに頑張るようにと檄を飛ばしておいた。
 ジョナサン・ミルズに頼まれていた文化大臣サミットでのスピーチも断わることになってしまったが、彼は快く承諾してくれた。彼は作曲家である。いつか一緒に仕事をしようと別れた。彼の別れ際の言葉も心に残る面白いものだった。あなたの舞台は演劇人よりも音楽家の方が良く理解するかも。空間の構成の仕方が、オーケストラの楽譜を書く時と同じような集中をしているような気がするからね。
 日本でも、私の舞台をよく理解してくれた人たちは、確かに演劇人ではなかった。